主のメモのようなモノです

意味不明かもしれません


スルーなりリターンなり

お好きにどうぞ


(投稿時間の調整あり)









動画の途中で流れ出したCM

車椅子に乗った方のビジネス成功話?

僕と同じ脊髄損傷だ

笑顔で力強く語る姿は

とても魅力的に見えた

僕とは真逆の道を選択した人


ポンコツになったばかりの頃を思い出す


学会で発表されるような異様な麻痺

他人様と違う理由が

なんとなく理解できていた元々の身体

筋肉はアホみたいについていたが

軟体動物のように関節はぐにゃぐにゃ

麻痺があっても柔らかくもなる

けれど

恐ろしい速さで固まる身体

それは今でも  あまり変わっていない


生きている意味があるのか?と

何度も何度も自問自答した

ずっと他人様の世話になり続けて

僕は笑顔でいられるのか?と…


医師に見放されようが

動いていたモノが動かないなら

神経が修復されないのなら

新たな神経伝達経路にすれば良い!

諦めるのはいつでもできる!と…


挫けていた時に知り合った医師

僕の思いを理解してくれた


僕は運がいい!


壮絶な日々の始まりだ


何でも難でも都合よく捉える


要介護のままでも

1人になっても生きている

少しの距離なら歩けてる

着替えもできるし

お箸で食事して

ペンで字の練習もして

オムツもしないでトイレに行ってる

床擦れもなく

汗もかけるようになってきた


脚が急に前に出なくなることもある

膝から崩れる時もある

バランス取れずに

あちこち  ぶつかって  アザもできる

トイレが間に合わず  チビることもある

お箸がうまく使えなくて

スプーンやフォークで食べることもある


だけど  笑ってる


できるようになったから


できない自分を上回る

できる自分に会えるまで続けた


自走できない車椅子

ずっと放置されたままだった

介護者がいなくても

なんとかやっていけそうだと

車椅子を手離した


清々しいとは  こういうことなのか?と

頑張った自分を褒めた


あの時

車椅子の生活を選んでいたら

介護用品に助けてもらい続けたら

漏らす恥ずかしさとオムツの恥ずかしさ

素直に受け入れてしまっていたら…


ここまで来るのに

たくさんあった選択肢は

今、思い返すと

岐路であったのかもしれない

自分で選んだ道


誰が正しいとか

間違っているとかではなくて


自分に負けるのがイヤで

頑固と思われようが

気力も体力もあるうちに

諦めずに取り組んで良かったと思う


今の年齢では

気持ちも体力も足りない気がする


時代に取り残されたような気になる…

たまに  そういう自分が顔を出す

だけどね  笑ってる


背伸びしたり 無理してまで

時代の流れに ついて行きたいと

あまり思わなくなったのかな?


我が道を

のろのろ歩めるようになりつつある


バリバリ仕事して稼いで

そういった道を歩みたかった?

無い物ねだりにならないように

そんな道に戻れるように

優先させたのは  スパルタなリハビリ


白猫族が高齢なので

彼等を見送るまでは

僕も のんびりリハビリ生活する