またまた久しぶりのブログです。書くペースが不定期で申し訳ありません。。。こんな更新が滞るブログですが、アクセスは毎日だいたい決まった同じ数字が出ている。
毎日、決まった人がアクセスしてくれているのかと思うと、ありがたいと同時に更新しないから申し訳ないなーと思いやす。
僕も毎日だいたいチェックする知り合いや他の人のブログはあるのですが、なんか人のブログって更新されてるのを気になってクリックするのが日課みたいになってしまうもんなんですな。とりあえず押してみるかって。。まぁ、これはこれぐらいで。
今年の梅雨は空梅雨のような気がして水不足が心配になったりするんだけど、そう思うと日本のどこかでは最高降雨量を記録する豪雨が降ったりしている。バランスが狂ってきてるんだなーと最近は思うようになってきたけど、狂ってきてるんではなくて変わってきてると認識したほうがいいじゃないかな。じゃないと、毎年毎年、異常気象と聞いていると正直滅入る。。。。何が普通なんやろと考えるのがめんどくさいのです。
僕らの子供の頃の気象と今の気象は確かに違う。僕らの親の世代もそうだろうし、その上の世代もそうだと思う。とりあえず変化しつづけて、そんで人が過ごしやすい環境ではなくなってきている。しかし、この50年で地球の気象ってすんごい変化したんだろうね。ものすごいスピードで。
今、サミットのおかげで環境問題が注目されて報道されているけど、気になるのが「エコカー」なるもの。エコカーもいろいろあると思うんだけど、ハイブリットカーは確かに燃費がよくて、化石燃料の消耗は減らせると思うけど、でも電気作るのも化石燃料を必要としやす。トータルで考える省エネって結構難しいとおもうんよね。。。。一時的ではなく長期的で広い範囲で考えた省エネってなんですかね?-。原子力発電も人体、環境への安全性とかが保障されたら、ものすごいエネルギーだと思う。。。
こういう技術って今、もっとも必要なんやろね。50年の気象の変化を5年で元に戻せる技術が必要とされているのが環境問題ではないでしょうか。。。あんまり環境の事を知らずに書きましたが、ともかく電気は小まめに消して、少しでも化石燃料を燃やさないようにと。。。微々たるものですが。。
話が急に変わりますが、最近自分の実家で飼っていた犬が電車にはねられて亡くなってしまいました。飼い始めて今年で17年目でした。最近は目も耳も歳で衰え、おばあちゃん犬でしたが歳をとればとるほど愛くるしい犬でした。
東京に来てから、愛犬に会えるのは年に数回になってしまいましたが、実家に帰省するたびにまだまだ愛犬は長生きするなと思っていました。
予期できない別れでしたが、正直、「別れ」という実感がわきません。離れて暮らしているからか実感がわかないのです。実家に帰ったら普通に愛犬が居るような気がします。いつもの場所で寝ている気がします。
ただ、その「気がする」という感情の中に「もういない」という感覚をぶつけると、なんとも言えない感情が胸に生まれます。悲しいや寂しいではなく、虚無感というのでしょうか。これを感じると、ああ、人というのは簡単に「穴」があく生き物なんだと思います。それはそれは簡単に。大切なものほど深層にあるんですな。そして、それは時間をかけてゆっくりと深く深く潜るのです。
実家にいる家族全員で愛犬のお墓を掘って埋めてあげたみたいです。まんなかの兄が(僕は兄弟で一番下です。)愛犬を埋める前と埋めた後にその場で泣いていたと聞きました。
それを聞いて、その光景を僕は自分がその場にいるようにイメージできました。梅雨の降り続ける雨のなかで兄は愛犬に別れをつげて、しとしとと泣いていたのだと想像できたとき、僕の中で愛犬が居なくなって生まれた「虚無感」が悲しさと寂しさに変わりました。そして、それは大気が生命に満ちる梅雨という時期には不恰好で似合わない感情だとただそう思うのです。
毎日、決まった人がアクセスしてくれているのかと思うと、ありがたいと同時に更新しないから申し訳ないなーと思いやす。
僕も毎日だいたいチェックする知り合いや他の人のブログはあるのですが、なんか人のブログって更新されてるのを気になってクリックするのが日課みたいになってしまうもんなんですな。とりあえず押してみるかって。。まぁ、これはこれぐらいで。
今年の梅雨は空梅雨のような気がして水不足が心配になったりするんだけど、そう思うと日本のどこかでは最高降雨量を記録する豪雨が降ったりしている。バランスが狂ってきてるんだなーと最近は思うようになってきたけど、狂ってきてるんではなくて変わってきてると認識したほうがいいじゃないかな。じゃないと、毎年毎年、異常気象と聞いていると正直滅入る。。。。何が普通なんやろと考えるのがめんどくさいのです。
僕らの子供の頃の気象と今の気象は確かに違う。僕らの親の世代もそうだろうし、その上の世代もそうだと思う。とりあえず変化しつづけて、そんで人が過ごしやすい環境ではなくなってきている。しかし、この50年で地球の気象ってすんごい変化したんだろうね。ものすごいスピードで。
今、サミットのおかげで環境問題が注目されて報道されているけど、気になるのが「エコカー」なるもの。エコカーもいろいろあると思うんだけど、ハイブリットカーは確かに燃費がよくて、化石燃料の消耗は減らせると思うけど、でも電気作るのも化石燃料を必要としやす。トータルで考える省エネって結構難しいとおもうんよね。。。。一時的ではなく長期的で広い範囲で考えた省エネってなんですかね?-。原子力発電も人体、環境への安全性とかが保障されたら、ものすごいエネルギーだと思う。。。
こういう技術って今、もっとも必要なんやろね。50年の気象の変化を5年で元に戻せる技術が必要とされているのが環境問題ではないでしょうか。。。あんまり環境の事を知らずに書きましたが、ともかく電気は小まめに消して、少しでも化石燃料を燃やさないようにと。。。微々たるものですが。。
話が急に変わりますが、最近自分の実家で飼っていた犬が電車にはねられて亡くなってしまいました。飼い始めて今年で17年目でした。最近は目も耳も歳で衰え、おばあちゃん犬でしたが歳をとればとるほど愛くるしい犬でした。
東京に来てから、愛犬に会えるのは年に数回になってしまいましたが、実家に帰省するたびにまだまだ愛犬は長生きするなと思っていました。
予期できない別れでしたが、正直、「別れ」という実感がわきません。離れて暮らしているからか実感がわかないのです。実家に帰ったら普通に愛犬が居るような気がします。いつもの場所で寝ている気がします。
ただ、その「気がする」という感情の中に「もういない」という感覚をぶつけると、なんとも言えない感情が胸に生まれます。悲しいや寂しいではなく、虚無感というのでしょうか。これを感じると、ああ、人というのは簡単に「穴」があく生き物なんだと思います。それはそれは簡単に。大切なものほど深層にあるんですな。そして、それは時間をかけてゆっくりと深く深く潜るのです。
実家にいる家族全員で愛犬のお墓を掘って埋めてあげたみたいです。まんなかの兄が(僕は兄弟で一番下です。)愛犬を埋める前と埋めた後にその場で泣いていたと聞きました。
それを聞いて、その光景を僕は自分がその場にいるようにイメージできました。梅雨の降り続ける雨のなかで兄は愛犬に別れをつげて、しとしとと泣いていたのだと想像できたとき、僕の中で愛犬が居なくなって生まれた「虚無感」が悲しさと寂しさに変わりました。そして、それは大気が生命に満ちる梅雨という時期には不恰好で似合わない感情だとただそう思うのです。