第1章 黒き城への旅路

若きイギリス人弁護士、ジョナサン・ハーカーは仕事のために、東ヨーロッパのトランシルヴァニアへと向かっていた。
彼の任務は、ある貴族の土地取引を手伝うこと。
その貴族の名は――ドラキュラ伯爵。

旅の途中、村人たちは彼の行き先を聞くたびに怯え、
「行くな」「吸血鬼(ヴァンパイア)の棲む城だ」と警告した。
老人たちは銀の十字架を渡し、
少女は涙を流して祈った。
だが、ジョナサンは笑ってそれを受け流す。
「迷信だろう。仕事を果たすだけだ。」

夜が深まる頃、彼を迎えに来た馬車が現れた。
御者は無言で、異様なほど長い腕を持っていた。
やがて霧の中を抜けると――
月光の下に、巨大な城が浮かび上がった。

扉が開き、中から現れたのは高く痩せた男。
白い顔、赤い唇、燃えるような瞳。
「ようこそ、我が城へ。私はドラキュラ。」

その声は低く、まるで地の底から響くようだった。
伯爵は丁寧に客を迎え、
夜通し歓待の言葉を並べた。
だが奇妙なことに、食事をするのはハーカーだけ。
伯爵は決して口に何も入れなかった。

その夜、ジョナサンは日記にこう記す。
「この城には僕と伯爵以外、誰もいないようだ。」

数日が過ぎ、ジョナサンは少しずつ不安を覚え始める。
窓には鉄格子があり、扉はすべて外から鍵がかかる。
そして――鏡に映る自分の姿の隣に、伯爵の姿がなかった。

朝日が昇る頃、彼は確信する。
「僕は……この城に閉じ込められた。」

その夜、彼は廊下で三人の美しい女たちと出会う。
彼女たちは囁くように笑いながら、
「若い血の匂い……」と彼に迫る。
だがその瞬間、ドラキュラが怒り狂って現れ、
「この男は私のものだ!」と叫んだ。

その目は、獣そのもの。
ジョナサンは震えながら日記を閉じた。

この第1章は、“闇の城への招待”
ジョナサン・ハーカーが文明の国から“夜の世界”へと足を踏み入れ、
まだ知らぬ恐怖――不死の存在ドラキュラの正体に
じわじわと近づいていく章である。

 

第2章 血の夜と逃亡の決意

ジョナサン・ハーカーは、ドラキュラ城に囚われの身となっていた。
日が昇ると伯爵は姿を消し、
夜になると現れる。
それが毎日続くうちに、
「この城は生者の住む場所ではない」と悟る。

彼は日中、屋敷の中を調べた。
古びた棺桶が並ぶ部屋を見つけたとき、
その一つの中に――ドラキュラが眠っていた。
血のように赤い唇。
胸はわずかに上下しており、まるで死者のように静かだった。

「まさか……昼間は棺の中で眠るのか……?」
その光景に、ジョナサンの背筋は凍りついた。

夜になると伯爵は、
ロンドン行きの計画について話し出す。
「私は新しい国に家を持つつもりだ。
 君には手続きの続きを頼む。」
その声には、妙に滑らかな威圧があった。

そしてジョナサンの目の前で――
伯爵は巨大なコウモリの姿に変わり、
城の壁を這い降りていった。

ジョナサンは恐怖と好奇心に駆られ、
その姿を窓から見送った。
「やはり……この男は人間ではない。」

次の日、彼は書き残す。
「逃げなければ。今夜、命を賭けて。」

だがその夜、またも三人の吸血女が現れる。
彼女たちはジョナサンを取り囲み、
「可哀想な人……あなたの血を、少しだけ……」と囁いた。
だが突然、伯爵が現れ、
彼女たちを追い払う。

「この者はまだ役目がある。」
そう言い残すと、ドラキュラは彼を気絶させた。

気がついたとき、ジョナサンは塔の部屋にいた。
外には崖と闇。
逃げ道はただ一つ――窓から下ること。

彼はシーツを裂き、ロープを作り、
震える手で外へ降りていく。
その眼下には、無数の棺が積まれた荷車。
伯爵がロンドン行きの“棺桶の輸送”を準備していたのだ。

「伯爵は、あの棺で……イギリスへ……!」

彼は全てを理解した。
夜の支配者は、文明の国に乗り込もうとしている。
そしてその夜、ジョナサンは霧の中へと消えた。

この第2章は、“吸血鬼の正体が暴かれた章”。
ジョナサンは命を賭けて真実に触れ、
ドラキュラの恐るべき計画――“ロンドン侵入”の幕開けを目撃する。
闇は、すでにイギリスを目指して動き始めていた。

