会社は休みではありませんでしたが、
とあるご縁がありまして、仕事を簡単に済ませ、
福島第一原発の警戒区域となっていて、入ることも制限されてる20キロ圏内へと行ってきました

当然ながら、簡単には入るとこはできません。
まずはサッカー日本代表などが練習などに訪れていたJビレッジという施設から20キロ圏内へと入りました。
当然、入る前に頭にゴム帽子、防護服を着用し、ゴム手袋、布手袋を2重に着用し、マスクは絶対です。
その前にまずはJビレッジ内を覗いてみた。
綺麗な芝生だった上には分厚い鉄板やアスファルトがひかれ、
もはやサッカーグラウンドの影も形もなくなっていた。
中のロビーには防毒マスク、防護服、ゴム手袋、線量計などなど、
放射線に対しての防衛に使うであろうものがテーブルの上にものすごい大量に陳列され、
デパートの売り場のような感じすらした。
東電社員や関係者が自由に持っていけるようになっているんだろう。
なんか異様な雰囲気だった。
それといままで体育館などに雑魚寝などをしていた東電の関係者達だったが
仮設住宅もだいぶでき上がっていた。
いざ、20キロ圏内へ

入るときは車のナンバー、許可書などを警察官に見せ、中に入ることができた。
ルートは南から国道6号を北へ進み、最終目的地の浪江町を目指すルート

2つの線量計の数値をにらめっこしながら北へ車を進めた・・
一番最初に目に入るのは、道路沿いにある雑草だ。
伸びに伸びた雑草は、当然ながら刈ることも刈る人すらもいない。
普段なら奥の景色も覗けるだろうに、ゆうに自分の身長を軽く超えるぐらい伸びまくっていた。
道路もヒドい、危険なところはポールが置かれ応急処置はしてあるようだが、
国道を外れるとまったく手つかず。。
車も駐車場などに置かれたまんまになっている。
そのまま避難したことが伺える。
地震の被害も津波の被害じゃないのかと思わせるぐらい建物が倒壊してた。
揺れを経験した私だが、それ以上に地震の揺れが大きかったのが変わる。
さて、6号線をさらに進む。
原発10キロ圏内にくると、線量も5~10マイクロシーベルトを行ったり来たり

5マイクロシーベルトに設定していったため、当然アラームは鳴りっぱなし!!
私達3人の緊張感がハンパない。
ついでに外に出る勇気はなかった。。
さらに進む。
原発から5キロ圏内ぐらいだろうか。
原発の入り口をさす看板がみえた・・
と、同時にもう一つの線量計のアラームが鳴る

設定は50マイクロシーベルトにしていた。
見ると数値は50を軽く超えていた

周辺には何件か家も見える。
周辺とはいえ、局地的に異常に数値の高いホットスポットといわれる場所と、
思っていたより通知の低い場所があるようだった。
さらに北へ進み浪江に到着。
一緒に行った友人の住んできた家に行き、以前の一時帰宅で持ち帰ることのできなかった
荷物を運び出した。
家も地震にあったままの状態で残されていた。
歩くスペースもないほど、モノが散乱し、窓のガラスも割れ、雨ざらしの状態。
地震だけの被害とはいえ、想像を絶する光景だった。
少しでも雨をしのごうと三人がかりで窓を立てかけ、少しは開けが防げるようにしてきた。
気温も高い

たかが20分ほどの作業だったが防護服での移動や作業は極限まできていた。
原発で作業している人達はこの何十倍もの苦しさだろう。。
そして今度は彼の両親の住んでいた実家へと行った。
生活感がそのまま残っている。
ただし、玄関は開いたまんま(動物があけたらしい)
中には家畜で飼育されてたブタやイヌなどの動物の糞などが散乱し、荒らされていた。
庭にも糞がたくさん転がっている。
線量は8マイクロシーベルト。
10メートルも家を離れると0.5マイクロシーベルトに下がる。
この家は局地的に高い場所だった。
こんなにも違うものかと考えながらも、来た道を戻る。
Jビレッジに戻り、スクリーニングを入念に受ける。
異常がないとわかると、証明書を貰い出ることができた。
ゴーストタウンのようなところがホントに日本に存在してしまっていた。
テレビや映画だけの世界かと思っていたから、
目の当たりにすると絶句した。
そして、自らが経験して、言えることはこうだ。
・改めて原発事故の恐ろしさを知った。
・原発で働く作業員の苦労を少しばかり感じることができた。
・飯舘村も含め、20キロ圏内で今では無いにしても帰宅して住むことはホントにできるのだろうか。
・あの爆発した日、周辺にいた人の健康は問題なかったのだろうか。
・自然・・おそるべし。
