随分と永い夏季休暇だったような・・冬眠ならぬ夏眠状態に入ってしまった
この想像を超える今年の猛暑は体力ばかりか気力や思考までも停止させてしまうほどだった。
時勢を見渡せば、お祭り騒ぎのようだったアベノミクスも当初の勢いはなくなり、我々のような下々の者たちにはなんら恩恵を被ることさえ許されなかった。
ふっと気付けば値上げラッシュと来年に控えし消費税増税。日本の民の行く末はどうなってしまうのか?
巷ではオリンピック景気に期待するオリノミクスなる新語まで出てくる始末。東京へのオリンピック招致は無事成功を収めたようだが、これはこれで爆発的な経済成長への足掛りとなるものと信じるほかない。しかし私の様な下々の民は「明日の米より今日の米」である。
こんな時は、必ずある知り合いの老人から教えてもらった話を思い出してしまう。
聖帝と謳われ仁愛をもって国を統治していた仁徳天皇の「民の竈」と言う話である。(知っている方はスルーしてもらってもいっこうに構わない)
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仁徳天皇の四年、天皇が難波高津宮から遠くをご覧になられて「民の竈より煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなお酷いことであろう」と仰せられ「向こう三年、税を免ず」と詔(みことのり)された。
それからというものは、天皇は衣を新調されず、宮垣が崩れ、茅葦屋根が破れても修理も遊ばされず、星の光が破れた隙間から見えるという有様にも堪え忍び給えた。
三年がたって、天皇が高台に出られて、炊煙が盛んに立つのをご覧になり、かたわらの皇后に申された。
「朕はすでに富んだ。嬉ばしいことだ」
すると皇后は「変なことを仰言いますね。宮垣が崩れ、屋根が破れているのに、どうして富んだ、といえるのですか」
天皇は「よく聞けよ。政事は民を本としなければならない。その民が富んでいるのだから、朕も富んだことになるのだ」天皇は、ニッコリされて、こう申されたそうだ。
その頃、諸国より「宮殿は破れているのに、民は富み、道にものを置き忘れても拾っていく者もありません。もしこの時に、税を献じ、宮殿を修理させていただかないと、かえって天罰を蒙ります」との申し出が頻頻とあるようになったが、
それでも、天皇は引き続きさらに三年間、税を献ずることをお聞き届けにならなかったのである。六年の歳月がすぎ、やっと税を課し、宮殿の修理をお許しになった。
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その時の民の有様を「日本書紀」は次のように生き生きと伝えている。
「民、うながされずして材を運び簣(こ)を負い、日夜をいとわず力を尽くして争いを作る。いまだ幾ばくを経ずして宮殿ことごとく成りぬ。故に今に聖帝(ひじりのみかど)と称し奉る。みかど崩御ののちは、和泉国の百舌鳥野のみささぎに葬し奉る」・・・と。
現代政治にも教本としてもらいたい「民の竈」の一節である。
安倍政権が国民に過酷な税金を課したり、自らの栄達のために使うこと(強靭化計画などはまさにコレだろう)は歴史的観点からも国家存亡の時が来たと知るべきである。
『民の竈』の政治が民に対する思いやりの政治であるとするならば、今の政治は宦官政治に他ならない。宦官の影響で国政が乱れた例は多く、その弊害が最も顕著であったのは後漢・唐(中期から後期)・明であろう。秦の滅亡させるきっかけを作った趙高も宦官であったと記憶している。
こんな話を思い出しながら、自宅の小さな竈(今はガスコンロ)を見る日々である。
今日はこの辺りでお別れしよう・・・
