皆さん、こんばんは!椎名です。
いつも読んでいただきありがとうございます。感謝します。
リズ山崎氏(心理セラピスト)に学ぶ人生を生き抜くためのヒント・・・
正しいことはよいことですが、正しくあろうとする気持ちが、人にも正しくいさせようという気持ちになり、いつしか支配的になることもあります。
20代の半ば頃、ロサンゼルスでホ‐ムレスへのボランティア活動をしていたときのことです。
ホ‐ムレスの人たちに順番でサンドイッチを手渡していくのですが、あるとき最後のほうになると、一人の黒人男性が何度ももらいに来たのです。
サンドイッチは残っていれば全部配ることになっていたので、私は気になりながらも渡していました。
その後、後片付けをしていたところ、パンだけが何枚も地面に捨てられているのを発見しました。
「何度ももらいにきたあの人が、中身のハムやチ‐ズだけを食べて、パンをそのまま放り投げていたに違いない」とすぐわかりました。
私は最高に腹が立って、ゆるせない、わからせてやりたい、という気持ちでいっぱいになりました。
そして、リ‐ダ‐の白人男性に、そのことを抗議しました。
リ‐ダ‐は作業しながら、ふんふん、と聴いているばかりです。
私は、捨てられているパンを指差して、「で、どうしたらいいの!?」とリ‐ダ‐に訊ねました。
するとリ‐ダ‐は、その手を止めて穏やかにこう答えました。
「鳩が食べるから、そのままでいいよ」私は胸を打たれました。
返す言葉もなく、自分のボランティア精神というものが、どんなにちっぽけで、どんなにいやらしく、どんなに不純なものであったか、思い知らされ、ただ立ち尽くすことしかできませんでした。
正しいことをしているからといって、相手を批判し、ゆるせない気持ちになりやすい心、立派な立場だからと人を支配できると、思いあがる心。
そんな心が私の中にあったであろうことを思い知り、自分が恥ずかしくなりました。
ほんとうの意味でのゆるしとは、ただ単に、その出来事や相手に対してどうかするというのではなく、「すべてはうまくまわっているのです」という真実が、もっとその外側に大きくあるのだ、ということを知る・信じるということなのではないか、そう考えるのです。
(願いは、ぜったい叶うもの!青春出版社)
自分は正しい生き方をしているのに、なぜあの人間はそうしないのか・・・。
あの人間もそう正しく生きるべきだ・・・。
自分自身で“正しさ”を定義し、その通りに生きていくのは自由ですが、その“正しさ”を他人に当てはめようとすると、そこには怒りや憎しみが生じ、さらには大きな争いに発展していってしまう恐れもありますよね。
正しく生きるというのは一見、良いように思えますが、そのような人は「○○すべきである」や「○○しなければならない」が多過ぎて、実は周囲の人たちに災いを振り撒く人とも言えるのかもしれません。
やはり、どちらが“正しい”かではなく、どちらが“楽しい”かで生きる方が人として自然なように思います。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。