第1章 木の玩具からはじまった夢――レゴ創業の物語

レゴの物語は、デンマークの小さな町ビルンから始まった。
1932年、家具職人だったオーレ・キアク・クリスチャンセンは、
世界恐慌で仕事を失い、家族を養うために
木製の玩具を作り始めた。
最初に作ったのは、アヒルの引き車や小さな積み木。
彼の工房は、木くずと希望だけでできたような場所だった。

1934年、彼はその玩具に「レゴ(LEGO)」という名をつける。
これはデンマーク語の「Leg godt(よく遊べ)」を短くしたもの。
この短い言葉に、オーレは“遊びの中に学びがある”という信念を込めた。
奇しくもこの言葉は後にラテン語の「私は組み立てる(lego)」とも一致する。
まるで運命が彼の玩具に未来を約束していたかのようだった。

1942年、工房が火事で全焼するという悲劇に見舞われる。
当時は貧しい時代、再建は不可能と思われた。
だがオーレは「最悪のときこそ最高のスタートだ」と言い、
焼け跡から再び木製玩具を作り始めた。
この不屈の精神が、のちのレゴ社の根幹を形づくる。

1947年、オーレはヨーロッパの玩具メーカーとして初めて
プラスチック射出成形機を導入する。
当時、プラスチック玩具は“安っぽい”と見なされていたが、
彼は「木は限りあるが、想像力は無限だ」と信じて挑戦した。
こうして、木からプラスチックへの転換が始まる。

1949年には、初のプラスチック製ブロック
自動結合ブロック(Automatic Binding Bricks)」を発表。
まだ現在のレゴのような安定した形ではなかったが、
ここに“組み立てて遊ぶ”というコンセプトが生まれた。

当時の玩具市場は、
“完成された美しさ”を求める傾向が強かった。
だがレゴは逆だった。
未完成だからこそ無限に変化できる
その思想は、後に世界中の子どもの創造力を解き放つことになる。

1950年代に入ると、オーレの息子ゴッドフレッド・カーク・クリスチャンセン
経営に加わり、「統一されたシステム玩具」という構想を打ち立てる。
これがのちに“レゴ・システム”と呼ばれる、
レゴ最大の哲学の第一歩となった。

この章は、レゴがデンマークの小さな工房から誕生し、
木の玩具からプラスチックブロックへと進化した過程
を描いた。
オーレの信念「よく遊べ」という言葉が、
会社の原点として今も生きている。
火事の苦難を乗り越えた不屈の精神、
素材の常識を打ち破った革新、
そして“遊びの中の学び”という思想。
レゴは始まりからすでに哲学を持っていた。
それは単なる玩具ではなく、創造する心そのものの誕生だった。

 

第2章 「カチッ」とはまる発明――レゴブロックの誕生

1950年代、レゴはひとつの重大な課題に直面していた。
それは「組み立てやすいが、すぐ外れてしまう」ブロックの欠点だった。
どんなに形を作っても少し動かせば崩れてしまい、
夢の城も、車も、子どもの手の中で一瞬にして瓦解する。

この問題に挑んだのが、創業者オーレの息子であり、
レゴの実質的な設計者となるゴッドフレッド・カーク・クリスチャンセン
彼は“しっかりはまり、自由に外せる構造”を追求し、
1958年についにチューブ式結合構造を完成させる。

この内部構造こそが、レゴブロックを他の積み木と決定的に分けた発明だった。
上下に配置された円筒形のチューブが、
ブロック同士を絶妙な摩擦力で結合する。
その結果、縦にも横にも、斜めにも、無限の形が作れるようになった。
この特許をもとにした構造は、今のブロックとも完全に互換性がある
つまり、1958年製のブロックは今のレゴにも“カチッ”とはまる。

この「互換性の哲学」こそ、レゴが玩具を超えて文化になった理由だ。
子ども時代に作ったものが、大人になっても同じブロックで続けられる。
レゴは単なる遊びではなく、時間を超えてつながるシステムになった。

この頃、ゴッドフレッドはもうひとつの大きな構想を描いていた。
それが「レゴ・システム・オブ・プレイ(統一された遊びの体系)」。
それまでの玩具は、セットごとに独立していて混ぜて遊べなかった。
だがレゴはすべてのセットを同じ規格で作り、
どんなシリーズでも組み合わせられるようにした。
家を建てるブロックと車のパーツが共存し、
すべてのパーツが“ひとつの世界”を作り出す――
これがレゴ哲学の核心となる。

