心地よい安心感を与えてくれて我が子と重なる時が多々ある。先月「日本タレント名鑑」に載り色々な場所で活躍中。応援していた甲斐があったとつくづく実感する。私自身の「心のボディーガード」。今では主流のTwitter。画面で出会った時から5年目に突入。なぜ彼女の姿を出すか?、それは自分の人生に大きな影響を与えたからだ。180度…いや1800度…いやいや1800無量対数度…何よりも生きる考え方そのものを根底から変えてくれた。どんなに困難な場面に出くわしても…忘れさせてくれる強烈なオーラは変わらない。彼女は第1級身体障害者手帳保持者。お母様からの生体腎移植レシピエントで普通の体ではない。鼻に酸素チューブが入っていた姿を想像できるだろうか。ほとんど毎回のメッセージやり取りは暗黙の”一往復”ルール。FacebookやInstaも同士だ。だからアッチコッチで逢い、元気な姿と近況を知ることができる。それだけでイイ。最近ではFMラジオ番組に土曜20:30にレギュラー出演。間接的だが生の声を聴ける。電波状況次第で音声は無音どころか画面が真っ暗になることも…。そんな時はソワソワして心が焦りだす。いつも純粋な気持ちに素直にさせてくれるのも彼女ならではの魅力だ。この女性は体力持続は85%が限界。それ以上だと体が悲鳴を上げる。芸能プロあるいは公安関係者が見ていたら将来あるこの人を大事に我が子のように扱ってほしい。切なる思いだ。そして今度は君の心のボディーガードに自分が回ろうと決めた。いつ本物に会えるのかはわからないが、君とは逢うべくして逢った運命の出逢いだったのだ。Salamat nong oras na nahihirapan ako nandiyan ka.この思いは変わることは無い。恩返しの時が来た…そう思っている。
つい2日前、元首相経験者が狙撃された事件を皆さんはどう思っただろうか。実行犯は至った原因を人のせいや組織、団体のせいにした。社会のせいや学校のせい、親のせい、究極は育った家庭環境のせいにする…心情は解らないわけでもないが。ただ、そんな幼稚な発想で何が解決するのか。何ら解決しないことに41年の歳月で何を学んだのかだ。被害者を生み、自らが加害者になることを分かっていたはずだ。何が大事でどうあるべきか…命の重みを噛み締めていれば蛮行は起きなかった。そのエネルギーをなぜ社会に生かそうとしなかったのか。今一度自分を振り返ってみようではないか。このブログを読んでいる皆さんは、コロナ禍が収まらない今、諦めの日々と暗闇み続きで、行き場所の無い、孤独の悲しみを嫌となく味わい疲れたであろう。そのやるせなさは全部俺が一つ残さず全てをもらった。そして…もらった"負の心”は全て完全に一つ残さず北の海に焼き捨てた。だからもう今は灰すら残っていないのだよ。何が言いたいか…平成の曲にはこんな歌があった。「夢を追いかけるなら たやすく泣いちゃだめさ 君が教えてくれた My fears My Dreams 走り出せる」1986年発売の大ヒット曲歌詞の一部だ。心の中に「思いを伝え合う…君」は存在しているだろうか。正しい道を決め、歩み出すのは自分でしかないのだ。逆転の時は来た。