私の住む街、いや、県も被災地です。
いや、被災地だった・・・の方が正解なのかな。
今では、私も含め、平和ボケしているなぁって感じます。
マスコミでももう3.11の事は滅多に出て来なくなりました。
今、あちこちの道路で補強工事が行われていて、あちこちで大渋滞になっています。
どの道も一気に行っているのでどこの道を通っても渋滞にはまってしまうと言う有様です
救急車も通れない位だと聞きます
まだまだ完全ではない事も爪跡が残っている箇所も色々知っています。
そういう意味では被災地なのだなぁって感じるのですが。
でも、平和ボケだなぁって感じます。
相方のお店では、食べ物が無かった頃には誰もが食べ物を大切に残さずに食べて下さっていました。
でも、今ではサラダバーを取っても大量に残す方が多発しています。
携帯で地震速報が鳴っても誰も立ち上がりません。
もう大きな地震は来ないと思っているのでしょうか。
実は、今朝程の話なのですが、娘と一緒に近所の広場で遊んでいる時の事でした。
小さなお子さんをお連れになった方がいらっしゃいました。
で、お子さんがそこの水道の水で遊び始めました。
1つの蛇口を噴水にして遊び、もう1つの蛇口から大量の水が流れています。
公園のその周辺はみるみるうちに水浸しになって行きました。
で、暫く我慢していたのですが、どうしても我慢出来ずに言ってしまいました。
3.11の時のお水の無かった時の事、未だ東北では通常の生活に戻れていない方が沢山いらっしゃる事をどう感じているのかって。
子供の水遊びにそんなに目くじら立てる事ではないのかもしれません。
折角の親子の時間に水を注してしまった感で、申し訳ない気もします。
でも、この公園の水もあの地震の後にはずっと止まっていて、最近復活したんじゃないかなって感じなのです。
でも、あの時、誰もが水の大切さやこの生活が当たり前だと感じていた事を痛感したのではないのかなぁって思うと、何だか不思議な気持ちになります。
お子さんに水の有り難さや食べ物の大切さ、今在る生活のありがたさを伝えて行く事も親の大切な役割なのではないかなって思うのです。
でも、そういう大切な事を正直に言っている人々の方が恨まれたり、悪く言われがちです。
友人は、身障者の駐車場に健常者が駐車するとちゃんと言いに行くそうです。(これって、凄い事だと思う!当たり前の事なのかもしれないけれど!)
でも、旦那様に、
「いつか刺されるぞ」
と心配されると言います。
私も幾つかの理不尽な事に抗議した事がありますが、やはり周りの方々から同じ事を言われました。
見知らぬ誰かに恨まれたり憎まれたりする怖い世の中なので誰も波風立てない様な世界になっています。
誰もがお腹の中に本音を貯めて、建前だけで生きている様な世界になっています。
そんな中、オバちゃんになると、何故かこういう正義感が強くなるのって女の性ってヤツでしょうか。
年を重ねると図々しくなるのかな・・・。
間違った事は間違っていると正直に言える、そんな世の中になればいいのですが。
やっぱり、私は、あの3.11の時の気持ち、そして、未だに普通の生活に戻れない方が多く存在する事を知って、私達もどんなに小さな事でも出来る事をして行くべきなんじゃないのかなって思います。
今日、私が抗議した親子さん、傷付けてしまったり、大切な親子の時間を不快にさせてしまったとしたら、それはそれで、申し訳ないけれど、でも、この方が、地震で苦しんでいる方の事を思い、同じ様な場面に出くわした時に、同じ様に感じて下さったらありがたいなぁって感じます・・・これって単なるエゴなんですけれどね。