12.4月17日 気仙沼 友人との再会。
もともと、東北に行きたかったのは、テレビを見ていて、ああああああ亡くなったか・・・・と
70%ぐらい思った気仙沼の友人が生きていたから。
その友達と連絡が取れ、帰りに会うことに。
気仙沼は陸前高田から車で30分ぐらいの場所なのだそうだけど、陸前高田が、県外の車がはいっていいような雰囲気の場所ではないことと、海岸沿いを走れるかわからなかったので、北上経由一関から気仙沼に。
えらい遠かった・・・・・
気仙沼は内湾がものすごく穏やかで、沼のように見えたことからが地名の由来だったとか、
友人は美術館勤務で、地震があったときは高台にいたので助かっていた。高台から、津波、火事までみたといっていたので、その話を。
まず、気仙沼の先に大島という島があり、そこの島は3方向から津波をかぶり大変な状態だったと、
気仙沼は船の燃料スタンドが流され、燃料に引火して、その火が船に燃え移り、燃えた船が港の奥まで漂流して火事になった。海も燃えていた。ということらしい。
気仙沼はだいぶ町も復活してきていて、床上浸水の場所はところによっては営業を再開していた。友人とラーメンを食べたところも、浸水したエリア。
近くの吉野家では炊き出しをやっているらしく。人が並んでいた。
友達の家は全壊してしまったが、両親とも無事のようで何よりだった。が、
勤務先の美術館の天井がかなり酷い状態で、3月で閉館となってしまい。
家が全壊で、勤務先が閉鎖で失職というダブラパンチみたいだ。
しかし、本人至ってマイペース。帰りがけにはサイン入りのブルースのオリジナル曲を渡され、帰りに聞いていってくれと。出来れば、みんなにも渡してほしい。と
しばらくしたらみんなで酒を飲みたいからツアーを組んで気仙沼に遊びに来てほしいだの。
とおだちが、伊藤蘭ちゃんのお兄さんなのは前に書いたけど、蘭ちゃんと水谷豊さんをつれて、炊き出しにきてほしいだの、言いたい放題だった。
たぶん大丈夫だな・・・・この人は・・・
義援金早く配ってくれないかなー死んじゃうよーー本当にーーといっていたアタリも性格がうかがえる。
本人の名誉のために書くけど、本当にいい人。少し天然なだけで悪い部分は全くない人。
そんなこんなで、気仙沼を後にして、東北道、波打っているところをピョンピョン跳ねながら帰ってきました。
おしまい。
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【遠野まごころネット】
〒028-0541 岩手県遠野市松崎町白岩字薬研淵1-3(遠野市社会福祉協議会内)
電 話:0198-62-1001 FAX:0198-62-1002
70%ぐらい思った気仙沼の友人が生きていたから。
その友達と連絡が取れ、帰りに会うことに。
気仙沼は陸前高田から車で30分ぐらいの場所なのだそうだけど、陸前高田が、県外の車がはいっていいような雰囲気の場所ではないことと、海岸沿いを走れるかわからなかったので、北上経由一関から気仙沼に。
えらい遠かった・・・・・
気仙沼は内湾がものすごく穏やかで、沼のように見えたことからが地名の由来だったとか、
友人は美術館勤務で、地震があったときは高台にいたので助かっていた。高台から、津波、火事までみたといっていたので、その話を。
まず、気仙沼の先に大島という島があり、そこの島は3方向から津波をかぶり大変な状態だったと、
気仙沼は船の燃料スタンドが流され、燃料に引火して、その火が船に燃え移り、燃えた船が港の奥まで漂流して火事になった。海も燃えていた。ということらしい。
気仙沼はだいぶ町も復活してきていて、床上浸水の場所はところによっては営業を再開していた。友人とラーメンを食べたところも、浸水したエリア。
近くの吉野家では炊き出しをやっているらしく。人が並んでいた。
友達の家は全壊してしまったが、両親とも無事のようで何よりだった。が、
勤務先の美術館の天井がかなり酷い状態で、3月で閉館となってしまい。
家が全壊で、勤務先が閉鎖で失職というダブラパンチみたいだ。
