親に感謝しなさい」という言葉。

子供のころに
周りの大人から言われることもあるし
親自身から言ってくることもあります。

成人して社会に出てからも
年上の先輩たちから
言われることもあります。


同調圧力もあって
「そうだよね、今の自分があるのは
    親のおかげだから感謝しなきゃ」と
思考をリードされることもあると思います。




親は感謝すべきもの。




この価値観は
深く根付いていて
当たり前のようになってますね。


まるで
親に感謝できる人が一人前で
感謝できない人は反抗期
という認識になっているかのようです。


しかし、この
「親に感謝しなさい」という言葉。

むやみやたらと発してはイケナイと
私は思っています。
だれかれ構わず言ってしまうのは
良くないかもしれません。




今回は
私の個人的な考えについて
お話しようと思います。



とても長い記事になりますので
ご興味のある方のみ
ご覧くださると嬉しいです。

ちなみに今回の記事は
「親に感謝しなさい」というセリフを
むやみやたらと平気で言うのは
良くないという話です。

「親に感謝をしてはイケナイ」という話
ではありませんので
よろしくお願いします。








犬しっぽ犬からだ犬からだ犬からだ犬あたま
*子は親の都合で生まれてくる

子供のころに
「誰のお陰で生活できてると思ってるの?」
という言葉を言われた方も
いらっしゃるかもしれません。

その場合は
親から言われることが多いと思います。




これを言われると
「確かに、いまご飯食べられるのは
    親が働いてくれているからだ。
    感謝しなきゃだ」と思って
屈服するかのように
親の言うとおりに生きたりすることも
あるかもしれません。



" 親のおかげで生活できている " という
これは事実です。
感謝するのを反対しません。
私も感謝してます。







でも私は、
このセリフを
親が子供に押し付けている事に対して

子供は親の都合で
生まれてくるんだから
「感謝しろ」とか
言ってないで
ちゃんと育てるべきでしょう 


と感じます。





その親の子育ての結果として
子供が親に
感謝をするのかしないのか
子供自身が決めるのだと思います。

なので、
子供に対して感謝を要求するのは
ただの親の承認欲求を
子供にぶつけているだけなので

「親に感謝しなさい」なんていうセリフは
言う必要がないと思います。


ちなみに
自分を犠牲にして
子育てをしている場合は
子供に感謝を要求したくなります。







犬しっぽ犬からだ犬からだ犬からだ犬あたま
*言われてするものではない

感謝をした時のことを
思い出していただくと

感謝はするものではなく
湧き上がるものだということが
お分かりいただけると思います。

そうなんです。
感謝は「させるもの」ではないので
要求するのは違います。


親は子供から感謝されたいかもしれません。


でも
子育てへの感謝とは
先ほどと重複になりますが

子供が親に対して
感謝するかしないのか決めるわけなんです。



子育ての結果は
あとからついてくるんです。

感謝に値する親であれば
子供は自然に必ず感謝します。

子供のうちに感謝をすることも
おおいにありますし
大人になってから感謝をすることも
あります。

いずれにせよ
いつか必ず感謝するわけで
間違っても「恨み」にはならないです。



ちなみに「感謝に値しない親」とは
以前の記事でも話していますが
子供の心を雑に傷つけたり
子供に対して上から目線でバカにした
態度を取り続けたりするような
そんな親です。
子供と向き合う事ができない親ですね。



ですので
普通に大切に育ててきたのなら
子供は必ず親に感謝するので

親が要求する必要はないし
ましてや周りの大人が
えらそうに言うことでもありません。





しかしそれであっても

感謝に値する親なのに
子供が親に感謝しない場合もあります。


それは
親が感謝しない人だからです。


親が誰かに
感謝している姿を見たことがない人は
親に感謝することがないかもしれません。

(別の身近な人の姿を真似て、感謝を覚える人も
います。)


親が
周りの人や物事に感謝している姿を
子供のころから見ていれば
「感謝という気持ちが湧いてくる」という
状態を知ることができて
自分もそれができるようになります。



ですので
大人になった自分の子供が

親である自分に感謝しないことに
不満を感じるなら

「自分は周りに感謝してるだろうか」と
振り返るのも良いと思います。


話は少し反れましたが
つまりは
「親に感謝しなさい」というセリフを
言う必要はないということです。







犬しっぽ犬からだ犬からだ犬からだ犬あたま
*虐待された子供にも言えますか?


