地中海の文明を尋ねる ㉙ | 坂出富美子と豊海のブログ

地中海の文明を尋ねる ㉙

<キリストが布教を始めたカペナウムとガリラヤ湖>

 イスラエルはキリストが布教を始め、彼の教えがヨーロッパに渡り、ヨーロッパのキリスト教徒が、宗教的情熱でエルサレムをキリスト教徒達で奪還したいと考えて十字軍が組織されて、一時期成功したけれど、アラブ側の抵抗で敗退した歴史があることはご存知でしょう。

 

 キリストはユダヤ教徒達の中で成長し、30歳前後に山で孤独に悩みに悩んで「愛」を中心とする新しい視点からの教えを説き始めます。その教えの原点となったのが、このカペナウムであろうと案内されました。ユダヤ教では人が集まるシナゴーク(集会所)があります。それが発掘されてガリラヤ湖のそばにあります。そこでは更に民衆の住居跡も発掘されています。そこに案内された時は、本物の上に立った感動で胸が震えました。この丘の上には後世作られた「山上の垂訓教会」もあります。

     

    

  シナゴーク(屋根はレバノン杉で造られていた)    住居跡

 

 ガリラヤ湖は170㎢で日本の霞ケ浦位の湖です。淡水湖で魚がたくさん捕れます。隣の国レバノンのヘブロン山が見えます。この辺は肥沃な土地で緑も濃く、多分レバノン杉も見えたのでしょう。

 

    

         ガリラヤ湖のカモメ達               湖畔にローズマリーが

 

<ユダヤ人について考えてみよう>

 この国を尋ねた時は、四国と同じ大きさで、人口も600万人と聞いていましたが、それから10年過ぎたレポートで760万人と25%もふえています。シオニズム(故郷に帰ろうという運動)で帰還した人もまだ続いていますが、この国の宗教で『産めよ、増えよ、地に満てよ』と産児制限をしないため、人口は増え続けているのです。それに「私はユダヤ人だ」という人々はアメリカに530万人、ヨーロッパ諸国にまだ250万人います。食料供給が心配ですが、点滴農法といって国土に水をパイプで配る事業で食料の自給率は90%といわれています。この勢いは人口でもいずれ周辺国を追い越すかもしれません。

 

 「ドイツで600万人もユダヤ人は殺された」という悲惨な歴史があります。もっと昔には20万人とか30万人といわれるユダヤ人がスペインから強制移住されたり殺された歴史もあります。何でこんなに嫌われているのでしょう。私の少年時代には「ずるい、自分中心、頭は良いけど排他的、金儲け許り等々」何故か頭に擦り込まれていた気がします。

 

 本当にそうなのか,実際には何も知りませんが、然しそんな人たちの中で愛を中心とするキリストのような人も生まれるのです。人間性については同じ人達と思います。ただ歴史の中で色々システムや考え方について少し他の国々の人とは変わっている点はあるかも知れません。

 

 帰って来た時、同じ血が流れているユダヤ人かどうかを認識するのに宗教的な姿勢、戒律を守っているかどうかは重要な判断材料だったでしょう。混血は男と女に愛が生まれればどうしようもありません。イスラエル中興のダビデも混血の子であったと聖書にもあります。従って彼等はユダヤ教を信ずるか、その戒律を守れるかで、同一民族と世間は認定するのです。

 

 エルサレムの町で時々黒い洋服でもみあげの長い男性を見かけます。女性も黒いスカーフと分厚いストッキングの人がいます。この人達はラビといわれ、町の中の戒律を守らない人に対し監視的な権力を持っているらしいのです。当然この人達はユダヤ教の結婚や葬式も取り扱います。食べ物は血抜きの肉とか肉と乳製品を一緒に食べるような事はしないし、金曜日(安息日)に働いているのも監視しているようです。

 

     

 ガリラヤ湖 朝の漁獲     エルサレムの街並み     岩のドーム エルサレム

 

 旅行者にとって安息日はホテルのエレベーターが自動的に各階止まりに設定されていて、自分の階に着くのを待ちます。エレベーターのボタンを押すのも労働なのです。の子は割礼という亀頭の先を切るようなこともします。混血は仕方がないがユダヤ人は戒律は守らないといけないのです。

 

 モーゼが十戒を定めますが、他の神に祈るような人物はユダヤ人じゃないと決めて、それを守っているのですから、排他的といわれても仕方がないでしょう。それがユダヤ人なのです。契約を大事にするのはこの人達が他国に住むことが多いので、全て契約にどう書かれているかで決めていきます。シェクスピアがベニスの商人との契約の不備で裁判に勝利するストーリーは大衆がユダヤ人の契約絶対の考え方に対抗して拍手喝采したのでしょう。

 

 また彼等は日本人と違って土地に対しての執念の違いがあります。彼等は商売で利益を挙げると宝石や金を大事にし、土地に投資をしません。一生懸命成功して土地を増やしても、土地は戦争があったら他の国に盗られてしまいます。宝石は手に持って逃げることができます。彼等の価値観から仕事も商人、金融業、宝石業等に従事することが多く、農業などが少ない、いつでも移動できるよう地域密着型の仕事につかないことが多いのです。彼等はどこの国でも一時滞留している気持だったのでしょう。もっともイスラエルに帰ってからも、土地を所有より「キブツ」という集団生活をすることで、他の国ではあまり見ない形態が多いようです。これ等の事はこの国の成り立ちが影響しているのだと考えさせられます。私達の泊まったホテルも経営者はキブツだったこともありました。

 

 この国は歴史遺産として見るべきものは多いです。古いイスラエル時代のものも、キリスト教布教の3~4年の事蹟後も、十字軍時代の建物もキリスト教徒が建てた記念教会も色々とあります。自然もまた特徴があるガリラヤ湖や死海周辺、オアシス、砂漠、古い岩の地層、植生等です。

 

 最後にこの国の町中では兵士をよく見かけます。我々とも交流します。こういう経験は他の国では余りありません。エジプト・アルジェリア・パキスタンその他の国の観光は警察の護衛がバスに付く経験はしましたが、普通の兵士はあまり見かけません。ここでは銃を持った兵士が私達と交流しようとします。彼等は18歳になると男は3年、女は2年の徴兵ががあり、55歳までは予備役制度があります。国内には2,3割のアラブ人が居ますが、この人達は徴兵されません。この辺も紛争のある国として中々難しいでしょう。

 

                      兵士たちと一緒に