 

第3章 霧と船と“吸われた娘”

トランシルヴァニアから逃げ出したジョナサン・ハーカーは、
瀕死の状態で修道院に保護された。
一方その頃、ドラキュラ伯爵はすでに出発していた。
棺桶を積んだ船――デメテル号が、
黒海からロンドンへ向けて航行を始めていた。

航海日誌には奇妙な記録が残る。
「乗組員の一人が行方不明。
 血の跡だけが残っている。」
次の日――「また一人が消えた。」
その次の日――「霧が晴れない。
 甲板に黒い影を見た者がいる。」

そして、最後の航海日誌の一文はこうだった。

“神よ、我らをお救いください。
彼はここにいる。”

ロンドンの港に辿り着いた船には、
一人の死者と、無数のネズミ。
そして――積荷の棺桶の中に、
眠るドラキュラ伯爵の姿。

その夜、霧が街を覆い、
黒い影が路地を横切った。
闇の支配者がついにイギリスへ上陸した瞬間だった。

一方、イギリスでは、
ジョナサンの婚約者ミナ・マリーが、
友人のルーシー・ウェステンラの家に滞在していた。
ルーシーは明るく美しい女性だが、
最近、原因不明の体調不良に悩まされていた。

「夜になると、胸のあたりが苦しくて……」
ミナが心配して見守るが、
ルーシーは笑ってごまかす。

ある晩、ミナが目を覚ますと――
窓辺に黒い影が立っていた。
それはルーシーの上に身を屈め、
喉元に唇を押し当てていた。
ミナが叫ぶと、その影は霧のように消えた。

次の朝、ルーシーの首には、
小さな二つの傷跡。
そして肌は透き通るほど白く、
息はかすかに、命の灯は弱まっていた。

この第3章は、“闇が海を越えて侵入する章”。
吸血鬼ドラキュラはロンドンに降り立ち、
その最初の犠牲者がルーシー・ウェステンラであることが明らかになる。
そして――文明の都ロンドンが、
静かに“夜の王国”へと変わり始めるのだった。

 

第4章 ルーシーの血と教授の警鐘

ロンドンの夜は霧に沈み、
ルーシー・ウェステンラの容態は日ごとに悪化していった。
彼女の婚約者、アーサー・ホルムウッドは必死に看病を続け、
医師のジョン・スワードも手を尽くす。
だがどんな薬を与えても、血の気はどんどん失われていく。

「まるで……見えない誰かに血を吸われているようだ。」
スワードはそう呟き、
恩師であり友でもある、老学者アブラハム・ヴァン・ヘルシングに助けを求めた。

ヘルシング教授はオランダから急行し、
ルーシーを診察する。
その首元の二つの小さな傷を見て、
彼の表情が凍りついた。

「これは医学では説明できない。
 ……いや、これは“古い闇の病”だ。」

教授はアーサーたちに、十字架とニンニクの花を持たせ、
夜は絶対にルーシーのそばを離れるなと命じる。
だが、ある晩――
看病していた女中が眠り薬を飲まされ、
窓が開いていた。

月明かりの下、黒い影が忍び寄る。
ルーシーの胸元が微かに震え、
再び血が吸い取られていった。

翌朝、彼女はほとんど息をしていなかった。
アーサーが涙を流しながら手を握ると、
ルーシーはかすかに微笑み、
「アーサー……キスをして……」と囁いた。

だがヘルシングが止める。
「だめだ! それは彼女ではない!」

その叫びも虚しく、
ルーシーは静かに息を引き取った。
だがその顔には、奇妙な微笑みが残っていた。

数日後、葬儀が行われ、
彼女は墓へと埋葬された。
だが――夜な夜な街では、
「墓地の近くで子供を襲う“白い女”が出る」という噂が立つ。

ヘルシング教授は震える声で言った。
「やはり……彼女はまだ死んでいない。
 ――吸血鬼として蘇ったのだ。」

この第4章は、“吸血鬼の現実が明かされる章”。
信じていた科学も医学も無力。
ルーシーの死をきっかけに、
人々は初めて“ドラキュラの呪い”の存在を
理屈ではなく恐怖として理解することになる。