1958年の特許取得は、レゴ社にとって新しい時代の幕開けだった。
それ以降のすべてのブロックは、このチューブ構造を基盤に発展する。
一見単純な形の中に、精密な工学設計と哲学が詰まっていた。

この章は、レゴブロックが「カチッ」とはまる構造によって完成した瞬間を描いた。
木からプラスチックへ、そして“ブロック”という概念の確立へ。
ゴッドフレッドの発明は、遊びを科学に変え、
ブロックを永遠に進化可能なシステムにした。
1958年の特許が生んだチューブ構造は、
時代も国境も超えて人々をつなぐ象徴となる。
レゴの魅力は色でも形でもなく、その「はまり方」に宿っている

 

第3章 「システム」の時代――レゴ・タウンと遊びの統一

1958年、ブロックの構造が完成すると同時に、
レゴはひとつの問いに直面する。
――ただ積むだけのブロックで、どうやって“物語”を生み出すか?
その答えが、レゴ・システム・オブ・プレイの本格的な始動だった。

ゴッドフレッド・カーク・クリスチャンセンは、
「遊びは自由であるべきだが、自由にも秩序が必要だ」と語っている。
この発想から生まれたのが、
家、車、道、街、そして人――すべてをひとつの世界で遊べる仕組みだった。
1950年代末から1960年代初頭にかけて、
レゴは「レゴ・タウン」「レゴ・トレイン」などのシリーズを展開し、
街全体をブロックで構築できるようにした。

これまでの玩具は“ひとつの完成形”を見せて終わりだったが、
レゴは違った。
どのセットも他と組み合わせることで無限に拡張できる。
つまり、遊ぶたびに自分だけの街が変化していく。
子どもは建築家であり、都市計画者であり、物語の創造者になった。

この思想を支えたのが、統一されたスケール設計だ。
道路プレートの幅、建物の高さ、車のサイズ――
すべてが共通の比率で作られていた。
そのため、どの時代のブロックを組み合わせても自然につながる。
これは世界中の玩具でも類を見ないほど精密な設計思想だった。

さらに1960年代には、事故で木製玩具の倉庫が再び焼失。
このときレゴは「もう一度木には戻らない」と宣言し、
完全なプラスチック玩具メーカーとして再出発する。
ここで“積み木会社”から“創造のシステム企業”への進化が完了する。

1964年、レゴは遊び方を説明するカラーの組み立て説明書を導入。
それまでの自由な想像に加えて、
「説明書をもとに完成形を作り、そこから再構築する」という
学びのプロセスが誕生する。
これにより、子どもたちは“作る→壊す→また作る”を繰り返すようになる。
その循環が、レゴの根本哲学「創造の再生」を形づくった。

やがて1966年、レゴは電動列車セットを発売。
これにより“動くレゴ”が登場し、
静止した街が一気に生命を持つ。
電池ボックスと線路を備えたその列車は、
レゴが単なる積み木を超え、世界を動かす模型へと進化した瞬間だった。

この章は、レゴが統一された遊びの体系=レゴ・システムを確立した時代を描いた。
どんなブロックも、どんなシリーズも、ひとつの世界でつながる。
街、列車、家、人――すべてが調和する遊びの宇宙。
木製から完全プラスチックへの転換、
説明書と電動化による学びの拡張、
そして遊びを“体系”に変えた哲学。
レゴはここで、「積み木」から「システム」へと進化した。
それは、子どもに“想像する力で世界を作る”という権利を与えた瞬間だった。

 

第4章 カラフルな革命――ミニフィグと人間の登場

1970年代に入ると、レゴの街は建物や乗り物で満ちていた。
だがそこに“人間”がいなかった。
街が動き出すには、そこに生きる存在が必要だった。
そして1978年、レゴ史を変える新しい仲間が登場する。
それがミニフィギュア(ミニフィグ)だった。

最初のミニフィグは高さ約4センチ。
笑顔の顔、動く腕と脚、そして黄色い肌。
この黄色は人種を限定しない“すべての人”を意味していた。
子どもがどの国にいても、自分を投影できるようにという配慮だった。
この瞬間、レゴの世界は無機質な街から人が生きる物語世界に変わった。

初期のミニフィグには、
消防士、警察官、パイロット、建設作業員など、
日常生活を象徴する職業がそろえられていた。
それぞれに道具や乗り物が用意され、
レゴの街が“動き出す”感覚を与えた。
レゴ・タウン、スペース、キャッスル――
こうしたシリーズが同時期に生まれ、
ミニフィグはすべての世界をつなぐ“共通の住人”となった。

