坂出富美子と豊海のブログ
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2026年新春

  明けましておめでとうございます。

         本年もよろしくお願い致します。

                 すっかり遅くなりました挨拶で申し訳ありません。

 

 例年通り年末30日に、新宿「へぎそば昆」で家族達9人で越乃寒梅を飲みながらへぎそばで年越しをしました。その後私達2人は京王プラザホテルで年末年始を過ごしました。

 

 豊海の干支は馬で今年は年男です。96歳になります。車椅子の移動で私は大変でしたが、ホテルのスタッフが補助してくれていたので、何とか過ごすことができました。

 

 いろいろイベントはあるのですが、豊海は3日共囲碁サロンに行き女子プロと対戦してきました。”勝った”とは言わないので、そんなところでしょうか。

 

 クラシックコンサートは期待したのですが、楽器の紹介的なことがあり、期待したのはポピュラーなクラシック曲でしたが・・・ 落語等いろいろな企画がありました。足が悪くなければ明治神宮の初詣にも参加できましたのに。

 

ここからは豊海発信

 年賀状は、2年前から取りやめの旨を皆様にお知らせしましたが、それでも30枚ぐらい用意して賀状に接した方にはこちらの現状もお知らせする用意をしていました。予想通り賀状に接した方は30人前後でした。

 

 賀状というのは、X’masカードより多く殆どの人は出していて、日本的な多くの人の習慣だっと思いますし、若し続いていれば私も続けていたと思います。今は、パソコンや携帯で済む時代ですから、郵便料金も結構高くなったし・・・

 

 今日TVを見ていたら(1月5日)、干支と血液型を組み合わせた「今年の運勢」という番組がありました。まあお正月気分でどうでもよいがという思いで見ていました。私の干支は馬で血液型はO型、出てくるかと待っていたら19番目位の運勢でした。妻が来たので聞いたら戌年のB型と言うので順位を見ていたら、なんと今年一番の運勢と言われ、これには二人してビックリしました。

 

 生まれた干支は12組、血液型は(A,B,O,ABの4組)そうすると12×4=48組だから人生90年として96歳までこの組み合わせの人は2人しかいない。おやおやである。

今年の健康はこれで決まりだよ、今年は死なないであろう、大病もないかの知れない、ついているぞ!私の一番最初の発声だった。

 

 要するに人生一番は現状を維持することだ。「宝くじは今までも年数回、5~6万で買っていたが、今年は妻に買って貰おう。然し10億なんて当たったらそれは不要だあー、まあ1億なら使い道はあるかな」と・・・

「私はクリスチャンだろうか」  坂出豊海発信

 私の家は、明治の末期、祖父がキリスト教に改宗し、更に祖母と結婚する時にも、祖母も当時としては珍しいキリスト教系短期女子校を卒業していた頃も相俟ってキリスト教式結婚をしたことから始まっている。

 

 祖父は、東大を卒業し、大蔵省に就職して、赴任先が北海道であったことから、札幌農学校の流れをくむ内村鑑三氏と出会い彼の影響で改宗したらしい。彼は無教会派と言われた宣教師だった。

つまり教会をたてる資金を信者から徴収することは新しい信者を確保するネックになるので、教会は不要だと思ったのかも知れないが、その後日本キリスト教団に引き継がれたようである。

 

 想像だけではあるが、祖父は高知の小高坂にある坂出家の墓地を改宗し、当時火葬が流行しつつあることから、納骨堂を建て、先祖の墓は総て墓碑に記述し(仏教的な戒名は不明)たので、その大正期の墓に私達も眠ることになる。

 

 私の父と母は、母の思い出によれば、部厚い本に手を置いて(多分聖書の事)誓いの言葉を復唱、坂本さん(坂出愛のすぐ下の妹)の自宅で結婚式をしたと思い出話をしてくれた。坂本さんの家は高知市西町の大きな家で、ご主人は第四師団長で陸軍中将だった。母には大いに違和感があったようで、母側の家族からも批判的な感じを受けた。案の定、私が3歳で離婚が成立している。祖母愛の影響は男の子には受け入れられなかったようだが、女性の子供はみなクリスチャンで生涯を終えている。

 

