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~ ロバート・フジタの一筆コラム~

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今日は私にとって記念すべき日だ。


そう私、筆者ロバートの生誕の日・・第○○回目


見た目は若く見えるらしいが、生まれてからそれなりの年月は経過してきている模様。




 


・・・などと思っていたら、世の中にはもっと凄い人達がたくさんいることに驚かされる。



 


書店に立ち寄り、ふっと目に留まったタイトルは100歳、ずっと必要とされる人』と言う1冊の本。


その主人公は福井福太郎氏だ(1912年(明治45年)519日生)


 

氏は慶應義塾大学の助手、毛皮を扱う「福井ファー」を開店後、49歳の時に親友の誘いに応じて望月証券(現・みずほ証券に吸収合併)に入社。同社の合併交渉などで活躍後、70歳から現在まで東京宝商会に勤務中。


49歳でサラリーマンデビュー、70歳で転職し 96歳で辞表を出すも受理されず、100歳になっても山手線のラッシュアワーを通勤する。そんな凄い100歳が存在すると聞いただけで元気になれる。



インドのバラモン教では人生を四つに区切って生きることを教えている。



 

1学生期(がくしょうき):学問し修行する時期


2家住期(かじゅうき):学生期を終え、結婚して家庭を守りながら務めを果たす時期


3林住期(りんじゅうき):家庭での務めを果たした後、家族を捨て、財産を捨てて林に住み、生きる目的を考える時期


4遊行期(ゆぎょうき):真理を求め、乞食(こつじき)しながら全国を遊行し、ガンジス川にたどりつく時期



 

私は今、「学生期」を終えて「家住期」へ移行中。


氏がどの期に差し掛かっているのかはわからないが、ご自身の死生観や職業観についてこう語っている。

・・・僕は、元気な間は、人間はずっと働かなきゃいけないと思っているんです。だって、動物は、死ぬまで自分の力で食料を調達して生きていますよね。人間も動物の一種なんだから、生きるために、死ぬまで働かなきゃいけないものなんじゃないかな。たとえば象は、死期を感じると群れを離れていくそうですよ。でも、それまでは自分で食べ物を見つけながら生きている。猫も、死期が近づくと、姿を隠すとよく言われるよね。飼い猫は別だけど、野生の猫はそれまでは自分で生きている。だから、象や猫と同じように動物である人間だって、死ぬまで働くというのは、当然の行為なんじゃないかな・・・

つまり、ずっと働くことは福井氏の「本能」の一部なのだろう。本能だから無理がなく、それが自然なことなのだ。


また福井氏は長生きの秘訣を質問され時、こう答えている。


「秘訣?秘訣なんてないよね。僕はたまたま 100歳まで働きながら生きてきたけれど、それは僕がえらいわけではないから。天から与えられた命というだけです。友人の誘いで始めた謡(うたい)が好きで、大きな声をしっかり出す。これは健康にいいのかもしれない。食べることも大好きで何でも食べる。マクドナルドを買ってきて軽く済ませることもしょっちゅうです。家でも外でも出していただいたものは何でも残さず食べる。これは親の躾ですね」と。



これらの話を聞いていると、在りし日の陶芸家・加藤唐九郎氏(18981985)の80歳を過ぎてから受けたテレビ番組のインタビューの一言を思い出してしまう。




 

「これからまだしばらく生きないと調子がでてこないね」「年数をたくさん生きても努力が続かないとダメじゃない。途中で僕は怠けてしまったからね」「貴方ぐらいの年齢になれば、研究や研鑚なんかしなくても思い通りになんでも作れるでしょうと言われるが、そうじゃない。実際のところはね、失敗ばっかしとるんですわ。結局、まだ未成熟なんですね、年齢は別として」等々・・


氏ほどの作品や業績を残し(ある事件で人間国宝を剥奪されるも)、陶芸界をリードしてきた人物は多くない。そんな唐九郎氏が 80歳を過ぎてもまだ調子がでないし、未成熟だと言う。



前述の100歳現役サラリーマンの福井氏、死ぬことについて考えると怖くなることもあると言う。だけど、家族と笑いながら死ぬのが理想だとも語っていた。



混迷する世の中ではあるが、このお二人の生き様は「毎日一生懸命に精進して生きなさい」と私の背中をポンと叩いてくれたように感じられた。



そして、「100歳、ずっと必要と・・・」では無く、「死ぬまで、ずっと必要とされる人」になりたいと思った日でもあった。





今日はこの辺りでお別れしよう・・・