この登場で、遊びは“建築”から“演出”へと広がる。
子どもたちは建物を作るだけでなく、
その中で誰が住み、どんな日常を送るかを考えるようになった。
つまり、レゴは模型からドラマの舞台へ変わった。

また、1970年代後半は色彩の進化も進んだ。
ブロックの色は、白・赤・青・黄・黒の5色から、
灰色・緑・茶色など自然色が追加され、
街や森、宇宙など多彩な環境を表現できるようになる。
ミニフィグの表情は笑顔だけだったが、
色の多様化が“世界の広がり”を象徴した。

1979年、レゴは初のスペースシリーズを発売。
青と灰色のブロックに透明ヘルメットをつけた宇宙飛行士。
このSF的世界観は子どもたちに圧倒的な人気を博し、
レゴの世界は地球を越えて銀河へと広がっていった。
この宇宙シリーズこそ、後のテーマ展開の原型になる。

同時期に、レゴ社は製品を“男の子用・女の子用”に分けず、
「想像力に性別はない」という姿勢を打ち出した。
家、車、城、宇宙――どれも遊びの平等な入口とされた。
この哲学は今もレゴの根幹に流れている。

この章は、ミニフィグの登場によってレゴの世界に命が吹き込まれた瞬間を描いた。
黄色い笑顔が街を歩き出し、ブロックが物語を持ちはじめる。
日常と冒険、地上と宇宙、すべてがひとつの体系でつながった。
カラフルな色彩と職業の多様化が子どもたちに“なりたい自分”を見せ、
遊びは単なる工作から、世界を創造する演劇へと変わった。
レゴはこのとき、ブロックから“生命の宿る世界”へ進化した。

 

第5章 テーマの拡張――宇宙・城・海賊、そして物語の誕生

1970年代後半から1980年代にかけて、
レゴは“ひとつの街”を超え、“ひとつの世界観”を作り出す方向へ進んだ。
単なる組み立て玩具から、物語を体験する世界へ。
この変化を象徴したのが、シリーズ化という大転換だった。

最初に人気を博したのがレゴ・スペース
1979年、灰色と青の機体に透明なヘルメットをつけた宇宙飛行士たちが登場する。
彼らには敵も味方もいない。
ただ「未知を探索する冒険者」として、
宇宙の自由な想像を象徴する存在だった。
星間基地、ロケット、月面車――
そのすべてが“未来の街”をブロックで表現していた。

続いて1984年、レゴはキャッスル(お城)シリーズを発表。
これにより、レゴの世界は一気に過去へも広がる。
騎士、王、魔法使い、ドラゴン。
ブロックで組み立てた城の中で、
戦いや友情、勇気の物語が始まった。
この“中世ファンタジー”の要素は、のちのRPG文化にも通じ、
多くの子どもたちが“物語を創る”楽しさを体験する入り口になった。

さらに1989年、海のロマンをテーマにしたパイレーツ(海賊)シリーズが登場。
帆船、宝箱、大砲、そして宿敵の兵士たち。
このシリーズでは初めて、ミニフィグに異なる顔の表情が導入される。
笑顔だけだったレゴの人々が、
怒り、疑い、狡猾さといった“感情”を持ち始めた瞬間だった。
つまり、ここでキャラクター性が誕生した。

このころ、レゴは「どんな物語も、ブロックで語れる」ことを発見する。
それは玩具というより、物語生成装置に近い発想だった。
宇宙では探検、城では冒険、海では戦い――
どの世界でも共通するのは、“創造者は子ども自身”という哲学。
レゴはストーリーを“押し付けず”、
素材として“提供する”立場を貫いた。

また、80年代は製品の精密化も進む。
歯車やヒンジ、窓やドアといったパーツが増え、
構造的な表現が飛躍的に豊かになった。
技術の進化が、子どもたちの空想の精度を押し上げていった。

こうして、レゴの世界は「現実の街」から「想像の宇宙」へ、
そして「歴史と伝説の舞台」へと広がっていく。
レゴが創るのは“世界”であり、
その中で生きるのは子どもの想像力そのものだった。

この章は、レゴがシリーズ展開によって多様な物語世界を持つようになった時代を描いた。
スペースで未来を、キャッスルで過去を、パイレーツで自由を表現。
表情を持つミニフィグの登場が、世界に感情を吹き込んだ。
レゴはここで“街を作る玩具”から、“物語を生む文化”へと変わった。
宇宙も城も海も、子どもの手の中にあった。
レゴはその想像の海を、静かに広げていった。

