「同じ考えの人が三人集まったら、自分たちの勉強会を始めたら好いですよ。二人より三人ですよ。三人なら意見を出し合って丸くなって行ける。そこから輪と話が広がっていきます。三人集まったら連絡ください。わたしが講師に行きますよ。十日町は日本酒がおいしいから、講師料は清酒がいいなぁ」
NPO法人伴走舎理事の市嶋彰さんの訃報を平成二十五年十二月三十一日の新潟日報で知りました。市嶋さんとの出合いは、平成二十二年の夏に十日町市中央公民館で行われた講演会でした。演題は忘れてしまいましたが、内容は『若者の自立支援・就労支援について』でした。
公民館での出会いをきっかけに、何度か伴走舎に足を運びました。ひきこもり経験者や、その家族の人たちによって描かれた絵や苦しい経験を綴った詩等の作品が展示された『はじめの一歩展』にも行きました。音楽のライブパフォーマンスもあました。ひきこもり経験者が社会に繋がる第一歩を踏み出すきっかけ造りの場になっていました。市嶋さんやひきこもりの支援団体の人達によるデスカッションにも参加しました。
わたしは義務教育中に学校が苦手でもその後の経験の積み重ねにより、社会にしっかりと巣立っていく人たちとの出会いがありました。
ひきこもりをマイナス捉えるのでなくて、貴重な経験として蓄積して欲しいと思っていました。そのことを社会に伝えていきたい。でもどうやって、伝えたらいいのだろう。何をしたらいいのだろうと悩んでいた時に出会ったのが市嶋さんです。
雪降り前の冷たい雨が降っている新潟市での冒頭の言葉です。悩んでいるわたしへの助言でした。
平成二十二年の冬は、以前から患っていた変形性足関節症が悪化して、立つのも儘ならなくなっていました。市嶋さんの言葉は頭の中に刻まれているのですが、はじめの一歩がでませんでした。決心が出来ないまま歩けなくなり、翌年の九月に亀田第一病院に入院して両足を手術して退院したのが、平成二十四年の一月下旬です。
「歩くのがリハビリです」と、医師に言われても、寒いし痛いしと、こたつにしがみついて春を迎えました。
五月二十五日号の市報に「男女共同参画委託事業」の募集が掲載されていました。申し込み締め切りは六月十五日(金)でした。手術した足の金具を抜くための抜釘手術が六月十一日(月)に決まっていました。退院まで一週間の予定ですが、退院してからでは間に合わない。ここで腰を挙げないと又伸びてしまう。どうしよう?手術して忘れてしまったのならいいけど、こうして市報が目に留まるってことは、一歩踏み出したいんだ。
でも、入院するまで二週間しかない。
思い切って、何人かにメールをしてみました。そしたら、二人から返信がありました。わたしとで三人です。
やるっきゃない!
市役所に申し出ました。いろいろ細かいことを教えていただきました。行政経験も社会経験の無いわたし達三人で、五回シリーズの講話会を計画しました。
膝を交えての講話会にしたくて、講師は隣市の方にお願いしました。書類を整えて市役所に提出したのが八日の金曜日でした。いろいろ指導していただき再提出は退院後でもいいとの事でしたが、どうしても期日までに間に合わせたくて、点滴の付いている手で企画書を書きました。新津の友達から速達で投函してもらい受理されたのが、「子どもの健やかな成長を進めるために」です。
今年度は、「お茶にしようじゃねぇ会」の四回シリーズ。
未来への繋がりの意味合いを込めて、イタリア語でフォルットゥナとネットワークをくっ付けてフォルトネットと名付ました。
来年度の講師は市嶋さんを考えていました。市嶋さんの体調不良を風の便りで知ったのは、昨年の夏です。
市嶋さんの「志が同じ人が三人集まったら自分たちの勉強会を」の言葉で立ち上げたフォルトネットです。フォルトネットでたくさんの繋がりが出来ました。いろんな出会いがありました。その出会いを大切にして、市嶋さんの心を次世代に伝えていこうと思っています。