デリヘルで働いていた女性「ゆい」という女性。

久々にnoteを見てしまって矢張り私の悪口を書いているのが分かった。

矢張り相当性格が悪い。

16歳でデリヘルの客「かっち」だか「かず」と言う男性の子を身ごもり、もうその子は20歳になり阿寒のホテルで働いているという。

第2子も同じ男性、そして第三子は今年中一。陸別に住んでいたが夫の死を機にこちらに転居した。第3子は陸別に住む違う男性の子。デリヘルをしていただろう「姻族関係終了届 」を姻族にせがまれた。

私もいわくつきの女性と接して失敗。今の作業所からいち早く辞めて欲しい。

youtubeを何気に毎回見ているが・・・

高校生で超難関簿記1級に続々合格、税理士試験も 財務・会計のエリート育成する商業高校

 

というタイトルの動画のタイトルのものを見た。
ここの学校、下関商業高等学校は 下関市立で山口県立ではない市立の高校だった。
 

 

 

 

 

 
昔々の記憶だと旭川にも市立の高校が有ったはず。と思ったら旭川南高校に統合され北海道に移管されていた。

 

 
私の高校に簿記部が有ったら、私も入部したかったよなと思う。
私の高校の頃は1年の1学期だけ総合実践という科目があり、2学期から商業簿記の授業、全商簿記2級まで合格する授業内容だったような記憶がする。
取り敢えず北海道簿記3級に合格して全商の2級に合格すべきが、私は落ちた。で、商科高等専修学校という私立の専修学校に行き全経2級を合格して、2年生で全商1級を取得して、3年で課題研究という授業科目で日商簿記1級を目指すものを習ったが、当時は原価計算という科目が私には難しく、2年の工業簿記も1級は取得したが余り理解はしていなかった。
で、3年では結局日商簿記2級は夏位のは落ちて、秋ので合格して終わった・・・こんな感じだったような。3年では商業法規という科目が有ってそれが意外と面白くて、その科目を生かした商業経済検定というのを受験。マーケンティングは落ちて、商業経済Ⅱと商業法規が受かって2つ以上合格したら商業経済検定の1級を貰えた。結局1級は2つしか持てなかった。
 
課題研究の仲間には生徒会長と生徒副会長と会計が在籍していて、その生徒会長は札幌で教員をしている。副会長は大蔵事務官に成って今は財務省の函館税関のどこかにいるのかな?
 
私はこんな作業所生活と情けない限り。
 

   私は今にして思うと、支援学校に入った方が良かったのでは?と思ってしまうが、当時は高等養護学校とか有ったのだろうか?私が学生の頃描いてたのは昔で言う知恵遅れ今は知的障害児と呼ばれるが入る特殊学校や特殊学級が有った。私が高校を出て資格勉強のテキストを購入したらその書物には精神薄弱者とか禁治産者とかいう用語も有った。と考えると支援学校に行くと差別や偏見の対象に成った。今は私はその知的障害者や同じ精神障害者、身体障害者が一緒に混ぜ込まれた作業所で働く。

 

   私が働く就労継続支援事業所A型のサービス管理者とは反りが合わない。AB型の寅年の女。今年51歳になる。バツイチで子供は今年24歳になるのか?確か8月7日に生まれたような。その女は高校を出たが私にはその出身校を教えてくれない。それもそのはず市内で滑り止めで受ける又は専願で受ける当時ではABCという3学年の評価でIでも入れた商科高等専修学校という学校を出たのをつい最近知った。道理で教えてくれない訳だ。私の頃の中学の成績は相対評価で1~5段階評価。今の中学は絶対評価なので1の評価が居なくても良い事になる。良い時代だ。

 

   私は確かEFGという感じで中学の成績は落ちていった。落ちるのが嫌だったので一つランク落とした高校に進学した。幸いにも同じような成績のいる学校だったので成績だけは上の方だったので中学とは真逆。でも就職した会社が失敗だった。そこで精神病を発症した。

 

でこんな作業所で働く事に成った。

 

  今の作業所 就労継続支援事業所A型というのが正式な名称なのかな?

に一般企業への就労を諦めて働く事に成ったのが2014年(平成26年)の4月1日でした。

その数日後に利用者の内田から仕事以外の内容で怒鳴られて精神が不安定になり、就労場所を工房と呼ぶビルの建物の2階から1階に変わった。サービス管理者に申し出たので。

  それから11年の令和7年7月16日のサウナのある建物の2階のカフェで掃除をしていたら、利用者から社員に昇格している支援員になった内田が「〇〇君、君は利用者の誰から新しく入ったサウナの社員の事を聞いたのだ?」と大きな声で怒鳴ってきた。私は「その具体的な利用者の名前は憶えていない」と言うと、「そんな名前を憶えていないなんて普通はあり得ないぞ。N地さんに根拠のない確証の無い話をしないでくれ」と怒鳴り、また「本当に誰が言ったのか覚えていないのか」としつこく私に聞いてきた。余りのしつこさ執念深さ、ネチネチ感に私はパワハラでうつ病にさせられた当時の常務取締役支店長の三浦からの仕打ちを思いだし、精神が崩壊。内田に「そんな大きな声であなたが毎回怒鳴るから」と語気を強めて言ったら、内田は2階のカフェから去っていった。

  職員として有るまじき言動を内田から受けた私はその後今の精神が余計に不安定になった。