巷では、東京オリンピック2020年に向けて「江戸城」天守閣の復元が論議を呼んでいる。
オリンピック効果で海外から約1000万人もの観光客が来る予想らしく、東京にはコレといった観光物が無いから・・との理由らしいが、
総工費500億円、殆どを企業や個人の寄付に頼るらしい。オリンピックによる経済効果(3兆~150兆)から考えれば安いものなのかも知れないが、その前にもっとやるべきことがあるとの意見も多い。例えば被災地の復興とか・・私も同感だ。
先日、有楽町近隣のあるビル工事の現場に差し掛かった時、面白いものを見付けた。通行人が必ず立ち止まって見て行くので、これは「何かあるな」と好奇心一杯で近づいてみると・・・。
工事を隠している鉄製の壁に「江戸」「明治」「昭和戦前」「平成」の順にその辺りの地図がプリントされていた。かなり大きなもので1枚5m四方はあっただろうか?親切なことに現在地もしるしてある。
ちょっとしたアイデアで、普段はうるさいだけの工事現場もノスタルジックを感じる場にかえさせてしまっていた。騒音を忘れて見入ってしまう人がいるのも頷ける。
気分よく歩を進めていくと日比谷公園に着いてしまった。
先程の江戸城復元ではないが「この公園は江戸時代からあったのだろうか?」ということが気になり、調べてみた。すると、意外なことを発見することになる。
「江戸城」の日比谷御門のすぐ外に位置していた今の日比谷公園。江戸時代にはそうそうたる大藩の上屋敷がこの地域に置かれていたらしい。萩藩毛利家、佐賀藩鍋島家、三草藩丹羽家、吹上藩有馬家、福知山藩朽木家、盛岡藩南部家、唐津藩小笠原家、狭山藩北条家の各上屋敷があった。さっきの工事現場の壁にも書かれていた。
しかし明治維新によって時代が変わると、大名屋敷がすべて壊され、更地となった。そして、その場所は「日比谷ヶ原」と呼ばれたらしい。
もともとこの地域は入江だったため、地盤が弱く当時の技術では大がかりな建物をつくるにはふさわしくない。そこで公園を作ろうということになり、明治34年になってようやく日比谷公園が完成した。その後、関東大震災や戦中戦後の動乱で日比谷公園も何度も壊されては修復されてきたようだ。
そして、その明治 34年の最初の日比谷公園の完成にはあの「本多静六」博士が深く関与しているというのである。「公園の父」といわれる本多 静六(ほんだ せいろく)博士は、慶応2年 7月 2日(1866年 8月 11日)~昭和 27(1952年)1月 29日)まで活躍した日本の林学博士、造園家である。
勤倹貯蓄を処世訓とし、投資家としても成功し巨万の富を築いた。しかし、退官を機に匿名でほぼ全ての資産を教育機関や公共機関に寄付したことでも知られている。
本多博士は若いころから生活を切り詰め、収入の 1/4は必ず貯蓄をした。臨時収入があればすべてを貯蓄に回し、また、日々 1ページ原稿を書くことを自分に課していたので、なんと370冊を超える著作がある。
ものすごい人だ。その本多博士が日比谷公園を作ったとは感慨深い。
と言うのも大学生の頃、ある教授の勧めで本多博士の著書を初めて読んだことがあったが、その時は大きく啓発されたものだ。そして、しばらくの間、収入(アルバイト代)の1/4貯金を実行したが、早くも半年で頓挫した記憶だけが無念さとして残っている。
本多博士がもし生きていたら1000兆円もの借金を抱える「今の日本」を見て何と嘆くだろうか?
貴方も明日から1/4貯金を目標にしてみたら如何か?私は・・日々1ページの原稿書きの方にしておきたい。
今日はこの辺りでお別れしよう・・・







