私の目の前に今パソコンが有ります。
当たり前だけれど、目線上にあります。
当たり前だけれど、これが当たり前ではありませんでした。
地震があった直後、自宅の入り口が開きませんでした。
娘が中に閉じ込められていました。
相方が何とかこじ開けて娘を外に連れ出し、暫くは家に入る事が出来ませんでした。
家は傾いてしまいました。
少し落ち着いてから相方が中の様子を伺いに家の中に入ると、パソコンやテレビは台から落ちて倒れていたそうです。
動くかどうか分からなかったから取り敢えず起こして来たと相方は言っていました。
電気が通ってからも傾いた家は怖かったので車中泊をしていました。
パソコンもテレビも無い生活をしていました。
奇跡的にパソコンが壊れていなくて使える事が分かってからもいつ地震が来るか、そしてまたいつパソコンが落ちるのか分からなくてパソコンはそのまま直置きして使っていました。
腰の痛い事痛い事・・・
そして、腰痛になるよりはと使用する時だけ台の上に置く様にしました。
画面の大きなパソコンは新しい薄型とは言え、重い事重い事・・・
・・・そして、気付けばそのままパソコンは台の上に乗ったままになりました。
それだけ、平和になって来たって事でしょうか。
当たり前の位置に有るって有難くて便利です。
人はその当たり前の幸せに囲まれて生きています。
当たり前が当たり前で無くなると、人はその有難さを痛感します。
だから、神様は時々その当たり前に甘んじない様にと試練を下さるのでしょうか・・・。
ともあれ、パソコンは台の上に有ります。
でも、テレビは未だ直置きのままです・・・
相方の店は相変わらずガラスが割れたままの箇所もあり、壊れたままの箇所もあります。
まだまだ屋根の上にビニールシートの載っている家も沢山ありますし、再開出来ていない場所が沢山沢山あります。
最近は地震のせいに出来ない事も多々ありますが、地震の影響で変わった事も沢山沢山あります。