ファンになる前の私はエレカシに限らず、その対象アーティストがちょっとでも自分の理想と変わってくると、
歌い方が変わった、マンネリだ、大衆に媚びてきた、丸くなった、腹が出た、髪が薄くなった、などとヒドイ難癖つけてフェードアウトするのが常だった
エレカシは当時ファンというほどではなかったにしてもココロに花をや明日に向かって走れは好きでよく聞いてた。
そしてその後のシングルをラジオで聴いた時あっけなく冷めてしまった。
自分の好きな感じじゃなくなってきたなーと
あまり深入りもせずそのまま忘れてしまってました。
何かのファンという人たちはだいたいみんな全て肯定して盲目的なのが嫌だとも思ってた。
ところが、ファンになった今その気持ちがすごくよくわかるんだな。
エレカシを知れば知るほど簡単に否定できなくなった。
全ての音にエレカシ的には意味があるんだと思うようになったし、方向性を変えても宮本が考えてる事はきっとファンが求めるものと同じ視線のさらに先にあるんだろうと思うようになった。
もっと言うと、この見方は自分の身の回りにも向けられて、表に現れてるものだけで判断しなくなってきた。
何かに夢中になってる人を温かい目で見られるようにもなった。
私が昔早々と脱落してしまったのは愛と夢の頃で、もう少し辛抱強く聴いていたらやっぱりgood morningでまたガツンと衝撃を受けたんじゃないかと思うんだよなぁ。
紆余曲折をもう少し見守れたらよかった。
今またエレカシらしさが保たれるのかどうかが不安な局面ではあるけど、エレファントカシマシの一番のファンだと言う宮本を信じて待っていようと思う。
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