7年程前に、古い家族アルバムの中の軍服姿の人物が大叔父であることが解ってから、戦争のことを考える機会が多くなった。過去2回の展示で作品化したが、制作の過程で多くの個人やグループが、戦争体験の継承という問題に取り組んでいることを知った。私に関して言えば、この日常の中で、継承という課題に失敗し続けている。
「被爆体験がどんなものか、経験した人にしかわからない。そして二度と誰も経験するようなことがあってはならない」記憶で書いているのでこの文言通りではないと思うが、被団協代表だった坪井直さんがどこかで言っていた。
通常、誰かの経験を引き継ぎたければ、後進は追体験することで学んでいく。しかし戦争に関しては、それでは本末転倒になってしまう。
今はまだ第二次世界大戦の経験者の話を聞くことができる。優れたドキュメンタリーは多数作られている。他国の戦争のニュースから学ぶこともたくさんある。これらの談話や映像、文章に触れ続けることが疑似体験となり、やがて戦争というものに対峙する実体のようなものが自分の中に生じてくるのではないかと考えていたが、必ずしもそのような直線的な経緯は辿れない、 と今は思っている。
有史以来戦争は無くならない。よほど人間の基本的な属性に根ざしているということだろう。それならば、その属性は私にも備わっている。
最近、「共感疲労」と言う言葉を知った。戦争の情報に接すると、犠牲者への共感や何も出来ない無力感からメンタル的に滅入ってしまう状態を表す。無理も無い反応のような気もするが、私がたまたまそれを免れたのは、美術表現のコンセプトを考える過程で、自分から情報を取りに行ったからだろう。そこで入ってきた情報をコンセプトに沿って再編できたことが、悲惨なニュースのインパクトを流す導体の役割を果たした。避雷針が雷の電荷を地面まで導くように。
ニュースを遠ざけてもいいのだが、戦争は私の属性に根ざしていると自認している以上、その認識からは逃れようがない。外の問題であると同時に、極めて内面的な問題として日常と共にある。
私が確かに受け継いだものは、戦後に創られた平和な環境だった。私の意識はその中で育まれた。現在の他国の戦争に目を奪われがちだが、過去の自国の戦争を知ろうとすると、自分を育んだ人と時間に想いを馳せることから始めることができる。そこから敷衍して80年ほど過去へ遡れば、両親や祖父母が経験した戦争の時代になる。
私を育てた家族は、戦争に関してはほとんど何も話さなかった。皆が鬼籍に入った今、直接その体験を聞くことは叶わない。共に過ごした平凡な暮らしの中で、私は彼らの言動に戦争の影を感じなかったのだろうか。家族の誰を念頭に置くにしろ、その沈黙に分け入ろうとすれば、1人の人間に対する理解の問題になる。その人生の中で戦争の時代にのみ目を向けていては、その人物像は歪なものになってしまうだろう。
広島や長崎の被爆樹木は、沈黙の語り部と言われている。庭で育てている被爆アオギリ三世は、発芽してから今年で4度目の春を迎える。私は彼らの成長を見守りながら、 自問自答の縁(よすが)として、 戦争を経験した家族の沈黙をその存在に重ねている。
植物という生物は、私達とは全く異なる身体で、世界をどのように感受して生きているのか。植物になってみなければ解らないし、想像力で思い描けば擬人化は免れない。人の沈黙を彼らに重ねる行為が私の一方的な想像力の問題だとしたら、彼らを経由することで私は何かを得ているのだろうか。人間社会に属さない、戦争というものを知らない存在が、側に居てくれるだけで良かったのかもしれない。
そんな私の考えなどはよそに、この環境を共にしている全ての動植物は未知の存在であり続け、身近に居ながら別の世界を生きている。その在りようは美しい。
彼らの存在を感じながら戦争について考えている私の意識は、人間社会と双子のようによく似ている。
自然を前にしたら沈黙するのは私の方だが、黙っていても、頭の中で言葉はなかなか静まらない。
社会も言葉も、私が生まれる前からこの世界に在り続けてきた。それならば日本語で考え書いているこの“意識”も、過去からずっと在り続けて、私に受け渡されたものだ。
言葉は単なるコミュニケーションツールではないし、意識は私個人に回収されてしまうものとも思えない。言葉の最も広い意味での“文化”は、この舟に乗って世代から世代へ伝わってきたのではないか。その同じ舟の何処かに、戦争も乗っているのではないか。おそらく他を全く変えずに、それだけを下舟させることはできない。私は戦争を経験していない。でも、どこかで識っているのだと思う。
言葉の綾のように聞こえてしまうかもしれないが、この受け継いできた意識を鎮めるような何かが必要なのかもしれない。自然との真っ当な関わり方が重要な要素になると予感しているが、その具体的な輪郭は私にはまだ解らない。
継承に失敗し続けていると書いたが、むしろ受け継いだものに対する理解が追いつかないと言うべきなのかもしれない。戦争と平和を理解する事が、家族を、人という生き物を理解する事と重なる道ならば、終着点など想像もつかない。想像もつかないがどこか馴染み深い。人間理解は美術表現にとって、どんなテーマを選ぼうとその基底部分を支える視座としてあり続けて来たからだろう。つまり、戦争は困難なテーマであっても、人間存在の謎というより大きなテーマの一部ということになる。
それならば制作は、ベクトルの方向さえ間違わなければより柔軟なアプローチが可能になるはずだ。