しかし、本人至ってマイペース。帰りがけにはサイン入りのブルースのオリジナル曲を渡され、帰りに聞いていってくれと。出来れば、みんなにも渡してほしい。と
しばらくしたらみんなで酒を飲みたいからツアーを組んで気仙沼に遊びに来てほしいだの。
とおだちが、伊藤蘭ちゃんのお兄さんなのは前に書いたけど、蘭ちゃんと水谷豊さんをつれて、炊き出しにきてほしいだの、言いたい放題だった。
たぶん大丈夫だな・・・・この人は・・・
義援金早く配ってくれないかなー死んじゃうよーー本当にーーといっていたアタリも性格がうかがえる。
本人の名誉のために書くけど、本当にいい人。少し天然なだけで悪い部分は全くない人。
そんなこんなで、気仙沼を後にして、東北道、波打っているところをピョンピョン跳ねながら帰ってきました。
おしまい。
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11.4月16日 釜石 鵜住居
【遠野まごころネット】は最高の被災地支援団体です。
岩手の大槌、陸前高田、釜石を内陸からサポートしています。
岩手県では、個人の県外ボランティアの活動を受け付けてくれる団体が見つけにくいのですが、【遠野まごころネット】は県外個人でもボランティアを受け付けてくれます。
さて、私の活動ですが、4月16日
昨日行った大槌の近く、釜石の鵜住居での作業、ボランティアセンターの事務の方も疲れマックスになっているようで、振り分けが外国人だらけのグループが出来てしまった。
行く先は81歳のおばあちゃんの家。
アメリカからの人3人 1人はカメラ片手に若干観光気分。
香港から4人 こちらは遠野の家に9人ぐらいでボランティアニきている団体。
この中で、日本語がまあまあ出来る人が1人。
いくら何でも・・・・東北なまりバリバリの人だったら、日本人の自分でも聞き取れないかもしれないのに。ということで、振り分けられたグループを抜けて、外人グループと行動をすることに。
この日は、個人ボランティアの組で釜石に派遣されたため、一応4日目の自分がいろいろと現場での説明をした。
1.まず、作業中に写真を撮らないこと。
観光客の来れる状態ではないところでジャーナリスト気取りで写真を撮るのは、本当に迷惑。それでなくても、各マスコミがいたるところでうろうろしてるのに。
2.トイレに行ける場所で行っておくこと。
鵜住居は水道の復旧がまだで、トイレが使えなかったので先に指示をしておいて良かった。
現地に着くと、おばあちゃんと、甥っ子さん(50ぐらい?)
流れてきた車が2台庭先に、辺り一面の瓦礫の山。
とりあえず、先に入ったボランティアがある程度荷物を出したようで、泥のかき出しが作業だった。
入り口が畳で閉じられていて、中に入れないからということで、玄関の畳をどかして中に入ると、床が落ちていた。もうどこから手をつけて良いか・・・・・
とにかく作業で力を発揮したのは、アメリカ人女性(ぽっちゃりのおばちゃん)ブルドーザー波の破壊力でみるみるうちに泥を書き出していく。
30~40分後休みの指示を出したら、やり始めたばっかりなのに!と、ブーブー行っていたが、無理矢理休憩させた。
再び作業、廃棄するのにひとつひとつおばあちゃんに確認しながらだったので、その部分の作業はおそかったけど、泥だしのような単純作業は急ピッチですすんでいった。
3回目の休憩の時にお昼を食べて、津波の体験談等をきいた。
おばあちゃんの体験談は後ほど。
午後になって、甥っ子さんの妹がケーキを持ってきてくれた。
2時ぐらいの休憩でケーキを食べたのだけれども、ちょっとうかつだった。
受け取り方がいろいろあるから状況を説明しづらいけど、
「お祈りをさせてもらっても良いですか。」
自分以外はキリスト教だからそれを止められる状況にはなかった。
作業をした人が祈って良いですかという人に【けっこうです】と返せる人間はそうそういないと思う。
神棚が浸水していなかったから、神棚を見たはずなのに・・・・・
このことは本当に残念だった。あとで、甥の人に詫びた。「こういう状況だからいいです。」といってもらったけど、ちょっとつらかった。