 

第6章 動くブロック――テクニックと仕組みの科学

1980年代に入ると、レゴはさらなる挑戦を始めた。
それは「ただのブロック」から「動く機械」へと進化させる試みだった。
この新しい方向性を示したのが、レゴ・テクニック(LEGO Technic)である。

1977年、最初のテクニックシリーズが登場。
通常のブロックに加えて、歯車・軸・ピン・ジョイントといった
“動きを生み出す部品”が導入された。
それまでのレゴが「外見を作る遊び」だったのに対し、
テクニックは「仕組みを理解する遊び」へと踏み込んだ。
子どもたちは車のハンドルを回し、
ピストンが上下するエンジンを見て、
“ものが動く理由”をブロックで体験するようになった。

1980年代にはさらに、モーターやライトを使った電動テクニックが登場。
ギア比を調整し、クレーンを動かしたり車を走らせたりできるようになる。
工作と科学、デザインと技術が融合したこのシリーズは、
まるで“ブロックで作る工学の教科書”だった。

当初は複雑すぎると評価されたが、
その緻密さこそがレゴの新たな魅力となった。
親たちは「遊びながら理系思考を育てられる」と支持し、
レゴは教育玩具としての評価を確立していく。
学校や博物館にも採用され、
“遊びながら学ぶ”という理念が世界中に広がった。

1989年にはテクニック・エア(空気圧システム)が導入される。
ポンプを押すとピストンが作動し、アームが上下する。
子どもたちは物理法則を手の感覚で学びながら、
科学と創造の接点に触れることができた。
ブロックの世界が、現実の力学を再現する舞台になったのだ。

やがて1990年代には、コンピューター制御が組み込まれ、
マインドストーム(Mindstorms)として進化する。
だがその話はもう少し先の章で語られる。
この時点でレゴはすでに“想像の玩具”から“教育のツール”へ変貌していた。

テクニックシリーズはデザイン的にも革新的だった。
丸みのあるクラシックブロックから、
細長く、現実の機械を思わせる骨格的な構造へ。
視覚的にも「大人も夢中になる」新しい方向を切り開いた。

この章は、レゴが動きを得て「技術と創造の融合」へ進化した時代を描いた。
テクニックによって、ブロックは静止から運動へ、
デザインから構造理解へと拡張した。
歯車や軸を通して、子どもたちは“仕組みの面白さ”を体で覚えた。
科学が難解になる前に、それを遊びに変えてしまう――
それがレゴの魔法だった。
ここでレゴは初めて、“未来をつくる手”を手に入れた。

 

第7章 ブランドの宇宙――映画、ライセンス、そしてストーリーの融合

1990年代に入ると、レゴはすでに世界中で知られる玩具となっていた。
だがその人気の裏で、ひとつの課題が浮上していた。
「ブロックだけでは子どもたちの興味を引き続けられない」――。
テレビやゲーム、アニメが子どもの想像を奪っていく中、
レゴは“物語を持つブロック”という新たな戦略を打ち出す。

その最初の大きな転換が、テーマとストーリーの完全融合だった。
1999年、レゴは初めて映画との公式ライセンス契約を結び、
スター・ウォーズシリーズを発売。
Xウィングやダース・ベイダーのヘルメットなど、
ファンが知る象徴的デザインをブロックで再現した。
レゴはここで“映画の世界を再構築できる玩具”へと進化する。

スター・ウォーズは大ヒットとなり、
続いてハリー・ポッターロード・オブ・ザ・リング
スパイダーマンバットマンなどの人気シリーズが登場。
レゴはもはや単なる玩具ではなく、
映画のストーリーテリングを手の中で再現する装置になった。
これは、デジタル時代にアナログで物語を“触れる”体験を提供する革命だった。

同時期、レゴは自社オリジナルの世界観にも力を入れる。
1998年にはレゴ・ニンジャゴーの原型となる“忍者シリーズ”が登場し、
2001年にはバイオニクルという独自のSF神話が誕生。
バイオニクルは、善と悪の戦いを壮大な神話として描き、
キャラクター、言語、漫画、映像を含む一大メディア展開を行った。
この試みはレゴにとって初の“ストーリー主導型商品”であり、
グローバルブランドとしての存在感を再び高めることになる。

