Xiang,のブログ

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様々な歴史的ニュースや珍しい出来事を取り扱います。

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2002年6月30日、日韓W杯の決勝戦(ブラジル—ドイツ)が行われた日と同じ日に、
ブータンの首都ティンプーで当時、FIFAランク最下位クラスだった、
ブータンとモントセラトの間で「もう一つの決勝戦」が行われた。
決戦は決戦でも最下位決定戦である。

結果は、ブータンがホーム(高地)だったためかブータンが勝利し最下位を免れた。
この試合はドキュメンタリーとして2003年に日蘭合作で映画化された。

アザー・ファイナル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%AB
インド最大の都市のムンバイ(ボンベイ)は、
かつて、UTC+4時間51分という中途半端な標準時を採用していた。
1912年(明治44年)のストックホルムオリンピックの折、
金栗 四三氏は日本人として初めて五輪のマラソンに参加した。

しかし、レース途中で熱射病で気を失って倒れてしまい、
通りすがりの人に近くの農家まで搬送され介抱され、
金栗氏の意識が回復したのは、
その翌日で、既にレースは終了していた。

金栗氏は途中で棄権した形だが、
その途中棄権の意思が五輪運営側に伝わっていなかったため、
「競技中に失踪し行方不明」として扱われた。

その後、五輪開催55周年式典が開催される事になり、
運営員が当時の記録を調べていた所、
この出来事を発見し、金栗氏を記念式典で完走させる事に決めた。

そして1967年、金栗氏は再びストックホルムにてゴールテープを切り、遂にゴールを果たした。
その瞬間、「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、
54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、
これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了する」とアナウンスされた。

金栗氏はゴール後のインタビューで「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメントしている。

金栗四三(五輪長距離走世界最長記録保持者)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%A0%97%E5%9B%9B%E4%B8%89

(了)
マゼランが西回りの航海でフィリピンに上陸した折、
マゼランが連れていた通訳のエンリケという男がこの地方の言葉を話せることが判った。

エンリケは、数十年前にマゼランがマラッカから連れてきた男だが、
元々フィリピンで出身で、マラッカに奴隷として売られていた。

フィリピンで生まれ育ち、西回りで再びその地方に帰り着いたエンリケこそが、
人類史上初めて単独で世界一周を成し遂げた人物である。

マラッカのエンリケ(人類史上初世界一周達成者)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AB%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%82%B1

(了)