「人は1年前までの貯金で仕事をしている」
そう言われたのは、
リクルートグループで働いていた頃のことです。
「いいか、種村。
人は1年前までの貯金で仕事をしているんだ。
いま、よい結果になっているとすれば、
それは、1年前までの自分が種まきをしっかりしていたからだ。
それまでに経験や知識をしっかり得てきたからだ」
そんな話でした。
本を読んだり、
学んだり、
人との出会いから影響を受けたりしても、
それを自分の血肉として、仕事の成果につなげるには時間がかかるというものだと、
その時には感じました。
「お前は、これまでの(知識や経験の)貯金があるかもしれない。
でも、これから学ばなくなったり、これでいいやとなれば、
それは1年後に響くようになるぞ」
そういう警鐘でした。
人は1年前までの貯金で仕事をしている、
というのは、
僕の仕事観の中に、割と根付いています。
いま、恵まれた環境で仕事をしたり、人とやりとりできているとすれば、
1年前までの自分がしっかりとやってきたからだと思います。
いま、手を抜いたり、学びをとめたりした時、
おそらく、すぐには影響が出ない部分もあるでしょう。
しかし、1年後には影響が出てきます。
学びには、そのようなタイムラグがあることがあります。
最近、哲学や思想系の本を読んだりしています。
國分功一郎『暇と退屈の倫理学』
國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』
ケン・ウィルバー『万物の歴史』
オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』
などは、まさにそのような本です。
これらの本を読んで、
たしかに深く学び、深く考えさせられていますが、
言語化して自在に語れるようになっているかといえば、
そうではありません。
本を読んだり、研究を進めていっても、
このブログで書かれている内容の変化というのは、
急激な変化ではないと思います。
だいたい同じこと言っているなぁ、
という程度ではないでしょうか。
インプット
↓
スループット
↓
アウトプット
という一連の流れでいえば、
僕の場合、概念や思想レベルのインプットをしてから、
自分なりに解釈して自分の血肉として、
自分の言葉で語れるようになるまで1年くらいかかることがあります。
1年半くらい前に、
イギリスに調査に行って、難民の人たちが置かれている状況やグローバル化の影響に衝撃を受けたことがあります。
帰国してすぐ、
「イギリスに行ってどうでしたか?」
と聞かれても、あまりに衝撃でインパクトが強すぎて、
「いやぁ、考えさせられました」
くらいしか言えなかったものですが、
ようやく消化・解釈(スループット)できて、
アウトプットにも反映されるようになってきました。
1年前までの貯金で仕事をしているんだと思います。
LINE@でお伝えしている目標設定シリーズは、
これまでの蓄積をまとめているだけであり、
僕が目標設定に関する本を書くとしたらどういうことを書くかという各トピックを整理するようなもので、
とても簡単にできます。
これまでの貯金があるからですね。
それ以外に何か、
新しいものの創造を求めて、
思想・哲学・宗教・歴史・未来予測・人工知能
などの柱を強化するインプットと取り組みをしています。
今やっていることがアウトプットとして結実してくるのは、
来年の秋ころだと思います。
これから、
この知識を冬に寝かせ、
春に芽を出させ、
夏に思いっきり成長させ、
秋に収穫する
というサイクルがやってきます。
1年前までの自分のインプットと、
この1年間の自分のスループットに感謝し、
1年後のアウトプットを楽しみに、
今からインプットとスループットを仕掛けていく。
研究についても、
裁判員制度や法教育について調査をしたり、インプットしていますが、
これらを整理してアウトプットするのはもう少し先になります。
研究も仕事も、
そうやって回しているところがあります。
<まとめ>
■人は1年前までの貯金で仕事をしているのかもしれない。
学んですぐに役に立つことはすぐに役に立たなくなる。
ベースになっているのは、1年前までの自分のインプットではないか。
■いま学んでいることや経験していること、インプットは、
1年後の自分の仕事の質に大きく結びついてくる可能性がある。
何を仕入れ(インプット)、何を考えていくか(スループット)によって、
1年後の成果(アウトプット)が大きく変わる。
■気の緩み、学びの放棄は、すぐには影響を与えないかもしれない。
しかし、1年後には大きなマイナスとなって現れてくる。
そこから学びの立て直しを図っても、それが結実するのはそこから1年先ということもあり得る。