エレカシ前の私は何故だかいつも悩んでいて、落ち込みがちで、些細なことを気にしたり、このままじゃいけない、こんな自分を変えなきゃいけないと常に自分を責めていた。
まぁ主に人間関係を発端とした内省的な悩みが多かったんですけども。
ところがどハマり後、あれだけ悶々としていた気持ちを割と短時間にサラッと切り替えられるようになってしまった。
おそるべし愛の力

以前あれほどまでむさぼり読んでいた自己啓発系のブログの数々。
久しぶりに覗いてみたらまっっったく入ってこない。響かない。
びっくり。
そういう方々のありがたい言葉を欲していた自分をふと気づいたら通り過ぎていた感じ。
不思議だねーあれ。
もやもや悩んで答えを探している時にはそういう言葉は砂漠のようにどんどん吸収するんだけど、よーし!わかった!って気になっても、結局中毒のようにまた次から次へと答えを追い求める。
当時は本当に苦しくて必死でセミナーやDVDを定期購買したりもしたし

そんなことを何年続けただろうか?
うすぼんやりとこれは根本解決にならないな〜と感じ始めた頃、たまたまエレカシに出会い、頭のスペースをほぼほぼ埋め尽くされ、瑣末な悩みに頭を使うのがもったいなくなった。
そう、結論としては私はたぶん頭が暇だったのだ。
自分のことを重箱の隅をつつくような勢いで責め立て、人のことも分析しまくるだけ頭の中が暇だったのだと思う。
その頭の隙間を負の思考じゃなくてエレカシで埋め始めたら自分にとっての大事なものがすごくはっきりしてきた。
もうほんとに周りには申し訳ないのだけど、付き合いしている時間もお金もなくなった。
使える時間、財力、ぜんぶエレカシに使いたい。
もちろんそれ以上に家族と仕事と健康が大事なので、私の生活、今ほんとそれだけ。
こんなんで人から嫌われたとしても今やそれすら気にならない。
もういっそ、そういう人、ってことで全然オッケー。
と同時に、ダサい自分、時代遅れな自分、オタクな自分、臆病な自分、キャパ小な自分、も受け入れざるを得なくなった。
でもいろいろ自己啓発系を読んできたからこそ好きなものに思い切ってどーんと飛び込めたというのはある。
「自分の好き」を大切にしろと言っていたいろんな人の言葉がそれを経験してみて初めて実感できた。
初めはどっぷり浸かるのが恐ろしくて、なんか違う自分を見るようで怖いし、
なんせ競馬馬のように一方方向しか見れない性格なもので他がどうでもよくなってしまいそうだったし、
一日中そればっかり考えてしまいそうなのでかなり警戒してた。
結果その通りだった

けど、ここまで私が不動の好き!を貫いていると不思議なことに周りが少しづつ変わってくる。
夢中な私をデフォルトとして認識し始める。
で、やっぱり、そんな私を見たくない、聞きたくないって人も出てくる。
あからさまにバカにしたりとか。
分かり合えると思っていた友達にやられた時にはかなりショックだったけれども。
でもかえって、うんわかった、って思った。
こんなに楽しいのはいつぶりだろうってぐらいの私を認めたくない、受け入れられないって人はきっと今は合わない相手なんだろうと。
相手にも状況や心境がいろいろあるんだろう。
受け止めるだけの余裕が今はないのかもしれない。
いやー、怖いね。
人間関係にもヒビを入れてしまうほどなんて
宗教みたいだね(笑)
でも今私はだいぶいろんなことを受け入れられたし諦めもついたし、悩むことがめんどくさくなってきたし、みんなそれぞれに情熱を隠し持って生きてるのかもしれないと、人の好き!にも寛容になってさ。
だいぶ人に優しく自分らしく楽に生きられるようになってきたんだよね。
私自身は実は何も成長してないけれども。
むしろ幼児性が出てきたかもしれない。
相変わらず落ち込んだりムカついたりもある。
でも人生っていいことばかりじゃないけど勇気を出せば楽しいこともちゃんと同じぐらいあるもんなんだなーって、実感している今日この頃。
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