死んだデータ
以前、某氏に頂いたメール内に「データをCD-ROMに書いてしまうと取り出すのが面倒で、死んだデータ同然ですね」との記述を読んだ記憶があります。
前エントリに書いたように手持ち音楽CDのデータ化を行っているのですが、残り少ないと思っていた音楽CDが意外と沢山ありしかも、見つかるまで所有している意識がまったくありませんでした。
これでは必要な時に取り出せるはずもなく、銀の円盤を並べて場所を取って家賃を払っていたに等しく無駄であると実感してしまいました。
既に必要でないからこそそういう事になっているのかもしれませんし、音楽CDなど所詮は余事なので度を越えなければそれでもいいのかもしれませんが、一事が万事この調子では為し得るものも為し得ません。
「わかっているさ。」などと言っても、こういう事をしてしまっているわけで
解っているだけで出来るならば「なら勝てていただろう」でありますね。
持っていて、それを生きた形で活用できるくらいに手が届く場所に置ける物量は少なくて、
しかし沢山の物を持ちたくなるのは、出来ない人間の性なのかもしれません。
今まで、銀の円盤だった物がHDD上のデータになったわけですが
果たしてコレを生きたデータにする資質があるのか。
インテル、わたしを導いてくれ…。