隣に寝てた男が「うっ」という声で胸を抑え、しばし、空を掴むような手の動きをしたと思ったら、ガクッと布団の上で倒れた。
あっという間の出来事に葉瑠子は、最初は「キャ」と短く叫んだが、男の顔から生気のようなものが感じられず、慌てて彼の胸に耳をあてた。
つい何分か前までは、その鼓動の音を聞きながら眠っていたのに、何も聞こえてこない。
それどころか、男が自然と放出していく尿で濡れていく布団や毛布類を恐れた顔で眺めていた。
「どうしよう」
呟いた声に返事するものはいない。
ここは、田舎町からも離れた山の中のイワユルラブホテルである。
そして、葉瑠子も自分の本名を言わず「リーフ」と紹介していたし、相手の男も「ナガレ」と言っていた。
一度きりの相手と思っていたのに、何度も会うことになり、お互いに家庭があることも承知していたので、このような場所での逢瀬になるのは、まぁ、仕方ないとどちらとも割り切っていた。
だが、相手に心臓の持病があることも知らなかったし、あきらかに急性の心不全?と判断するのも、自分の父も似たような症状で亡くなったからだが、それにしても・・困ったことになったと葉瑠子はない知恵を働かせていた。
だがラブホテルの退室時間も迫ってきてる。
まず、ここから出るのは簡単だ。
「ナガレ」が乗ってきた車でチェックアウトして、2人が集合場所で選んだ駅の駐車場に行き、自分の車に乗り換えて帰ればいい。
ラブホでバイトをしていたこともある葉瑠子は、入出のときに男なり女なりは隠れるようにして来るのが常だし、そのときはあまり見てはいけないというルールも知っている。
なので、1人で出てもわかりはしない。
お金さえ払えば何もなく出庫すればすぐに清掃となる。
それも10分以上かけてはいけないことになってるので、手早く済ませるというのも基本だ。
それはともかく、まず、自分の存在が相手の家庭に知られてはならないという事を咄嗟に考えた。
彼の持ち物を探し、スマホは、無造作にテーブルの上にあったので、そこから自分の番号を消した。
それから彼が着ていた服や持ってたバックから免許証を探したが見当たらないので、車の中だと思った。
あとは財布からラブホの利用代金だけ出して、出納BOXに入れる準備だけしておいた。
この出納BOXに代金を入れてから10分以内に退出しないと追加料金が発生するようになってるので、とりあえず、自分の身支度をして、肌のままで放尿してる男には、頭まで上掛け布団を被せておき、テーブルの上のスマホはそのままにして、車のキーを手に取った。
「ナガレ」の車はランクルなので、あまり自信はないが、運転をしないと出ていけないのだから、「なんとかなるでしょ」と葉瑠子は、自分に言い聞かせた。
さっき、財布を見たとき1万円札が30枚近くあるのに気がついてたが、それはそのままにしておいた。
バックや服もそのままで、あとはラブホの従業員が考えればいいことと思うことにした。
余計なことをしていらぬ疑いをかけられるのは、葉瑠子のもっとも避けたいことである。
BOXにお金を入れ、ざーっと見回し、死臭というかオシッコ臭いので、備え付けの消臭剤を大量に噴出させて、部屋を出た。
ランクルに乗って、すぐにエンジンがかからないと焦ったが、最新式でボタン操作一つでかかる仕様になっていた。
そこからは、「焦らない、焦らない」と呪文のように言いながらゆっくりと出庫していった。
ラブホの裏手から見たとき、ちょうど従業員が自分たちの部屋の入っていく様子が見えたが、それでも、布団に隠した死体を見つけるまではもう何分かあるはずだ。
その間に本線の道路に出ていき、そこからも「事故を起こしたら元も子もない」と言い聞かせながら、最初に待ち合わせた駅の駐車場まで行き着いた。
そこで、自分の車と乗り換えだが、その前に「ナガレ」がどこの誰だったかを確認するため、免許証を見た。
免許証は葉瑠子が思った通り、車のダッシュボードに入っていた。
「藤見流一」
なるほどそれで「ナガレ」なのかとクスッとなったが、住所を見て驚いた。
葉瑠子が住むすぐ隣町だった。
「ナガレ」はよく広島市内の話をしてたから、てっきり広島市内かと思ってたのだ。
それにしても、今までニアミスすらなかったのがふしぎだったが、「ナガレ」はよく夜勤の話もしてたから、昼間は殆ど外に出ず寝てたのか。
そのうち、涙が溢れてきてる自分に気がついて、葉瑠子は、自分がかなり「ナガレ」に心を持っていかれてた事を今更のように知った。
続く