長い間、引きずっていた事や、忘れたくても忘れられない出来事や人だったりがあったりしました。
でも、今になってみると、価値観の違いだけで、表現の違いだけで、相手はこちらを傷付け様とした訳でも陥れようとか、利用しようととか思っていた訳でもないのかもしれないなぁとか、はたまた誰かのやっかみとか、ひがみとかで、お互いに誤解し合ったままになってしまったんかもしれないなぁ…なんてふと思う事があります。
私は、よく人を信じやすいと言われます。
案外、疑う事を知らないと言うか、本当に悪い人なんて居ないのかもしれないと思いがちで、危険だったりします(笑)
でも、騙すよりも、裏切る側よりもそれで良いのかなとぁ・・・。
自分の弱点でもあり、短所でもあるのかもしれないけれど、そして、こういう仕事をしている割に人を見る目ないのかもしれないですが
話は戻りますが、人に裏切られたり、いじめられたり、嫌な思いをすると、恨みとか、憎悪とかの感情を抱きがちです。
でも、そういう感情からは何も生まれないのです。
怒りは人をダメにします。
そして、そういう感情は一生持ち続ける事って出来ないのだと思います。
自分が壊れるか、はたまた許してしまうか、忘れてしまうか。
自分が壊れる事には心の崩壊以外に、身体の崩壊もあります。
怒りという感情は身体に蓄積されると病気の根源になるのです。
それって、決して自分に良い事ではありません。
水に流すってとても大切な事。
感情を水に流す、無かった事にしましょう、許しましょうって水に流す様に気持ちを流します。
それがなかなか出来ない時には、その気持ちを文章にします。
そして、それを本当に流します。
紙に書いてそれを流すという作業をする事でそこに自分の気持ちも一緒に流す事になります。
そんな事をしてもなかなか難しいという場合。
私の様にその感情ととことんお付き合いするのも良いのかもしれません。
それは、あまりお利口さんな行動ではないかもしれません。
でも、自分が許せないとか、傷付いているって気持ちを認めてあげないと誰も気付いてくれないのです。
そして、それを否定する事になるのです。
手離せる迄、ちゃんと認めてあげる事。
それが自分自身のケアになります。
そしたら、きっと、いつか、手離せる。
いつか、理解出来るかもしれません、相手の事。
生き方は違っても、その時間を共有した事に変わりはありません。
その時間を否定する事は、それは自分自身も否定する事になってしまうから。
許すってとても大切な事。
人を許す事も、自分を許す事も、イケナイ感情を持ち続ける事も。
それがどんな感情でも許すって事。