旦那に依存しないで生きる。
これが私の知らず知らずのうちのモットーだった。
だから、居なくなったとしても
大丈夫なように、
どこかで、期待したりしないように、
執着しないでいてるつもりだった。
でも、実は、
しっかりと依存していたということに、
気付いたのだ(笑)
彼に、自分のして欲しいことを
押し付けて、たくさん小言を言い、
まずは相手を尊重する、
ということをしてなかった。
また、彼に何かをしてあげることで、
喜びを感じ、
自分の存在意義や価値を感じることで
自己肯定感を得ていた。
頼られることで
愛されていることを実感していた。
だから、どこかで
彼が大変な状況下にいれば、
私のことを必要としてくれる…
ということを望んでいた。
すべては、恐れからくる依存だった。
だからまずは、
私も依存しているところがあったんだ
ということを、素直に受け止めよう。
そして、
もしかしたら居なくなるかもしれないという不安、
そしていざ居なくなることが、
怖くて仕方なかったんだっていう、
無意識にある恐れがあったコトを
素直に認めよう。
だから、
怖くて必死で予防線を張ってた私。
ほんと、お疲れ様だったね(笑)
(その恐れは、もしかしたら
離婚してお父さんが居なくなったことからも、きているのかもしれないな
とか思ったりもするけど、ま、それは置いといたとして。)
もう、大丈夫だよ。
怖くてもオッケー。
依存してしまうのも、オッケー。
大丈夫、ありのままで大丈夫だよ。
例えこの先、何があったとしても、
その時その時の"ベスト"を選択して
生きて行けるから。
何も恐れなくて大丈夫。
今は、
そうやって、自分を、世界を信頼して生きていける。
今に感謝して。
弱くて、怖がったりする自分を
「しょうがないなぁ~」
って、ありのままの自分を
可愛がりながら生きていける。
予防線を貼りまくっていた人生から、
一転。
今は、そんな余裕が出てきた気がするよ。
今までの痛みさえも、
すべてに感謝できる氣がするよ。
そして…。
本当の自立とは、
今の自分、未来の自分を信頼して、
今を、自分のできる精一杯を尽くす。
弱い自分も認めてさらけ出し、
ありのままで生きていける
そんな強さ
のことかなと
思いました。
iPhoneからの投稿
これが私の知らず知らずのうちのモットーだった。
だから、居なくなったとしても
大丈夫なように、
どこかで、期待したりしないように、
執着しないでいてるつもりだった。
でも、実は、
しっかりと依存していたということに、
気付いたのだ(笑)
彼に、自分のして欲しいことを
押し付けて、たくさん小言を言い、
まずは相手を尊重する、
ということをしてなかった。
また、彼に何かをしてあげることで、
喜びを感じ、
自分の存在意義や価値を感じることで
自己肯定感を得ていた。
頼られることで
愛されていることを実感していた。
だから、どこかで
彼が大変な状況下にいれば、
私のことを必要としてくれる…
ということを望んでいた。
すべては、恐れからくる依存だった。
だからまずは、
私も依存しているところがあったんだ
ということを、素直に受け止めよう。
そして、
もしかしたら居なくなるかもしれないという不安、
そしていざ居なくなることが、
怖くて仕方なかったんだっていう、
無意識にある恐れがあったコトを
素直に認めよう。
だから、
怖くて必死で予防線を張ってた私。
ほんと、お疲れ様だったね(笑)
(その恐れは、もしかしたら
離婚してお父さんが居なくなったことからも、きているのかもしれないな
とか思ったりもするけど、ま、それは置いといたとして。)
もう、大丈夫だよ。
怖くてもオッケー。
依存してしまうのも、オッケー。
大丈夫、ありのままで大丈夫だよ。
例えこの先、何があったとしても、
その時その時の"ベスト"を選択して
生きて行けるから。
何も恐れなくて大丈夫。
今は、
そうやって、自分を、世界を信頼して生きていける。
今に感謝して。
弱くて、怖がったりする自分を
「しょうがないなぁ~」
って、ありのままの自分を
可愛がりながら生きていける。
予防線を貼りまくっていた人生から、
一転。
今は、そんな余裕が出てきた気がするよ。
今までの痛みさえも、
すべてに感謝できる氣がするよ。
そして…。
本当の自立とは、
今の自分、未来の自分を信頼して、
今を、自分のできる精一杯を尽くす。
弱い自分も認めてさらけ出し、
ありのままで生きていける
そんな強さ
のことかなと
思いました。
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