ウチには、十津川でもらってきた、鹿の角が二本ある。
切断面にはまだ獣の臭いがのこってる
僕は、誰もいない部屋で
頭に二本の角を両手でくっつけて
頭を下げて目をつぶって、壁とか畳に角を当てて感触を確かめる。
ナルホドのこと。ふむふむ
両手に角をもって、先っちょ同士をかつかつ当ててみる。
ナルホドのこと。ふむふむ
角に何かが触れると、すごい敏感に根っこの部分で感じることができる。自分から生えた角のようだ。
木刀を振っても思うけど、神経はデタラメに伸びる竹の根っこのように、自他の区別なく伸びるんじゃないか。
木刀ともっと仲良くと、祈りながら
振るようにしてたら、だんだん自分の手の延長のように感じるようになってきた。まだまだだ。
ヨガは最強の唯物論だ。
自分自身を道具の一つとして冷徹に向き合えば、自分自身の身体は終わることなくその要求のすべてを飲み込んでくれるだろう。
精神が肉体を飛躍させる
少しずつ少しずつ
肉体は精神と妥協点をさぐるので
精神は常により高みへと
肉体を引き上げなくてはいけない
それがうまく運べば
きっと肉体は素直な子供のように
新しい運動と可能性を吸収してゆく
呼吸と運動に関連のラインを引き
逆説的な方法論で
呼吸によって運動を導く
呼吸をより深くすべきなのは
きっと
たくさん酸素をすって
頭をアホにして
経験則的な身体の限界値を忘れさせるためだ
本を読む時も
同様に唯物論で考える
本によって
新しいシワを脳みそに刻んでいくんだ
新しい脳みそのシワは
より新しい脳みそのシワをまねく
この点でも、しっかり頭をアホにして
挑む必要がある
大事なのは
経験の濃度ではなく
新しい経験の
入ることのできる余地である
心と頭に隙間を。。。
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