江戸から明治へと時代が移る頃、日本の社会は、かつて無いくらい大きな変化を体験しました。永年続いた鎖国が解かれ、急速に西欧の文化が流入し、制度や慣例が一転したのですから、庶民の驚きは大変なものだったでしょう。この時期の世相風俗を表すのが、文明開化と言う言葉です。
さて、日本に初めてカメラを持ち込んだのは、長崎の商人とされています。貿易相手のオランダ人から譲り受けたそうです。しかし当時、庶民の多くは「写真を撮ると陰が薄くなって命を縮める」という迷信を信じていたようで、広く普及することはありませんでした。ところが、明治に入って新政府が帯刀を禁じ、断髪を奨励すると状況は一変します。今まで慣れ親しんだ自分の姿を写真に残したいと思う人が、撮影を希望して多数押しかけたのです。とはいえ、初期のカメラは完成度が低く、露光時間も非常に長かったため、被写体はポーズをとったまま、約30分以上も動かずに耐えなければなりませんでした。写真を残すのも一苦労です。そこで考案されたのが、疲れやすい首を支える金属の棒でした。当時撮影された写真を見ると、不自然な表情や姿が目立つのは、このような理由からなのでしょう。
日本発の鉄道が、明治5年に新橋と横浜間を走った小型蒸気機関車だったのは、誰もが知っていることでしょう。これも、新政府が熱心に西洋化を進めた結果です。大方の庶民に乗車の経験は無く、生まれて初めて見る人も多かったと思います。開通を数ヵ月後に控えたある日、品川から横浜までの試運転列車に乗った客がホームに忘れたのは、何と「げた」でした。その人は、訪れた家の玄関で履物を脱ぐように平然と列車に乗り込み、座席に正座したまま終着駅まで言ったそうです。鉄道の忘れ物第一号が「げた」と言うのは、当時の風俗を反映しているようです。
すき焼きも文明開化が進んだ新習慣でした。と言うのも日本では、それまで一部地域を除き、牛肉はあまり食べられていなかったからです。西洋にはあこがれるけど、彼らの調理法であったステーキには少々抵抗があったため、薄く切って、ぶつ切りにしたねぎと一緒にしょうゆで煮立てたところ、日本人の好みに合ったというのが誕生の秘話とされています。
今では当然のように生活に溶け込んでいるものも、ルーツを探ってみれば、多くの人々が新時代の幕開けを実感した最先端の文明だったようです。