これは他人に対して
「親に感謝するんだよ」と言ってしまう人に
伝えたいです。



ここ数年で
虐待されて亡くなる子供のニュースが
増えたと思います。




その亡くなった子供が
もしまだ生きていたら
その子に向かって
「親に感謝するんだよ」って言えますか?






言えませんよね。




それは
その子が
親からヒドイ目に合ったことを
知っているからですよね。





親から虐待受けた人は
亡くならないとニュースになりませんから



生存している人で
虐待に合ったか否かは分かりません。



ツラい虐待を受けた場合でも
生き残ったのなら
周りは知りようがありません。


行政機関に保護されたか
自分から告白したかしないと
周りが知ることはできないんです。



いつも共に仕事をしている
身近な同僚でさえ
そういった過去を持っている可能性が
あるんです。



ニュースにならないだけで
残酷な虐待は
存在しているんです。

(つまりニュースになっている以上に存在している)




だから
むやみやたらと
だれかれ構わずに
「親に感謝しなさい」というセリフは
言ってはイケナイと思っているんです。


親は「親である」というだけで

崇拝に値する存在ではないんです。




人の数ほど個性があるのと同じで
親の数ほど子育ての種類が
あるわけです。




その中には
子供にとって良い影響を与える子育てもあれば

子供に毒を与えるような子育てもあるわけです。





いろいろあるわけです。





それなのに
相手の状況を知るわけでもなく
「親に感謝するんだよ」なんて言葉を
平気で伝えるのは
視野が狭いかなと思います。


つまり
「相手は親に感謝をするような
    状況や境遇ではない可能性がある」
という考えを持つことが
必要であるということです。





犬しっぽ犬からだ犬からだ犬からだ犬あたま
*昔は、それで良かった


ここまで
「親に感謝しなさい」という言葉を
人に発することに否定意見をしてきました。


しかしそれは
「現代に限り、そう思っている」
ということも お伝えしておきます。




昔は
" 仕方なかった " とも
考えられると思います。



昭和の時代までは
日本人の価値観って
みんな似ていたと思います。


似たような価値観で
似たような目標を持って
似たような幸せを求めていたと思います。


それは
そういう時代だったからです。


その頃は
時代背景もあるので
それはそれで良かったんだと思います。


昭和の前半は
生きるので精一杯です。

とにかく「生きる」のが
目的です。


それでいいんです。




ですので、昔については
今回の記事では
関係がないということも
記しておきます。






現代は
情報化社会になり価値観が増えましたね。

いろんな個性が認められ
幸せの種類が人の数ほど増えました。





ちなみに価値観に関連した話をさせていただきます。

「良かれと思ってやったのに裏目に出た」
という経験が多い人は
人と自分の価値観は同じだ
と思い込んでいる人が多いです。

「自分がされて嬉しい事を人にする」
というのを
言葉通りに実行している人は
価値観の多様性を理解すると
良いかもしれません。







犬しっぽ犬からだ犬からだ犬からだ犬あたま
*無責任に押し付けない


「親に感謝しなさい」という言葉を
親が子供に言うのも
他人が人に言うのも

考えが足りないかなと思います。


いろんな親が存在するのに
親に感謝するのが一人前で
感謝できないのは反抗期だ。
という価値観を持っていると
すごく視野が狭いと感じます。



親に感謝する人もいれば
しない人もいる。

それは、その人たちの
人格をはかるものではないし
人に対して
親に感謝するという価値観を
押し付けるものではない。






子育ては
はっきり言って大変です。
人を1人育てあげるのに
どれだけの労力を必要とすることか。

イライラしたり
すべてが嫌にやってしまうことも
あるかもしれません。


私は「親に感謝するな」と
言っているわけではありません。


すべての人に当てはまるわけではない
ということを
知ってもらえると
いいなと思っているんです。


ですので
親に感謝している人を見かけたりすると
私だって純粋に「素敵だな」と
思うんですよ。




今回は
私が勝手に思っていることを
好き勝手にお話させていただきました。

もし
ここまでご覧いただいたなら
嬉しく思います。