今朝は、「古賀淳也選手が水泳世界選手権で100m背泳ぎに日本新で金メダル」というニュースがありました。
その泳ぎを見ていると、ふつふつと思いだすあの頃・・・
古賀選手のような、日本のトップスイマー達を身近に見続けた時期がありました。
以前、「私の温故知新」シリーズで、大学スポーツ新聞部の記者時代の頃のことを書きました。(こちらです→* )
この記事は、大学バレー部担当記者時代の思い出なんですが、他にも水泳部と空手部を担当しており、実は、記者としてはバレーボールよりも水泳の取材の方が中心でした。
それは、当時、私の大学の水泳部には、日本を代表する選手がいたからです。
当時私が書いた記事
(興味のある方はクリックして大きくしてご覧ください)
それは、バタフライの設楽義信(しだらよしのぶ)選手です。
設楽選手は、モスクワ五輪の代表選手に選ばれました。
でも、残念ながら、日本はモスクワ五輪をボイコットして不参加でしたので、「幻の」五輪選手となってしまいました。
設楽選手は、水泳部と言っても、大学水泳部の試合には出場しなかったので、普段はほとんど会いませんから、あまり親しくなれませんでした。
今で言う「イケメン」だったんですけど・・・
一方、もう一人、さらにすごい選手がいて(上の新聞記事の右下の選手)、もともと個人メドレーの選手ですが、この時に初めて出場した背泳ぎで日本新を出してデビューを飾り、その後も出るレース、出るレース、日本記録を更新、一躍注目の選手となりました。
それが高橋英利選手です。
(設楽選手が私より1学年上、高橋選手が1学年下です)
この二人の選手がいたおかげで、1面の記事をたくさん書き、記者冥利に尽きる思いをさせてもらいました。
高橋選手の記事
高橋君は人なつこい子で、水泳部の試合にも時々出たので、待ち時間を一緒に過ごしたりして、よく話しました。
日本新を続出する高橋君の取材では、当時の日本水泳界では有名な方々への取材や、トップレベルの選手たちが出場する大会での各新聞社の運動部記者に混じってのプールサイドでの取材など、今の私からは信じられない貴重な経験をしました
一番記憶に残っているのは、カナダの選手への突撃単独インタビューです
「日本室内選手権」という大きな大会に、世界ランク入りのカナダの選手が特別参加しました。
その選手に高橋君についての感想を聞きたいと、無謀にも思いつき
出番待ちの高橋君に「ちょっと、ちょっと・・・」と手招き
「なに」
「あのね~、カナダの選手にインタビューしたいんだけど、通訳の人に話つけてくれないかなぁ」
「う~~ん、やってみる」
あまりに大胆かな~、無理だろうな~と思っていたら、高橋君がカナダの選手を連れてやってきたのです
それも、通訳なしで
恥ずかしながら、当時も英会話に全く自信なしの私です。
結局聞きとれたのは「タカハシはナイスストローク」のみ
その一言だけで、記事にしたのでした~~
また、水泳部にはユニークなキャプテンがいて、試合では一緒にいることが多かったので、かなり楽しかったです、笑いっぱなしで~
そのキャプテンから、夏休みの宿題を押しつけられたりしたこともあります
(私の手に負えなくて、結局私のクラスメートに助けてもらったのですけど・・・)
水泳部担当記者としては、そんな充実した日々を送ったのですが、今日の古賀選手が泳ぐ映像を見て、楽しい日々を思い出してニンマリしてしまった私でございます
で、気にかかっていることが一つ・・・
設楽さんは、現在、水泳連盟のお仕事をされているようで、時々水泳の大会などでのテレビ解説者として拝見し、あ、お元気なんだな~とわかるのですが、高橋君は全く見かけません。
もし、消息をご存じの方がいらしたら、教えていただけると嬉しいです。
当時は、実家が八王子にあるお蕎麦屋さんで、「後を継ぐかも」と言っていました。
今はお蕎麦屋さんをしているのでしょうか
すごく気になっています。