 

第5章 墓地のルーシーと決意の杭

夜の墓地。
ヴァン・ヘルシング教授とアーサー、スワード医師、そして友人のクインシー・モリスが、
静かに棺の前に立っていた。

アーサーは震える声で言う。
「教授……ルーシーは本当に……?」
ヘルシングは頷く。
「今夜、君は真実を見ることになる。」

棺の蓋を開けると――
そこには血色を取り戻したルーシーの姿。
まるで眠っているかのような美しさ。
だが、その唇は赤く濡れ、
首には新しい血の跡がついていた。

その瞬間、アーサーは言葉を失う。
「神よ……!」

次の夜、彼らは再び墓地を訪れる。
棺は空っぽ。
そして遠くの闇の中で、
白いドレスの女が幼い子を抱いて立っていた。

「ルーシー……!」

その女が振り返った。
かつての優しい瞳は冷たく光り、
彼女は甘い声で囁いた。
「アーサー……愛してるわ。来て……」

だがヘルシングが十字架を掲げると、
ルーシーは苦悶の叫びを上げ、霧と共に消えた。

教授は静かに言う。
「彼女を救うには、魂を解放するしかない。」

そして翌夜――
彼らは棺を開き、杭を準備した。
アーサーは涙をこらえ、
恋人の胸に杭を突き立てる。

一瞬、悲鳴が響き、
ルーシーの顔から悪魔の表情が消えた。
穏やかな笑みを浮かべ、
今度こそ本当に眠りについたのだった。

その夜、ヘルシングは皆に言った。
「彼女を蝕んだ元凶――ドラキュラ伯爵を倒さねば、
 また新たなルーシーが生まれる。」

ジョナサン・ハーカーは修道院から戻り、
妻となったミナ・ハーカーと共に教授の元を訪れる。
ジョナサンは震える声で、
トランシルヴァニアでの出来事を語った。

全員が真実を理解する。
敵は――人ではない。
そしてその夜、誓いが立てられた。

「我らはこの地に巣食う闇の王、
 ドラキュラを討つ。」

この第5章は、“恐怖が信念に変わる章”。
愛する者を失い、科学が敗れ、信仰が試される中、
人々はようやく一つになる。
そしてここから始まるのは――
吸血鬼狩りという聖戦。

 

第6章 ミナへの呪いと赤い印

ルーシーの魂を救った夜から、数日が経った。
ヴァン・ヘルシング教授と仲間たちは、
次なる目的――ドラキュラ伯爵の居場所の特定に動き始めていた。

ロンドン中の輸送記録を調べ、ジョナサンが気づく。
「伯爵の棺は全部で五十。
 それがあちこちの屋敷や教会に分けて運ばれている。」

その“棺”こそ、伯爵が昼間に眠るための隠れ家だった。
教授たちは一つずつ探し出し、
聖餅と聖水で封印していった。
棺が減るたび、伯爵の力も弱まる――そう信じて。

だが、その頃すでにミナ・ハーカーの身には異変が起きていた。
夜ごと、彼女は悪夢にうなされ、
「窓辺に赤い目の男が立っていた」と語る。

ジョナサンは不安を押し殺しながら、
ミナの首筋に浮かぶ小さな傷跡に気づく。
それは――かつてルーシーの肌にもあった印。

一同が慌てて駆けつけた時、
部屋の中には霧が立ち込めていた。
そしてその中央に、ドラキュラ伯爵の影。

彼はミナを抱き寄せ、
低い声で囁いた。
「我が血を、彼女に与えた。
 彼女はもう――我がものだ。」

伯爵は彼女の喉に牙を立て、
次の瞬間、自らの胸を裂いて血を飲ませた。
ミナの唇がそれを受けた時、
教授たちが踏み込む。

「退け、悪魔め!」

ヴァン・ヘルシングが十字架を掲げると、
ドラキュラは叫び声を上げ、霧と化して消えた。
だが遅かった。
ミナの額には、燃えるような赤い印が浮かんでいた。

教授は深く頭を垂れた。
「彼の血が、彼女の中を流れている……
 このままでは、いずれ彼女も――吸血鬼になる。」

一同は絶望の中で、再び決意する。
「ミナを救うためにも、
 ドラキュラを滅ぼすしかない。」

この第6章は、“呪いが愛に触れた章”。
闇の伯爵が人間の心に手を伸ばし、
ついにミナという“光”をも穢してしまう。
愛と信仰、理性と恐怖――すべてがぶつかり合い、
物語は
聖戦の第二幕
へと進んでいく。