ボタンティアでの宗教的な行為は本当にタブーだと思う。ボランティアは能動的な行為ではないと思う。極めて受動的であってほしい。
ま、唯一残念だったのは。それくらい。
自分が言いたいのはキリスト教が云々ではないと言うことは理解してほしい。他の宗教でも同じ。
一番日本語が話せる香港の人は、おばあちゃんの横でずっと話を聞いていた。こういう事も大切なんだと思う。
最後に、おばあちゃんの津波体験談。
土間でプリンを食べていたらすごい揺れがきた。
隣の人があわてて、靴下がないからと靴下を借りにきた。
近所のおじいさんが津波がくるから逃げるようにと、電気も切れて情報がなにも得れなかった。
黒い波が押し寄せてきたので、斜面を一生懸命よじ登ったら、みんながフェンスを越えるのを助けてくれた。
夕方になってどうしようか途方にくれていたら一台車がきて、知らない人が避難所まで行こうと言ったので避難所(たぶん学校の体育館)いった。
余震が続いていたので怖くてストーブがつけられなく、あげくに雪が降ってきて寒かった。
その夜は、おせんべい一枚しか食べるものがなかった。
床に段ボールをひいて、その上に新聞紙をひいて、毛布は薄いものを2人で1枚。どっちかが引っ張るともう1人のおしりが出るような状態で・・・・・
翌日、冷凍のおにぎり自然解凍?が冷たいままで数名で一個を食べた。普段なら食べれないようなものだったけど、美味しかった。
数日後に自宅を見たけれど、どこから出てくるかわからないぐらい涙が出た。
という話を、津波の話というと、日本語のわからない外人にもお構いなしにワンセットで話しきる。たぶん止まらないんだろうな。という感じ、3度同じ話をきいたけど、毎回寸分違わない話だったので、映像付で頭の中にメモリーされているのだとおもう。
甥っ子さんもかなり大変で・・・・ご両親は隣の大槌町で妹と妹の子供と4人暮らしだったのでそうですが、両親なくなられたようで、お一人が行方不明。家屋全壊で、妹とその娘はあ避難所暮らし。
新学期が始まるので、学校の避難所から別の避難所に移るように言われたけれど、受け入れ拒否にあって、戻ってきた。といっていた。気持ちが張っているからまだがんばれるけど、落ち着いたらどうなるのかわからない。というのも印象に残る言葉だった。
余談だけれど、大槌に心のケアで行っている人の話だと、受け入れを拒否したような避難所も、人数がいっぱいすぎて受けいれれる状態ではないともきいたので、ひたすら悲しみだけがのこった。
大槌町は町役場130人中30人が行方不明になって、町長まで死亡されたから、行政の機能が大変だったと聞くに。余計に手違いなどを攻める場所もない。
そんなこんなで最終日は 4日間で一番ディープな状態で終わった。これもまた人生。
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さて、私の活動ですが、4月16日
昨日行った大槌の近く、釜石の鵜住居での作業、ボランティアセンターの事務の方も疲れマックスになっているようで、振り分けが外国人だらけのグループが出来てしまった。
行く先は81歳のおばあちゃんの家。
アメリカからの人3人 1人はカメラ片手に若干観光気分。
香港から4人 こちらは遠野の家に9人ぐらいでボランティアニきている団体。
この中で、日本語がまあまあ出来る人が1人。
いくら何でも・・・・東北なまりバリバリの人だったら、日本人の自分でも聞き取れないかもしれないのに。ということで、振り分けられたグループを抜けて、外人グループと行動をすることに。
この日は、個人ボランティアの組で釜石に派遣されたため、一応4日目の自分がいろいろと現場での説明をした。
1.まず、作業中に写真を撮らないこと。
観光客の来れる状態ではないところでジャーナリスト気取りで写真を撮るのは、本当に迷惑。それでなくても、各マスコミがいたるところでうろうろしてるのに。
2.トイレに行ける場所で行っておくこと。
鵜住居は水道の復旧がまだで、トイレが使えなかったので先に指示をしておいて良かった。
現地に着くと、おばあちゃんと、甥っ子さん(50ぐらい?)
