長野県善光寺に初めて訪れました。

 

今回の目的は、先祖供養と大護摩御祈祷。


先祖供養がしたいなんて思ったことなかったけど、

ご先祖様たちには、できるだけ毎朝感謝を伝えていたところだった。

 

今回の参拝をきっかけに、

「先祖供養ができる」
 

そう思った途端、とても有り難くて泣けてきた。
 

脈々と命を繋げてきてくれた、
この命の恩師たちの、ご先祖様たちの
お役に立てるなんて!

いつも守ってもらってばかりなので、
その恩返しができるなんて!

その有り難さに魂が震えるような感覚だった。
 

先祖供養は、DNAレベルで人類が
望んでいることなのかもしれない、
そう実感した。

私についてくださってる、
お二人も、大事なご先祖様。

今日は、日頃の感謝を込めて行って参りました。
少しでも幸せに寄与できたなら、
こんなに嬉しいことはありません。

そして、
今回のリトリートも、
大切なことを教えてくれた。

『あちらに祀られている神様は、無限の世界(本質)を体現してる神様。
こちらの神様は有限で、無限であることを忘れてしまい、一生懸命思い出そうとしてる、神様。』

その違いだけなんだなぁって。

 

そして、

この世界は、

その神さま(空、本来のわたし)と、

この有限の人間としての私との

協同創造なんだな、

 

どっちが欠けても回らない、

車の両輪みたいなもんなんだなって、

 

そんな風に感じた。



そして、御祈祷では、
私がもう不要としてる、
・孤独感も
・嫉妬も
・人に感じる分離感も
・私が正しい!
・私は特別なの、認めてほしい!

というあらゆる分離、欠乏感を
手放してここに置いていこう、
そう祈った。

不要だと、しっかり認識でき、
置いてくと決められたのは大きかった。


そして、戒壇の手前にある仏舎利が凄かった。

本当に、極楽と平穏がお顔から輝きを放っていて、
あぁ、まさにこれが「極楽浄土か」「生き仏か」
という見たことの無い神々しさを感じ、絶句した。

あの境地になりたい。
あのお方の平安と光を
世界中の傷ついている人たちに
広げて癒やしてほしい、
心底そう思い、祈った。

そして、ここまで、
人に仕え続けようと、
存在全てで、
"すべての人の幸せに仕えよう"
としている祈りが、


お地蔵様や、
つるつるの仏様や、
それぞれの神様から感じ、
 

その思いの強さに、
私もこうなりたいと思った。

本当に、ほんとうに
素晴らしい満ちる時間を、
過ごさせていただき、感謝感謝だった。

生きているうちに
このような時間を持たせていただき、
感無量です。

ありがとうございます照れ

※お写真は、知人からお借りしました(ありがとうございます!)