 

第7章 追跡と血の契約

夜明け前。
ロンドンの空は鉛のように重く、
その下でヴァン・ヘルシングたちは疲労と焦燥に包まれていた。

ミナ・ハーカーの額の赤い印は、
まだ消えていなかった。
ドラキュラの血が彼女の中を流れ、
彼女は半ば“吸血鬼との絆”でつながれてしまっていた。

だがその呪いは、逆に“武器”にもなった。
ヴァン・ヘルシングは言う。
「彼女の意識と伯爵の意識はつながっている。
 その力を利用すれば――奴の居場所を探れる。」

教授は催眠術を施し、
ミナを深い眠りに導いた。
「ミナ、今見えるのは?」
「……波の音……鉄の鎖……揺れてる……あれは……棺……」

ジョナサンが叫ぶ。
「船だ! 奴は海へ逃げた!」

ドラキュラはロンドンを離れ、
トランシルヴァニアへの帰還を始めていたのだ。
聖水と聖餅で棺の多くを封じられ、
安全に眠れる場所を失った伯爵は、
自分の“本拠地”へ戻るしかなかった。

ヴァン・ヘルシングたちは即座に動く。
ミナを守りながら、列車と馬車を乗り継ぎ、
東ヨーロッパへと向かう。

その途中――
夜ごと、ミナの顔は青ざめていった。
伯爵が距離を詰めるたびに、
彼女の中の呪いが疼くのだ。

「教授……私、怖いの。
 自分がいつか……あの人のものになってしまう気がする。」
ミナは涙をこらえながらそう言う。
ジョナサンはその手を強く握り、
「君は絶対に渡さない。
 僕の命が尽きても守る。」と誓った。

旅の果て、夜風が冷たくなる頃――
ヴァン・ヘルシングは地図を指差し、静かに言う。
「奴の棺の最後の場所……それはボルゴ峠だ。」

ドラキュラが生まれ、
そして死ぬべき場所。

この第7章は、“血の契約と追跡の章”。
人間たちは愛と信仰を武器に、
闇の伯爵を追って大陸を渡る。
光と闇、科学と呪い――
その境界が、いよいよ崩れ始めていく。

 

第8章 トランシルヴァニアへの帰還

ロンドンから大陸へ。
ヴァン・ヘルシングたちは列車を乗り継ぎ、馬車を走らせ、
ひたすら伯爵の棺を追った。

伯爵は黒海からドナウ川を上り、
再び自らの故郷――トランシルヴァニアへ戻ろうとしていた。
追っ手から逃れ、故郷の地で力を取り戻すために。

だが追跡は容易ではなかった。
ドラキュラには忠実なジプシーの一団が仕えており、
彼らが棺を守り、道を塞いでいた。

その間にも、ミナの体は弱っていく。
彼女の血には伯爵の呪いが残っており、
夜ごと催眠術をかけられるたび、
彼女の口から伯爵の居場所の断片が語られた。

「……山……古い城の影……馬の蹄の音……」

ヴァン・ヘルシングは地図を広げ、確信する。
「奴はボルゴ峠を越え、城へ戻る。」

そして彼は重大な決断を下す。
「我々は二手に分かれる。
 一隊は馬車で峠を急ぎ、
 もう一隊は反対側から回り込み、挟み撃ちにするのだ。」

ジョナサンとクインシーは決死の覚悟で馬を駆り、
ヴァン・ヘルシングはミナを伴い、先回りして城を目指した。

その夜、冷たい風が吹く中、
ヴァン・ヘルシングとミナは廃墟のような城の門に辿り着く。
闇の中から聞こえるのは、
狼の遠吠えと、地の底からの呻き声。

「ここが……伯爵の生まれし地。
 そして、死ぬべき地だ。」

この第8章は、“闇の源へと戻る章”。
物語の舞台は再びトランシルヴァニアへ。
人間たちはついに敵の本拠地に迫り、
光と闇の最終決戦が――目前に迫っていた。

 

