連休を迎えて
桜の便りが北海道に届いた今は、ゴールデンウイーク真っ只中、諸物価値上がりの折から近いところの公園や催事の情報で、上手な過ごし方を紹介しています。
新入社員が辞めるのもこの時期だそうで退職願代行が繁盛しているようです。”嫌なことは人にやってもらう”そんな時代なのでしょうか?叱られたり、恥をかいたり、嫌なことを頑張ってやり遂げたり、そんなことは要らないのです。自分の好きなように月日が過ぎて行ってくれればいい訳ですから。でもよい人間はそだちません。
草花の美しい季節です。芝桜、ツツジ、バラ、ネモフィラ等自然のかもしだす風景は壮大で素晴らしいものです。カリスの前庭にはラベンダー、バラ、黄花ジャスミン、ウエストリンギア等が花盛りです。間もなく豪華な白い花を咲かせるテイーツリーも見事です。
【年年歳歳花あい似たり 年年歳歳人同じからず】
TV番組で大食いの映像や、大食い競争、面白くする為にケーキやパイを投げたっりしている画面をよく見ます。戦後食糧難を経験した私達には、食べ物を遊びごとに使うなんて許されることではありません。世界中には飢えた人がたくさんいます。人が生きる糧は大切なものです。日本の食料自給率は30~40%といわれています。平和が失われた時、国産品を奪い合う人々の姿が目に浮かびます。食べ物は感謝をして大切にいたしましょう。
今日は5月5日「こどもの日」柏餅を食べ、しょうぶ湯(ハーブ湯)にはいります。
92歳の誕生日を迎えて(4)
原稿を書こうと思っている間に心不全となり、2週間ほど入院しました。体内に貯まった余分な水分が抜けて体調は良いようですが、今は弱ってしまった足を使うよう心掛けています。
劣化は早く、復活は遅々として進まず、情けない限りです。
昭和30年代の共働きは、今のように保育園もなく、殆どの人は親に見てもらうのが普通でした。私達は自転車で子供を預け、勤務先に行き、仕事が終わったら連れて帰るの繰り返しでした。勿論紙おむつも無く、布オムツを毎日洗濯して、畳んで使います。一番困るのは梅雨時や長雨の続いた時です。母が浴衣を工面してくれたことを思い出します。
長男は母親の元で4歳になり、あちこち連れて歩けるようになり、楽しみに出かけるようになりました。次男を身ごもった時、62歳の母はまた一からの子育ては出来ない。”自分で育てなさい”という事で、30歳で専業主婦となりました。
年子で三男が生まれ、育児に忙しい毎日が始まりました。段々育児馴れと言うのでしょうか、子供同士のなれ合いもあり下の子ほど手がかからないで成長してくれたように思います。
小学生時代は厳しくと言う豊海の方針で、少々の熱でも学校に行って帰ってくると平熱に戻っていました。長男が幼稚園ではしかや百日咳を貰ってくると3人揃って寝込むので下の二人は、幼稚園、小学校で皆勤賞を取ったりしました。
高知で一人暮らしをしていた父も高齢になり、同居をするようになりました。植物が好きで、坂田種苗やタキイ種苗に通って、余り人が育てないような種を蒔いて花を咲かせ、喜んでいました。子供がボール投げをして植木にあたると遠慮なく殴られていました。マイペースで車道の真ん中を歩いていたりするので、車の友人から「また坂出さんのおじいさんだ」と苦情が来たりしました。なんだかんだと男5人の世話に明け暮れた頃でした。
行きつけのセブンイレブン閉店
いつも利用している家の近所のセブンイレブンが昨日閉店しました。とても便利に使っていたので、残念でなりません。思えば15年の歳月が過ぎていました。
2011年の6月1日から8日まで私はソサエテイーの仲間とローズの原産地ブルガリアの旅に出掛けていました。豊海は足が弱くなってしまい、留守番することになりました。
新しくできたセブンイレブンに日暮れになると、卵サンドを買いに来るおじいさんが居ました。10日ほど続いたので店のスタッフも関心を持ったようです。”かわいそうなおじいさん”と
やがて夏休みが近くなって、いつも何か孫達にしてあげたいと、その年はTBSでやっている「コーラスライン」を見に行こうとチケットを購入、受け取りをセブンイレブンにしました。12000円のチケット代5枚分、6万円を支払いました。やっと”かわいそうなおじいさん”からぬけだすことができたようです。年末にはスタッフの仕事納めに晦日そばを40人分注文し、カリスのオーナーだと認知して頂きました。
それからは節分の恵方巻、土用の丑の日のウナギ、お正月のおせち料理等々お付き合いを深めていきました。孫も大学生時代バイトをさせて頂きました。
振り込みやチャージ等これからどこのコンビニにしようか、迷い中???