ある方がお子様の事で悩んでしました。
お子様の将来の事がとても心配だとその方は言いました。
お子様に本当はこういう道に行ってほしかった・・・とその方は嘆いていました。
でも、子供って自分の思う通りにならないものなんだねって。
そう、子供は自分の所有物ではありません。
自分のお腹の中から産まれ出て来ても、それでも、自分のお腹を貸してあげただけであって、所有出来るものではないのです。
神様と約束をしてこの地に産まれる時に、この親の元でこういう風な人生を歩むと約束して来ただけの事。
そうは言っても親だから、とても心配になるのは理解出来ます。
ふと、その時、
「私もね、親の思う通りに育ってないよ(笑)」
と自分自身の事を話し始めている自分が居ました。
私の周りは案外自分が子供の頃の事を覚えている方が少ないです。
私は、何故か、事細かに、どうでも良い事迄覚えています。
だから、あの頃の自分の気持ちを振り返る事がちょっと得意です。
父親は私をお嬢様に育てたかったらしく、学校もエスカレート式の学校に小学校から入れて短大にも行かせてちょっとOLやらせて、お嫁にでも行かせたかったみたいです。
子供の頃、学校の宿題で「両親が自分に将来何になって欲しいのか」を聞いて来ると言う日がありました。
母親は私に、
「好きな事をしなさい」
と言いました。
周りのクラスメイトの親達は、「医者」「弁護士」「看護士」「パイロット」「社長」とか素晴らしい事を言って来たみたいでした。
それを何故か無記名で提出して、先生が発表しました。
で、「好きな事をしなさい」と漠然的なこの言葉に、クラスメイトの男の子がこう言いました。
「好きな事をしなさいって、人殺しをしてもいいんですか?」
(・・・)
ばっかじゃないの?と思いつつ、私は何も言いませんでした。
私は子供の頃の話を一生懸命その知人に語って行くうちに、またまた自分の事を発見してしまいました。
私は、子供の頃に考古学者になりたかったんです。
学校で教えてくれる歴史では物足りなかった。
もっともっとその先が知りたくて、教科書に載っていない事をマニアックに調べたり読みあさったりする変わった子供でした。
先生にも親も「とにかく言われた事だけ勉強してほしい」とお願いされました。
それで、世界中を旅してみたいと思っていました。
そんな話をしているうちに脳裏に様々な物が浮かんで来て・・・。
何で、知りたかったのかが分かりました。
私自身の過去性を知りたかったのだと。
その土地で昔々の自分はどうやってどの様に生きていたのかをしりたかったのだと気付きました。
気付けば行きたいと思っていた場所は過去性の記憶のある場所ばかりでした。
子供の頃から、そういう事に敏感だったのは、自分の過去性が今の私を呼んでいたのかもしれません。
自分の事を話し終えてみて、自分の事を居知るなんて・・・。
自分の事を話してみる事は自分を知る事なのかもしれません。
話は全くそれてしまいましたが、今、気付けば、「好きな事をしなさい」と言った母親の言う通りに生きているのかもしれません。
それが、親の望んだ生き方かは疑問ですが、子供が幸せそうなら、親はそれで幸せなのだと思うのです。