第9章 闇の城の攻防

雪が降り始め、風が唸るボルゴ峠。
ヴァン・ヘルシングは、
ミナを連れてついにドラキュラの城へと到達した。

かつてジョナサン・ハーカーが囚われたあの場所――
今は静まり返り、まるで死そのもののような冷たさを放っていた。

教授は焚き火を灯し、
震えるミナを抱き寄せながら、
「夜明けまでに終わらせねば、
 彼女の魂も奪われる」と呟く。

だが夜が更けるにつれ、
霧の中から三人の女吸血鬼が現れた。
白い肌、赤い唇、そして嘲るような声。

「教授……あなたは神を信じるの?
 この女はもうすぐ私たちの仲間よ。」

ヴァン・ヘルシングは聖餅を掲げ、
十字架の光で彼女たちを追い払う。
「お前たちにはもう安らぎも救いもない!」

夜明け前、教授は聖餅を城門や扉に貼り、
伯爵の隠れ家をすべて封印した。
彼の声が、氷のような空気に響く。
「ここに悪はもう戻れぬ。」

同じ頃――
別の道を急ぐジョナサン・ハーカークインシー・モリスは、
山を越え、ジプシーの一団を発見した。
彼らの荷車には――棺が一つ。
その中に眠るのは、ドラキュラ伯爵本人。

二人は息を殺し、剣と銃を構えた。
「ジョナサン、奴を止めるんだ!
 日の出までに!」

吹雪の中、銃声が轟く。
ジプシーたちが叫び、馬が暴れる。
太陽が山の端に顔を出した瞬間、
ジョナサンは馬車へ飛び込み、
棺の蓋を開けた――

そこに眠っていたのは、
若く美しいドラキュラの顔。
まるで死者ではなく、今にも目を開けそうだった。

ジョナサンはナイフを振り下ろし、
同時にクインシーが伯爵の胸に杭を突き立てる!

「これで終わりだ――ッ!」

轟音のような悲鳴が空を裂き、
伯爵の身体は灰となって崩れ落ちた。

だがその瞬間、クインシーの腹には深い傷。
彼は微笑んで言う。
「やっと……ルーシーに会える……」

雪の中、彼は静かに息を引き取った。

この第9章は、“聖なる刃が闇を貫く章”。
長き戦いがついに終わりを迎え、
闇の伯爵は滅び、人々は自由を取り戻す。
だが、その代償は――尊き命と流された血。

 

第10章 陽の下の約束

吹雪が止み、山々を包む雲が裂ける。
夜明けの光が、ようやくボルゴ峠に差し込んだ。

ジョナサンの腕の中には、
血に染まったまま静かに眠るクインシー・モリスの亡骸。
彼の胸元には、銀の十字架が握られていた。

ミナは涙を流し、
震える声で彼の手を握りしめる。
「彼の犠牲が、すべてを終わらせたのね……」

その瞬間、
ミナの額に刻まれていた赤い印が、
まるで陽光に溶けるように消えていった。

ドラキュラ伯爵の呪いは完全に解かれた。

遠くの空では、
灰となった伯爵の残滓が風に散り、
その影はもうどこにもなかった。
だが、ジョナサンたちの胸には、
永遠に消えない記憶が刻まれていた。

数日後、仲間たちは山を下り、
トランシルヴァニアを後にした。
ヴァン・ヘルシングは静かに空を見上げ、
「これでようやく、彼の魂も地に帰るだろう」と呟く。

ロンドンに戻った彼らは、
亡きクインシーの名を胸に刻み、
平穏な日々を取り戻した。
ミナとジョナサンには後に息子が生まれ、
その名を“クインシー”と名づけた。

そして――
七年後。
ヴァン・ヘルシングの家に再び仲間たちが集う。
彼らは笑い合い、語り合う。
「すべては終わった。だがあの夜の記憶は、
 永遠に忘れられないだろう。」

その夜、ミナはジョナサンの肩にもたれ、
そっと囁いた。
「悪夢の中にも、愛があった。
 あの時、あなたと生きるために、
 私はどんな闇にも立ち向かえたの。」

外では風が吹き、
教会の鐘が穏やかに鳴る。
それはまるで――夜に勝った者たちへの讃歌。

この第10章は、“永遠の夜が終わり、光が還る章”。
ドラキュラの滅亡と共に呪いは解かれ、
人々は血の宿命から解放された。
だが、彼らの心には刻まれている。
闇はいつでも、信仰と愛の隙間に忍び寄るということを。