今日もあたしは生きていました。

朝テレビで世界中の命の在り方を紹介する番組を見た。
渡り鳥の話、なんとその鳥たちは、毎年エべレストを超えるらしい。
けども山の尾根には鷹が住んでいて、その渡り鳥を食べようと待ち構えている。

渡り鳥たちは、それを知っていて鷹が近づいてきたら、数匹の鳥が群れから迷うことなく離れる、、
鷹をおびきよせるために、鷹はその鳥を襲う、、

渡り鳥の群れは、仲間の死を振り返ることなく山を超えてゆく、、
山からのぞく太陽がおそろしく光ってた。



生きる今日の背景には、どれだけの犠牲がささげられてきたんだろうと考えさせる自然のルールがそこにはありました。

そんな思いの中、俺は今日もあたりまえに生きてるぜ!

生きてるだけで、あたりまえに直面しすぎていて、あたりまえに素通りしてしまってることがたくさんある

パンチについてよくよく考えればパンチは決して自分自身から生まれた力ではないことに気付く。

パンチに力をこもらせるのは、地面だ!すなわち重力だ!

俺らは自分にかかる重力を前方に逃がすことで歩行する、それと同じやり方でパンチする。

この重力の在り方についてしばらく考えてた時期があった、重力って不思議でなんだかミステリー!!

ある本屋さんで海外のアートの
雑誌の表紙に腰を抜かした!
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俺はこの表紙から、パンチの構造を学んだ気がする。

相手を殴る時、前に放った自分の重心は何に支えられているか?
それはまさしく相手の顔面だ!

そうか!俺は敵の顔面を殴りつけてる瞬間、敵の顔面に全身がコケないように支えられていたんだ!

それってなんだか摂理だなぁ

敵が敵ではなくて、自分のバランスにとって不可欠な友になったような気がした瞬間だった

おいらは今日もありとあらゆる方向にぶっ倒れそうだけど、ありとあらゆるものに支えられてる気がするよ。

森の中で俺はバランスを崩さない、完璧なバランスの中にいる気分になる

倒れても、前にジャンプしておもいきりこけても、木に登ろうとして枝が折れても常に地面が俺を救ってくれた、

地面があるよ

落ちることはないよ

堕ちることもないよ

バランスは常にとれてる
だからどこからでも始めれる気がする

コンクリートはこけると痛いけど、地面は今の季節、枯葉でおおわれてるからこけても痛くない

でも、あたり一面広がるコンクリートの下には、いまだにゆたかな大地が眠ってるということを忘れてはいけない気がする。

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今日のイメージ、、あははん!

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