西洋占星術〜どうせ、あの世までは追ってこれまい。〜 -62ページ目

西洋占星術〜どうせ、あの世までは追ってこれまい。〜

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前コラムでは、みずがめ座の時代のさいしょの72年のことを、『みずがめ座 第30度:アーダスの咲いている野原』の時代と名づけ、アセンション、次元上昇が進行するはずだ、と大胆にも予測してみた。

その根拠は、全30度で2160年ある、みずがめ座の時代に、単純にサビアンシンボルを当てはめてみただけなのだが。それにしては、みごとに予測らしい予測になってくれて、とてもうれしい。

 

そして、みずがめ座の時代の開始時期は、1年単位では特定できない。

ただし、その長さは 2160年であり、1度あたり72年。

 

この理屈を、反対側、つまり「うお座の時代」側にも当てはめてみると、いつ「うお座の時代」が終わったのかは、特定できないものの、「うお座さいごの72年」は、サビアンシンボルでいうと、『うお座第1度:公共の市場』の時代であると定義できる。

今回は、それについて、考察してみよう。

 

うお座第1度:公共の市場』を、わかりやすく説明すると。

ありとあらゆる何もかもが、商品として陳列され、売買される世界。

だれでも(どんな商品でも)そこに参入できる、という点では平等だが、値段がつき、飛ぶように売れていく商品と、まったく見向きもされない物とで、はっきりと目に見える結果が出てしまう、残酷すぎるほど徹底した、弱肉強食の世界………。

 

すぐれた商品だけが勝ち残る、という点では「消費者にとっては」理想的なシステムではあるものの。考えてみてください。

これがひとつの「時代」として成立した場合、結局のところ、だれもかれもが、その「市場」に強制的に参入させられ、一方的に値づけをされたあげく、勝者はほんの一握りにすぎないのだから、ほぼ確実に、負け組の道を歩まされる。

そういうことに、ならざるを得ないのではないですか?

 

「うお座の時代」が終わった時点(西暦年)が定かではない以上、『うお座第1度の72年間』のはじまりの年も、厳密には、特定できない。けれども、日本史でいう「戦後」という時代、世界史でいう「冷戦」の時代ぜんぶは、そっくりそのまま、『うお座第1度の72年間』に、含まれます。

 

この72年間について考察してみると、やはり、ほとんど文字どおりに、『うお座第1度:公共の市場』の時代だったと、言えるのではないでしょうか。

冷戦、とは。文字どおりの意味での戦争を行うかわりに、朝鮮戦争やらベトナム戦争やらで、「中小国に代理戦争を、させた」とか。あるいは、地球から飛び出た、月に到達した、などの科学技術の発展だとか。いろいろな見方はできるものの、もっとも一般的に言って、経済成長/経済発展による競争が、そっくりそのまま「戦後のかわりに、なっていた」時代である、とされています。

 

いわゆる、資本主義陣営VS社会主義陣営、というやつです。

ベルリンの壁崩壊やらソ連放解体やらで、最終的に、「資本主義陣営が勝利した」とされていますが、その「勝利」の根拠は、もっぱら「経済力」だった。「市場経済」こそが、まさに勝利した、というわけです。

まったくもって、サビアンシンボル:公共の市場 そのものでしょう?

 

ぜんぶで360個あるサビアンシンボルのうちで、ここまで、あからさまに、「市場経済そのもの」を掲げたシンボルは、やはり、この『うお座第1度:公共の市場』くらいのものです。

シンボルそのままに、わたしたち人類は、「20世紀の市場経済の時代」を経験してきた、というわけです。

 

資本主義陣営が勝利したとき。

アメリカのとある歴史家?は、豪語した。

『歴史は終わった。』と。

彼は、今後はアメリカ1強の時代が永遠に続くはずだと想定したのでしょうか?

 

実際には、終わったのは歴史ではなく、

『うお座第1度:公共の市場』の時代であり。

その72年間がもたらした、すべては市場の賜物であり、なにもかもお金で表現できる、という価値観/世界観だけを色濃く残したまま、すでに歴史の舞台は、まったく新しいステージへと、進んでいるのです―――。

 

 

 

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