流れてきた車が2台庭先に、辺り一面の瓦礫の山。
とりあえず、先に入ったボランティアがある程度荷物を出したようで、泥のかき出しが作業だった。
入り口が畳で閉じられていて、中に入れないからということで、玄関の畳をどかして中に入ると、床が落ちていた。もうどこから手をつけて良いか・・・・・
とにかく作業で力を発揮したのは、アメリカ人女性(ぽっちゃりのおばちゃん)ブルドーザー波の破壊力でみるみるうちに泥を書き出していく。
30~40分後休みの指示を出したら、やり始めたばっかりなのに!と、ブーブー行っていたが、無理矢理休憩させた。
再び作業、廃棄するのにひとつひとつおばあちゃんに確認しながらだったので、その部分の作業はおそかったけど、泥だしのような単純作業は急ピッチですすんでいった。
3回目の休憩の時にお昼を食べて、津波の体験談等をきいた。
おばあちゃんの体験談は後ほど。
午後になって、甥っ子さんの妹がケーキを持ってきてくれた。
2時ぐらいの休憩でケーキを食べたのだけれども、ちょっとうかつだった。
受け取り方がいろいろあるから状況を説明しづらいけど、
「お祈りをさせてもらっても良いですか。」
自分以外はキリスト教だからそれを止められる状況にはなかった。
作業をした人が祈って良いですかという人に【けっこうです】と返せる人間はそうそういないと思う。
神棚が浸水していなかったから、神棚を見たはずなのに・・・・・
このことは本当に残念だった。あとで、甥の人に詫びた。「こういう状況だからいいです。」といってもらったけど、ちょっとつらかった。
ボタンティアでの宗教的な行為は本当にタブーだと思う。ボランティアは能動的な行為ではないと思う。極めて受動的であってほしい。
ま、唯一残念だったのは。それくらい。
自分が言いたいのはキリスト教が云々ではないと言うことは理解してほしい。他の宗教でも同じ。
一番日本語が話せる香港の人は、おばあちゃんの横でずっと話を聞いていた。こういう事も大切なんだと思う。
最後に、おばあちゃんの津波体験談。
土間でプリンを食べていたらすごい揺れがきた。
隣の人があわてて、靴下がないからと靴下を借りにきた。
近所のおじいさんが津波がくるから逃げるようにと、電気も切れて情報がなにも得れなかった。
黒い波が押し寄せてきたので、斜面を一生懸命よじ登ったら、みんながフェンスを越えるのを助けてくれた。
夕方になってどうしようか途方にくれていたら一台車がきて、知らない人が避難所まで行こうと言ったので避難所(たぶん学校の体育館)いった。
余震が続いていたので怖くてストーブがつけられなく、あげくに雪が降ってきて寒かった。
その夜は、おせんべい一枚しか食べるものがなかった。
床に段ボールをひいて、その上に新聞紙をひいて、毛布は薄いものを2人で1枚。どっちかが引っ張るともう1人のおしりが出るような状態で・・・・・
翌日、冷凍のおにぎり自然解凍?が冷たいままで数名で一個を食べた。普段なら食べれないようなものだったけど、美味しかった。
数日後に自宅を見たけれど、どこから出てくるかわからないぐらい涙が出た。
という話を、津波の話というと、日本語のわからない外人にもお構いなしにワンセットで話しきる。たぶん止まらないんだろうな。という感じ、3度同じ話をきいたけど、毎回寸分違わない話だったので、映像付で頭の中にメモリーされているのだとおもう。
甥っ子さんもかなり大変で・・・・ご両親は隣の大槌町で妹と妹の子供と4人暮らしだったのでそうですが、両親なくなられたようで、お一人が行方不明。家屋全壊で、妹とその娘はあ避難所暮らし。
新学期が始まるので、学校の避難所から別の避難所に移るように言われたけれど、受け入れ拒否にあって、戻ってきた。といっていた。気持ちが張っているからまだがんばれるけど、落ち着いたらどうなるのかわからない。というのも印象に残る言葉だった。
余談だけれど、大槌に心のケアで行っている人の話だと、受け入れを拒否したような避難所も、人数がいっぱいすぎて受けいれれる状態ではないともきいたので、ひたすら悲しみだけがのこった。
大槌町は町役場130人中30人が行方不明になって、町長まで死亡されたから、行政の機能が大変だったと聞くに。余計に手違いなどを攻める場所もない。
