あまり、僕は本を読むほうではないんだけど、外国を旅しているときなどは同じ本を何度も読み返していた。何度も何度も。好きな本はほんと何度でも。

 読むという行為によって、字のなかに込められているものが少しずつだけど見えてくる。「、」「。」の道しるべに従ってたどり着く場所、そこは作者が最初にいた場所。書き手はそこへ読み手を誘導し、読み手はそこを目指す。たどり着けなければ読み手はふわふわと漂流し、導けれなければ書き手は言葉の効力を失う。

 表紙のページをめくった瞬間から駆け引きがはじまるんだ。書き手と読み手の駆け引きが。期待と不安が交差し科学反応を起こして、最下層に沈殿した感情の化合物は時間が経っても方程式をくずさない。そんな感覚をページをめくる度にいろいろな本はくれる。

 ある役者は俳優という職業をやめれない理由として、自分とはまったく違う人生を俳優という役を通して疑似体験できるからだと言っていた。それがたまらないからだと。

 本というのもそれに近いような気がする。ある人間が時間を積み重ねて書き上げたものを読み手は短時間で吸収する事ができる。二時間で読み上げた本は二年かかって書き上げられたものかもしれない。

 そう思うとページをめくるたびに時間という概念は多視的な意味をもつんじゃないだろうか。あなたの5年分の感性を僕は5日間でもらう。僕の1時間の感性をあなたは3分で知ってしまう。んー、ラッキーでズルい。

 しかし、もっと本を読みたいなー。寝ても覚めても本を読みたい。読んで頭の経験を積み、動かして体の経験を積む。それをあわせて僕の感性とする。

 こんな事書いた理由は、ある物語を書きたいなと考えていて、このブログはその訓練みたいなものです。まだ固まっていない部分があるけど、これから本当に書いていかなくちゃなー。

 ページをめくればめくるほど自分の感性を相手に贈れて、そのかわりあなたの貴重な時間をもらえるほどの物語をかきたい。
 
 そのために、今、写真と言葉はしっかりと身に付けたい。

 もっと撮って、もっと思って、価値あるページを増やせるように。