己 | 読み散らかしてナレの果て

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敵を知るにはまず己から、と言う諺はありません

しかし孫子の兵法に
「彼れを知り己れを知れば、百戦殆(あや)うからず。
彼れを知らずして己れを知れば、一勝一負す。
彼れを知らず己れを知らざれば、戦う毎に必ず殆(あや)うし」
と言う言葉があって

意味は次のとおりです。
敵の事情を知り、わが力を的確に把握している者は、戦えば必ず勝つ。
敵情を知らず、ただ自軍の実情だけを把握して戦うときは、勝ったり負けたりである。
敵情を知らず、自軍の実力すら把握できないで戦いに臨む者は、戦うたびに、必ず滅亡の危機にさらされる。


以前「百聞は一見にしかず」と言う言葉には続きがあって

百聞は一見に如かず
百見は一考に如かず
百考は一行に如かず
百行は一果(効)に如かず
百果(効)は一幸に如かず
百幸は一皇に如かず
(引用元:百聞は一見にしかず、の続きはこんなことに)

簡単に意味を説明すると下記のようになります。
聞くだけでなく、実際に見てみないとわからない
見るだけでなく、考えないと意味がない
考えるだけでなく、行動するべきである
行動するだけでなく、成果を出さなければならない
成果をあげるだけでなく、それが幸せや喜びにつながらなければならない
自分だけだなく、みんなの幸せを考えることが大事
(引用元:百聞は一見にしかず、の続きはこんなことに)

「百聞は一見にしかず」の全文を知ってこそ「百聞は一見にしかず」が生きて来るんだなぁと知ってから、普段何気なく使っている諺や慣用句の元を調べたりするんだけど。

先人は短い言葉に沢山の意味や考えを込めてるよなぁと改めて感じるよ。

そしてその先人の言葉は己(おのれ)を見よ省みよ、己を知れと言ってる事が多い。
これらの言葉はどんな視点から言われてるんだろうか?と気になって調べると
まぁ当時の帝王学として良き王、指導者として民を導きなさいと言う言葉だったりするからなんだろうし、身分の高い人達の間で交わされた言葉だったんだろうね。

じゃぁ身分の低い、身分そのものが無い様な人達はどんな言葉を交わしていたのかな。

あっやばい、話がどんどんずれて違う方向行ってる!!!