平日、朝9:33。
弟の携帯にLINE通知。
じぇふ 「※1撰銭令超絶出てたw」
10:16。再び通知。
じぇふ 「※2浅井氏まで出すしまつ。」
◆
私の弟は技術者をしている。
加工がどうとか、修正がどうとか、そういう感じの業務に追われ、いつもお疲れ気味である。
しかし私は、それでも伝える。
撰銭令がいっぱい出ている!!と、いうことを!!
知識を共有することで、感動が共有できるからだ。
忘れぬうちに業務連絡もしておこう。
じぇふ 「ところで※3多聞院さんとこの記述、一か所直しといたから。確認して間違いなかったらチェック外しといてちょ。それと『大日本古記録』そっちある?」
「帰ったら確認するね」
弟はそう応えた。
そして仕事に戻ったようで、夜になるまで連絡はなかった。
弟から電話がかかってきた。
「こっちに史料あったよ、お姉さん」
「おう♪ で、なんて書いてる?」
「えっとね…天正4年は…」
「ギャーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!シオンちゃんくいこんでるくいこんでるシオンちゃん!!!!!左のおててを!!少しだけ右にズラしてーーー!!!!!!」
「で…でぇじょうぶか?(笑)」
弟の夢は、隠居して心穏やかに暮らすことだそうだ。
だが、まだまだ叶いそうにない。
■用語の説明■
※1 撰銭令
当時の通貨は中国からの輸入品を使用していたが、経済の発展と共に通貨自体が品薄となったため、たとえ質の悪い偽物であっても一定のレートで取引できるよう定めた。そんな法令。
※2 浅井氏
近江国(滋賀県)を領地とした豪族で、織田信長の妹を妻にした浅井長政が有名。
元六角氏家臣であったが独立し、信長との同盟を結ぶが後で裏切った。
※3 多聞院
大和国(奈良県)興福寺にあった多聞院の、織田信長が生きていた頃の住職、多聞院英俊を指す。
当時の奈良で起きた出来事、ゴシップ、オカルトを記した『多聞院日記』を残す。
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