この時期、レゴは“手で作る物語”を越え、
“心で感じる世界”を目指した。
映画ライセンスで現実の物語を再現し、
オリジナル作品で新しい伝説を創る。
どちらも共通していたのは、想像力の継承だった。
子どもは映画で見たヒーローを再現し、
そこから自分だけの続編を作り出した。
レゴは創造と模倣を結ぶ“橋”になったのだ。

この章は、レゴが映画・物語・キャラクターと融合し、
グローバルブランドへ飛躍した時代
を描いた。
スター・ウォーズから始まったライセンス展開が、
アナログとデジタルの境界を超えた“遊びの再定義”を生んだ。
レゴは企業ではなく、ひとつの文化装置となり、
創造と物語の交差点に立った。
ここでレゴは初めて、現実とフィクションを自在に組み替える“語り手”になった。

 

第8章 危機と再生――倒産寸前からの大逆転劇

2000年代初頭、レゴは栄光の裏で崩壊の淵に立たされていた。
売上は急落し、経営は混乱。
その原因は、急激な多角化だった。

テーマパーク「レゴランド」の拡張、衣料・時計・ビデオゲーム・ぬいぐるみなど、
“レゴらしくない”商品を乱発。
ブランドの核である“ブロック”が薄まり、
生産コストは膨れ上がる一方だった。
2003年、レゴ社は創業以来最大の赤字を記録し、
倒産まであと一歩の危機に陥る。

だが、ここで登場したのが新たな救世主――
創業家4代目にあたるヨルゲン・ヴィ・クヌッドストープ
彼は2004年にCEOに就任し、まだ30代の若き経営者だった。
就任早々、彼は大胆な改革に踏み切る。
まず、テーマパークや衣料事業などを整理し、
レゴは何者か」を根本から問い直した。
その答えはシンプルだった。
――「レゴは“遊びのシステム”である」。

この言葉を軸に、彼は製品を再構築していく。
売れ筋を徹底分析し、ブロックを軸に据えた
スター・ウォーズ、シティ、テクニック、ニンジャゴーの4大柱を形成。
複雑化したシリーズを整理して、
“子どもが手に取ってすぐ遊べる構成”を目指した。

さらに、製造工程の自動化とコスト管理を徹底。
物流を外部委託し、商品デザインも国際チーム制に切り替えた。
そしてなにより重要だったのは、
ユーザーとの対話を復活させたこと
オンラインフォーラムを通じて世界中のファンの声を集め、
子どもや大人が提案したアイデアを実際の商品に反映するようになった。

2005年以降、レゴは驚異的なV字回復を果たす。
特に2009年のレゴ・スター・ウォーズシリーズが世界的大ヒット。
さらに2011年のニンジャゴーアニメ放送で、
次世代のファン層を完全に取り戻した。
もはやレゴは玩具の枠を超え、
“物語と共に進化するブランド”として再び世界を席巻する。

この再生劇は、経営学の教科書にも取り上げられたほど。
その理由は、単なる数字の回復ではなく、
原点に戻る勇気創造の哲学の再確認にあった。
レゴは“多角化”ではなく、“深掘り”によって甦った。

この章は、レゴが倒産寸前から原点回帰によって蘇った奇跡の時代を描いた。
危機の原因は拡張ではなく、理念の喪失だった。
そして復活の鍵は、遊びを再定義した若き経営者の決断にあった。
レゴはここで再び“ブロック”に立ち返り、
シンプルな遊びの中に無限の可能性を見出した。
カチッとはまる音は、企業がもう一度息を吹き返した音でもあった。

 

第9章 映画の逆襲――レゴムービーが変えた世界

2010年代、レゴは完全に息を吹き返していた。
だが、再び挑戦の時が来る。
「ブロックで語る物語」を、スクリーンの中で実現する時代が始まった。

2014年、ついに公開されたのが『レゴムービー』
当初、誰もが「おもちゃの映画など成功するはずがない」と笑った。
しかし、公開されるや世界中の観客がその脚本と演出に衝撃を受ける。
この作品はただの子ども向けアニメではなかった。
それは“創造の自由と管理社会”をテーマにした、
哲学的でメタ的なアドベンチャー映画だった。

主人公はごく普通の作業員エメット
何の特別な才能もない彼が、偶然「選ばれし者」とされ、
世界を救う冒険に巻き込まれていく。
だがその裏で語られていたのは、
“創造を縛るルールの危険性”という深いメッセージだった。
「説明書通りにしか組まない世界」を壊し、
「自由に組み替えることこそが想像力」だと示したのだ。

