今日は久しぶりに公園でシャドーボクシングした

俺の格闘技は、一人で練習するようになってから、説明がほとんど不能なものになっていってる気がする

俺の最近の師匠は大まかに二人
「木」と「煙」
煙は無責任に広がる
木は根っこから広がる

大切なポイントは重心
煙の重心は常に未来の中にある

それは人間のただただ「歩く」という行為の中にも見出せる

「人は何故歩けるのか?」
「歩行」は「立つ」ことの応用だと思う。
では、「立つ」ことに何を加えれば「歩行」になるのだろうか?

それを俺はこう呼んでる「前方への自殺」つまり前方にバランスを崩すことだ。

「立ってる状態」から「歩く」
その二つに実は大差はない、動きだけをみれば、足を上げて前に足の裏を着地させて後ろ足をひきつけるなど
数限りないパーツごとの動きをするけども

実は、歩くのに働いてる精神はすごくシンプルだ
脳は体に命令する「前に倒れかかれ」
すると前に倒れかかりそうになる全身を支えるために一歩前に足を踏み出す

すると知らぬ間に前方に距離を獲得してる、それが「歩行」

うわっ!
話長なってまうわ!

つまりそれが煙的な身体の操縦法で

もう一つは中心を定めてそこから働きかける運動
それが木に学ぶ身体の操縦法

これについては、また機会があれば書きたいと思う、、

でもこの煙も木も共通点がある
それは「中心」だと俺は思う

では煙の無責任な広がりにも中心はあるのか?
答えは「はい」だ

煙の画像がないから変わりに煙と同じ力学働く、ミルクのウズウズをのせる
photo:01



煙もきっと同じようにウズウズするはず、ウズウズとはきっと中心への働きそのものだ、
つまり中心が未来にあるということ

「台風の目」を知ってるだろうか?
台風はでっかい煙と同じだ、そんな煙が大きく働く、上空からみれば
台風は中心を目指してるのがわかる

しかし小学校で教わるように
台風の目とは実在するポイントではない、それは架空の存在だ

そこで俺は学ぶ
煙における中心は、煙の運動の目指すものではあっても存在はしていない

それは未来にある、、
とでも言っておく

煙と木
こいつらは同じ自然物でありながら
違う力学で存在してる

俺が今日のシャドーボクシングで学んだことは、力学には二つの種類があるってこと

それは猿のパンチと人間のパンチという風に分けることができる

猿を、無意識、本能と
人間を、理性と
言い換えてもいい

人間のパンチは
一つの力学を理解して、違う角度からそれに働きかけることでより大きな力を生み出そうとするもの

猿のパンチは
直接的で最短距離で最大のパワーを対象に伝えようとすること

アカーン!
話続いてしまうから今日はこのへんで!

まぁそんな感じで
俺はこの身体と自然が出会う場所を研究室に、もっとこの身体の可能性を引き出していけるようになっていきたいと思う。

ひえっ!長くなった

今日は彼女さんが作ってくれた
ハヤシライスがすこぶるうまかった!

はやく身体を治していきたいと思う

多分顔面にウミたまりまくってそう
蓄膿症に、以前歯槽膿漏のはぐきを殴られた時に、うちほほが大爆発を起こしたまま、そのウミがほっぺの内側に存在してる

それがきっとずっと続くしんどさの原因やね!!こわーい

明日から治しにかかりたい!
photo:02

うがあ!


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