キリスト教と仏教の説話が似ている例として、きょうは「放蕩息子のたとえ話」を取り上げたい。ここでいう放蕩息子とは、必ずしも酒色にふける道楽息子という意味ではない。新約聖書に出てくる放蕩息子は、父の財産を分けてもらって家を出たが、財産を浪費し尽くし、飢饉に見舞われて困窮する。法華経の放蕩息子は、家出をし衣食を求めて放浪するが、食うや食わずの生活に疲れ果てる。


「ルカによる福音書」第15章にある、イエスのたとえ話のあらすじはこうである。「ある人に息子が二人あり、弟が父に財産を分けて欲しいと言う。父が応じると、彼はすぐに遠い国に出かけて、財産を使い果たす。その国に飢饉があり、食べることにも事欠いた。やっとありついた仕事は豚飼いだった。飢えに苦しんだ彼は、父の元に戻り、犯した罪を認め、父の雇い人にしてもらおうとする...


ところが、息子の姿を遠くに認めた父は、駆け寄って放蕩息子を抱きかかえる。下僕に命じて衣服を整えさせ、すぐに肥えた子牛を屠って宴席を設ける。出奔しておきながら、這々の体で帰ってきた弟がちやほやされるのを見た兄は、父に不満を言う。父は兄をたしなめ、お前の弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから、一緒に祝おうではないかと言った。」


イエスはこのたとえ話により、神の愛の偉大さを教えようとした。話に登場する父は神であり、出奔した放蕩息子は、神から離れた罪深い人を表す。父の下を離れず、勤勉に父に尽くした兄は、ユダヤの支配階級を指すと思われる。彼らは自分の方が正しいのに、罪を犯した民衆が先に救われるのは、道理に合わないと考えた。だが父の視点からは、出来の悪い子こそ不憫で可愛い。


より身近に教訓を探すと、凡人の一生もこの放蕩息子のようなものだ。若い時には自分に自信があり、勉強や仕事においても、恋愛や家族関係においても、存分に好きな事をしている。しかしどんな人でも、やがては自分の限界を知る。子どもに期待しても、期待通りにはいかない。両親や親しい友人を亡くす歳にもなる。けっきょく人は自分の弱さを知って、心の救いを求めるようになる。


法華経の信解品(しんげほん)にも、「放蕩息子のたとえ話」がある。「ある人が若い頃に家出した。他国に住み、長い年月がたった。衣食を求めて放浪し、食うや食わずの生活に疲れ果てて、故郷に帰ろうとある国に入る。その人の父は、出奔した息子を探したが、行方が分からないままその国に住み、長者になっている。家には金銀があふれ、ゾウや家畜の数も数え切れないほど多かった...


そこへ乞食のような男が現れる。父は男を一目見てわが子と知る。息子はとんでもない金持ちの家に来てしまい、目の前の長者が父だと気がつかない。しかし父は息子を近くの小屋に住ませ、自分の邸宅で便所のくみ取りなど、下僕の仕事をさせる。長い年月が経ち、息子は家の財産管理も任される。やがて長者は死期が近づく。息子を枕元に呼び寄せ、初めて実の父だと明かす。」


二つのたとえ話は、ストーリーが少し異なるが、メッセージはほぼ同じである。違いは、聖書の放蕩息子は、悔悟を持って父の下に戻ったので、すぐに許されるのに対して、法華経の放蕩息子は、知らずに父の家に帰り、そこで下積みの苦労をしてから、再び子として迎えられる。父の歓迎ぶりは異なるが、息子への愛情は東西で変わらない。父は戻ってきた息子を必ず受け入れるのだ。


キリスト教と仏教は、遠く隔たっている印象を持ちやすい。しかし大乗仏教は、キリスト教の影響で、罪の赦しや浄土という、原始仏教にはなかった概念を取り入れた。親鸞聖人は「善人なおもて往生を遂ぐ。いはんや悪人をや」と説いた。善人でさえ救われるのだから、仏陀は罪を犯した悪人を憐れみ、極楽往生させて下さるに違いないと言う。これはキリストの教えと、基本的に同じである。



Chopinの散歩道-ムリリョ作「放蕩息子の帰還」

(写真:スペイン・バロック期の画家B.ムリリョ作

「放蕩息子の帰還」1667 米ナショナル絵画館蔵)