「我が人生に一片の悔い無し」
そんな鳥肌物の台詞を残して天に召された、いや昇天した某世紀末覇王を例とするように
何事も終わり良ければ全て良し。
世の中はそんな法則の上に成り立っているとかいないとか。
どんなに嫌なことがあったり困難があったとしても
最後の最後に良いことがあれば、「もう嫌だ~マジ無理」と思っていたことすら
「今となっては良い思い出だよね~あれも」なんて
都合の良い記憶の改変と美化が可能なのが人間である。
しかしそれはその逆もあるということで
どんなに素晴らしいことの連続でも、最後に悪いことが起きれば
それまでの華やかな記憶も、記憶の蓋を開けることすら億劫な黒歴史へと変貌し
脳内記憶フォルダの奥底に圧縮保存され、ほとんど日の目を見る事は無いだろう。
「もうあの人しか考えられない」なんて今時女子高生も真っ青な恋愛も
別れてみれば「なんであんな奴と付き合ってたかわからんし」と
過去の自分を棚の上どころか、棚の向こう側へと投げ捨ててしまえるのもまた人間である。
長い人生で言えば、最後に良い死に方が出来たのならば
今まで歩んできた人生はとても素晴らしいものになるだろう。
しかし嫌な死に方をすれば、「いったい何のために生きてきたんだろう」となりかねない。
そうなってしまえばもう間違いなく地縛霊まっしぐら、よくて浮遊霊だろう。
ただでさえ人生に彷徨っているのに、死んでまで彷徨うなんてまっぴら御免被りたい。
何が言いたいか。
「何があっても最後くらいは良い雰囲気で終わりたいね」ということである。
深夜の帰り道
富士に登る登山者の光の道と、道脇にたたずむ数匹の鹿と狐
そんな出逢いも重なって素晴らしかった1日はとても素晴らしい1日になった。
[LIFree by Shinya Imaizumi]
HP: http://jp.flavors.me/shinyaimaizumi