ブロックの世界が映像として完璧に再現され、
一つひとつのパーツが“現実のレゴそのもの”として動く。
この緻密なCG表現が観客に“手で遊ぶ感覚”を蘇らせた。
さらに、物語後半で現実世界の父と息子の関係が明かされることで、
レゴは“親子をつなぐ記憶の象徴”として描かれる。
この構造の巧みさが絶賛され、
『レゴムービー』は批評家からも高い評価を受けた。

映画の成功を受け、
『レゴバットマン・ザ・ムービー』(2017)、
『レゴニンジャゴー・ザ・ムービー』などのスピンオフも制作。
それぞれがユーモアとアクション、自己風刺を交えた作品で、
「レゴ=笑いと哲学の融合」というブランドイメージを確立した。

映画の影響は玩具にも波及する。
映画内のキャラクターや世界観を再現したセットが発売され、
観客が見た“レゴの世界”をそのまま手元で再構築できるようになった。
こうしてレゴは、映画→商品→遊び→映画という
完璧な循環システムを完成させる。

この頃、レゴ社は新しいキーワードを掲げていた。
それが「Rebuild the World(世界を組み替えよう)」。
映画のメッセージをそのまま企業理念に昇華させ、
“世界はブロックのように変えられる”という思想を打ち出した。

この章は、『レゴムービー』がレゴを再び文化の中心に押し上げた時代を描いた。
ブロックが映画となり、映画が哲学になり、
哲学がまた遊びに還るという理想的な循環を生み出した。
説明書ではなく想像力こそが自由を生む。
レゴムービーは、その単純な真理を世界に突きつけた。
カチッとはまる音の裏には、「創造は反抗である」という意思があった。

 

第10章 未来を組み立てる――デジタル時代のレゴとその哲学

レゴは21世紀に入り、再び“新しい素材”と出会う。
それはプラスチックでも金属でもない。
デジタルだ。

スマートフォンやゲームが当たり前になった時代、
子どもたちはスクリーンの中で世界を作るようになった。
そんな時代に、レゴは“現実とデジタルをつなぐ遊び”へと進化する。
その代表が、レゴ・マインドストームレゴ・スパイクだ。

マインドストームは1998年に登場したプログラミングブロックだが、
2010年代にはWi-Fiやアプリと連動し、
ロボットを自分で組み、動かし、プログラムできるようになった。
“動くレゴ”が、“考えるレゴ”へ変わった瞬間だ。
ブロックが脳を持ち、子どもがエンジニアになる。
それは遊びと学びの境界を溶かした革命だった。

同時に、レゴは教育分野へ本格的に進出する。
「STEM(科学・技術・工学・数学)」教育の教材として、
世界中の学校に導入されるようになった。
子どもたちはロボット工学や論理思考を
“楽しみながら”学ぶことができるようになった。
これこそ創業者オーレの信念「遊びながら学べ」の具現化だった。

そして、デジタルとの融合は遊びそのものも変えた。
AR(拡張現実)を使ったレゴ・ハイドン・サイド
スマホでスキャンして街を動かすレゴ・シティ・ミッションズなど、
画面とブロックがリアルタイムで連動する。
“手で作り、目で動かす”時代に突入した。

さらに、環境への配慮もレゴの未来を形づくっている。
2018年、レゴはサトウキビ由来の植物性プラスチックを導入。
一部のパーツを再生素材に置き換え、
2030年までにすべてのブロックを持続可能素材にする計画を発表した。
かつて火事から立ち上がった企業が、
今度は地球の未来を“組み替えよう”としている。

もうひとつの進化は、ファンと共に作る時代だ。
レゴ・アイデア(LEGO Ideas)という公式サイトでは、
ファンが提案した作品が1万票以上集まれば、
実際の商品化が検討される。
アニメ、映画、建築、科学――あらゆる分野の人々が
自分のアイデアをレゴの形で共有している。
もはやレゴは企業ではなく、世界的な共同創造コミュニティとなった。

この章は、レゴがデジタルと持続可能性を取り込み、未来型の“遊びの哲学”を築いた時代を描いた。
ブロックは今も変わらず四角いが、その意味は進化を続けている。
プログラムを動かす子どもの手、地球を守る素材、そして世界中のファンの想像力。
それらがすべて“組み合わさって”レゴというひとつの文化を作っている。
創業から90年を越えても、レゴの理念は変わらない。
「よく遊べ(Leg godt)」――それがすべての始まりであり、未来への合言葉だ。