 私はと言うと幼稚園時代から小学生までは日曜ごとに教会に連れていかれ、多分神戸北教会では洗礼のようなことを受けた記憶もある。戦争が始まり、祖母も足腰が不自由となり、私が教会に行くことも自然消滅した。然し旧制中学2~3年の頃戦争の最中、私は教会に1人で行ってみたことは2~3回ある。讃美歌はオルガンの音も小さめで、牧師の説教も内容は記憶していない。雰囲気的には「キリスト教徒達と日本の平和」と言う具合に一般的には思われていたようで、私は遂に中学時代は「クリスチャンである」と友人たちには宣言したことはなく秘密にしていた。

 

  その後今の妻との出会いがあった。戦争は終わっていたが、妻にも言いにくい気分はあった。X'smaカードを送ったりなんとなくキリスト教的宣伝はしていたが、結婚式を簡単に挙げるようと言う時にあたり、富美子は説得できるが、その兄弟、母親には切り出せなかった。そこで主婦会館の宗教色のない結婚式場に申込をした。私としては一種の決断だった。結婚式は宣誓文を読むだけでよい。招待者少人数ではあったが、式だけは挙げられた。

 

 実は私は20歳の成人式の日から、聖書と資本論を枕元に置いて毎日数ページでも読んでから眠る習慣を決めていて、枕頭には2冊(資本論は4冊、聖書は昔からあった革表紙の文語体の部厚い本)置いてあり毎晩4~5ページは読み遂に読破したのが、妻と出会う前後だった。確か20歳の時に東大の学長だった南原先生の新聞記事の文章で、それに従ったのである。

 

 結婚相手である富美子の実家との交流の中で、母親から赤坂の寺院の住職とのトラブル等の話題もあった。問題はあるにせよ仏教と檀家との交流は深いのだなあと思い、「私はキリスト教徒です」と言ったら驚かれると思い、一寸言いにくいし、「結婚式は教会でお願いします」とは言えなかったことを思い出す。それほど違和感のある時代だった。今ではセレモニーを教会風でやることは、不思議でも何でもないが、まだそんな時代ではなかった。

 

 ところが結婚後、妻は私の祖母が属した経堂北教会に勝手に行き、時々泊まりに来ていた

母親も連れて行き、二人とも教会員になってしまったことには私も驚いたしまった。私の家の建前に際し、式典を設計士問われた時に、キリスト教でやりたいと言ったら驚いていた。その後祖父の50年祭など牧師に家に来てもらったり、子供達を教会学校に連れて行ってくれたり、私は教会に余り行かないが、妻が家で行事を含めクリスチャンになってしまった。

 

 私がX'masにパーテイ券で銀座を泳ぐ位の事は1回だけしたが、もうクリスチャンを世間に公言すれば違和感のない風潮になっていた。毎年パットブーンのクリスマスソングのレコードを家中に流し、子供達とケーキを切り、プレゼントするのも恒例になっていた。私は子供たちに「宗教は個人の自由選択だ」と言いながら、教会に行く妻と子供達を嬉しく喜ばしく見送って「俺は幸せだな」と思った。

曾孫の誕生  坂出豊海発信

 12月2日、私達長男の子供(孫娘)に男の子が誕生(3800g)しました。産室からメッセージと写真が届きました。母子共に元気なようでほっとしています。坂出家でないから何という名前を付けるのか気になります。

 

 この頃キラキラネーム✨と言うのか、読めない名前や、夏と書いて冬と読ませるとか、わけのわからない名前があり、高校野球の選手紹介で変な名前だなあという事が多い。十数年前から流行したらしいのですが、流石に昨年読めない漢字は役所の窓口で断るとか、名前にフリガナを付けることが決まったようです。龍馬と書いて「りようま」か「りうま」位なら良いのですが、若干日本では融通無下のところもあるので気になります。一週間ぐらいで決まるでしょう。或はもう決まっているかも知れません。何しろ2~3か月前から男の子だとわかっていたようですから。

 

 さて私達夫婦も遂にヒーオジイさん、ヒーオバアさんということになりました。95歳まで生きていればこんなうれしいニュースもある訳です。そんな訳で一応ブログで報告させていただきます。私達はうな丼とビールで祝杯を挙げ喜び合いました。いずれ顔を見られることを楽しみに

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