そんなこんなで最終日は 4日間で一番ディープな状態で終わった。これもまた人生。
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【遠野まごころネット】
〒028-0541 岩手県遠野市松崎町白岩字薬研淵1-3(遠野市社会福祉協議会内)
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10.4月15日 大槌 桜木町
【遠野まごころネット】は最高の被災地支援団体です。
岩手の大槌、陸前高田、釜石を内陸からサポートしています。
岩手県では、個人の県外ボランティアの活動を受け付けてくれる団体が見つけにくいのですが、【遠野まごころネット】は県外個人でもボランティアを受け付けてくれます。
さて、私の活動ですが、4月15日
町長がなくなられて被害が大きかった大槌町へ、桜木地区はすこし奥まっているのですが、おそらく、川からさかのぼった津波があふれたのではないかと思います。1m80cmぐらい浸水した感じでした。
ものは流れましたが、家屋全壊という場所は少なかったように思います。一般家屋の、床下の泥だしでしたが、ド素人の私にはかなりハードな作業でした。このときは本当に怪我するかもしれないと思いましたし。
この地区の特徴は、水が一気に押し寄せたのではなく、どんどんと上がっていってどんどん引いていった。という話で、机がそのまま上に浮いて、そのまま下がって、机の上のものが元の位置のままだったという話でした。
入り口の方では、横になったサイドボードの上に乗っかった女性がそのまま、一階の天井近く待て行ってそのまま下がって九死に一生尾を得たみたいですが、残念ながらご家族の方がお亡くなりになられたと言うことでした。
堤防がこわれたので、次に津波がくるときに遮るものが亡くて怖いとおっしゃっておりました。
多くの人が、流れている人を目撃していて、1mの木材があれば助けられて人もいるのに。と
話だけでは想像できないけど、心のケアが今後ますます重要になってくると思います。
近くの家では、新しめの家で、大工さんが入ってリフォームしていたり、新築を建設していたりと、それぞれを取り巻く環境も変わってきているなあとおもいました。
当日が暑かったこともあり、ものすごく疲れました。
そんなこんなで、私の活動三日目は終了
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さて、私の活動ですが、4月15日
町長がなくなられて被害が大きかった大槌町へ、桜木地区はすこし奥まっているのですが、おそらく、川からさかのぼった津波があふれたのではないかと思います。1m80cmぐらい浸水した感じでした。
ものは流れましたが、家屋全壊という場所は少なかったように思います。一般家屋の、床下の泥だしでしたが、ド素人の私にはかなりハードな作業でした。このときは本当に怪我するかもしれないと思いましたし。
この地区の特徴は、水が一気に押し寄せたのではなく、どんどんと上がっていってどんどん引いていった。という話で、机がそのまま上に浮いて、そのまま下がって、机の上のものが元の位置のままだったという話でした。
入り口の方では、横になったサイドボードの上に乗っかった女性がそのまま、一階の天井近く待て行ってそのまま下がって九死に一生尾を得たみたいですが、残念ながらご家族の方がお亡くなりになられたと言うことでした。
堤防がこわれたので、次に津波がくるときに遮るものが亡くて怖いとおっしゃっておりました。
多くの人が、流れている人を目撃していて、1mの木材があれば助けられて人もいるのに。と
話だけでは想像できないけど、心のケアが今後ますます重要になってくると思います。
近くの家では、新しめの家で、大工さんが入ってリフォームしていたり、新築を建設していたりと、それぞれを取り巻く環境も変わってきているなあとおもいました。
当日が暑かったこともあり、ものすごく疲れました。
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