前回のつづき。

更新まで、だいぶ時間がかかっちゃいますね。


アースデーみのぶのあとは、塩田さんで毎月開催されている、きもの塾へ行ってきました。

今回のテーマは「琉球紅型」。

恐らくみたことはあるだろうけど、実際それがどういった手法なのかもよく知らずにいました。

$Simple and Clean


表現としてはこんな形の染め。


きもの塾では、その手法の歴史に始まり現在にいたるまで、職人さん自らがお話をしてくださるので
とても貴重な機会であったりします。

今回も、琉球紅型の職人さんはなかなか外へ出られないこともあり、
いらっしゃるということがとてもレアなことなので、素敵な機会に恵まれたなぁと思います。


なぜ、琉球紅型の職人さんがなかなか外へ出られないかというと、
琉球紅型は、道具作りに始まり、デザイン、染め、すべての工程を一人でするということにつきます。

いわば、外に出てる時間がない…。。。

比較すると、京友禅なんかは分業制で、何十人の職人さんがそれぞれのポジションでしっかり仕事をすることでなりたっている染めとは真逆だったりします。


何はともあれ、道具作りから始めるのですから、全ての工程を一通りできるようになるまでは少なくとも10年とおっしゃっていました。


琉球王朝時代には、王朝に納めるためにつくられた染物が、次第に庶民まで自由に作られるようになるお話に始まりましたが、特に印象的だったのは、戦前、戦後の中での移り変わり。

沖縄は日本で唯一、本土戦があった場所です。

全てが焼き払われ、これまでにあった型紙も同じようになくなりましたが、
沖縄以外にあった型紙をあつめ、道具作りも米兵が持ち込んだもをうまく利用して作り、
紅型をつづけたそうです。

例えば、レコードをカットして、ハケにして使うなど。(今でも同じように使われていますが、しなり具合がとてもいいみたいです)



それから、モチーフにする柄について面白いお話がありました。

戦前、まだ沖縄と本土での移動が大変な時代。

モチーフは沖縄にはない草花が多く取り入れられていたそうです。

本土への憧れと、職人さんが本土へ勉強しにいったときに手に入れた型紙など。
また、中国からの影響も強く、全てが混在していいとこどりをしていたらしいそうです。

しかし、戦後、すべてが焼き尽くしたあと。
モチーフとなる柄は沖縄の身近な花やものに変わっていったそうです。

もちろん、移動手段がよくなり、本土が身近になったからという理由も多くあると思いますが、
一番近いところへ目をむけるということ、いろいろ経験したあとに立ち戻るのかな
と思いました。




一人で全て行うからこそ、ある程度の自由度は高いそうですが、
今回いらっしゃった職人さんは中でもかなりのしがらみを考えずにされているそうで、
作業自体は一人で行いますが、誰かとともに作り上げるということを大切にしたいということで
依頼者とお話することに労をいとわないそうです。
古きよいものを継承しつつ、新しい一歩を歩む姿勢はとてもすてきでした。






$Simple and Clean



実物は買えないので(笑)ポストカードを何枚か買いました。



また、来月のきもの塾もたのしみです。(確か東京友禅です)