おとめ座は、とにかくルールを遵守する。
てんびん座は、そのルールは、そもそも何のためにあるのか、考える。
さて。離婚率が上昇し、なおかつ晩婚化が進展しているのは世界的な傾向だが、晩婚化を大幅に推し進めたのは、冥王星てんびん座世代(1971~1984年生まれ)だ、というのが、わたしの主張だ。
とはいえ、これは、わたし独自の持論というよりかは、おとめ座の意味をてんびん座の意味を考えてみれば、わりとだれでも同じ答えになりそうな話。
だから、今回のこの話は、社会学的に正しいかどうか、とか、統計学的に事実かどうかは保証できないものの、
占星術的には、教科書に掲載できるレベルで、確実に正しい です。
社会について。または現代史について知ろうとするのに、ある占星術師(私)の見解だけを読んで、そのまま信じ込むのは、かなり危険な行為であると言えますが。
あくまで占星術について知ろうとするのなら。
今回の話は、わりとそのまま信じて、だいじょうぶです。
結婚を。または、
冥王星世代論を題材にして、おとめ座とてんびん座のちがいについて語っている、という見方をすれば、ほぼ教科書のようなものです。秋分点、(または西の地平線)における断絶は、かなり重要なテーマでもあります。
結婚について。
①取り組みべき課題。クリアするべきミッションである。
という見方をするか、
②そもそも それは、なんのためにあるの?
という見方をするかは、
大きなちがいです。
おとめ座[冥王星おとめ座世代]においては。
結婚とは、与えられた課題であり、結婚しない、という選択肢はない。結婚できなければ、負け組だ。
それに対して。 てんびん座[冥王星てんびん座世代]にとっては、結婚は、ふたりでするものであり、ふたりにとって何の益もないなら、結婚する意味がない。つまり、結婚することの意義が
「既婚者という肩書きを手に入れること」から
「特定のだれかと生涯を共にすること」へと
変化している。つまり、こちらの世界観においては、
好きでもない人と結婚するハメになってしまうことが負け組 なのだ。
わかるだろうか?
「結婚なんて、だれとしたって、同じだよ!」というのは、
おとめ座的言明。
そのとおり。だれと結婚しようと、「既婚者という肩書きが手に入る」ことに、変わりはない。
それに対して、てんびん座的世界観においては、あの人と結婚するか、この人と結婚するのかでは、大きく運命が変わるのであり、理想どおりの相手を選択できるかどうかは、死活問題だ。
それだけではなく。結婚をするということは、それは同時に
「独身という立場の喪失」でもある。そのことを、てんびん座は無視できない―――。
ここは重要なところだから、強調したい。
おとめ座的世界観においては、結婚とは社会から課せられたミッションなのであった。したがって、だれと結婚しようと、とにかく結婚できた時点で、ミッションクリアに向かって一歩前進(または結婚というミッションをクリア)なのであり、ゆえに、独身者の立場を喪失、という部分は重視されない。
しかし、てんびん座にはその発想はないのであり、社会から課せられた義務を果たすことへの崇高さを感じない以上、結婚するかどうかは、単なる自由意志の問題だ。
とすると、結婚するにあたっては、まず何より、
「独身者という立場を喪失してまで、結婚したい相手か」
ということが問われることになる。
結婚してしまったあとで、「もっと良い相手」が現れる可能性は、いくらでもあるのだから!
結婚について。そのような態度で扱う者が増えれば、当然のことながら、未婚率は上がるし、晩婚化は推し進む。
それはそうだ。
結婚しなければならない理由なんて、
「社会が、そうしろと言っているから」以外に、
じつのところ、なにもないのだから―――。
おとめ座は、社会に対して、従属的。
だからこそ堅持されてきた社会のルールを、
しかし、てんびん座は「無条件に守るべきもの」とは、思っていません。
それにもかかわらず、現実には、上の世代からの圧力もあって、
「社会のルールを無条件に押し付けられている」のが実状でしょうから、冥王星てんびん座世代は、ひどい抑圧感を感じていることでしょう。
結婚というテーマにおいても。
それ以外においても。
冥王星の世代で見ると、それはとくに顕著なのですが。
おとめ座までの6星座と、
てんびん座以降の6星座とでは、
見えている世界が、ずいぶんと、ちがいます。
社会、というものを軸にして述べるなら。
おとめ座(までの6星座)にとって、社会とは、あらかじめ、すでに存在しているもの。
したがって、個人にとっての自由意志とは、すでに存在している社会において、より良い立ち位置をゲットできるかどうか、ということに集約されます。利潤の追求でも、正しさの追求でも、それは同じです。
それに対して。
てんびん座(以降の6星座)においては。自由意志、という時点で、そもそもの社会そのものを設計しなおすことも含まれます。
わかりやすく言えば、わたしたち(人間)の社会は、わたしたち(人間)の総意によって形成されている。
であれば、わたしたち(人間)は、どのような社会に住みたいのかをよく考え、実際に、そのとおりに社会を設計すればよい―――。
これは、正論です。
まったくもって、正論だと思います。
しかし、おとめ座までの世界においては、それは、まったく、実行されて、来ませんでした―――。
「社会とは何か。」
という命題が。
『従属すべきものである。』から
『設計すべきものである。』へと、
大きく変化するのです。
てんびん座世代が 社会の主導権を握りはじめる2025年以降。いったいどのような時代がやってくるのでしょうか。
現時点でも確実に言えることは、以下のとおりです。
不自由で抑圧的だが安定している社会は崩壊し、
自由だが流動的で寄る辺のない世の中に、
なるでしょう―――。
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