セイバーマトリクス | 机が働く今日この頃(Flash支店)

セイバーマトリクス

最近、色々と鷲掴みなディスティニーですが、
議長がアスランの復隊を促すために話した
「君に出来ること、君が望むこと、それは君自身が一番良く知っているはずだ」
という台詞が心に残っています。


これに関しては、それが使われた状況、その後の展開などを含めて一連の流れはあるのですが、この言葉だけを分解してみると
「君に出来ること、君が望むこと」→「君自身が一番良く知っている」
となります。実はここに大きな誘導があると思うのです。


実は「君に出来ること、君が望むこと」について当事者が持ち得る情報というのは事実のほんの一部分でしかなく
それを「それは君自身が一番良く知っているはずだ」と言い切って誘導していきます。
(平たく言うと「だから答えはもう出てるでしょう。」ってことですね。「知っている」と言うのは、まさに思考停止でしょうね。「知っているんだから考えたり選んだりじゃないよ」と。)ああ、なんかちょっと哲学。


実際に「君が望むこと」を得るためには自分という人間の価値観や特性を深層から良く考えて予測を立て
それを実現する為に動いてみて、その経験から検討し修正するという繰り返しを行いつつ誤差の範囲内で得ていく物ではないかと思います。
そして最終的には「知っていること」ではなく「そうだと決めること」だと思います。

# 過去に模索した経験が時間経て得られることもあるでしょうから、

# その場合は「思い出す」事もあるかもしれませんね。
# しかし、それさえも不確定事項なので思い出した時から、その真偽を模索しなければならないでしょう。
# 「思い出せ!シン!お前は、本当は、何が欲しかったんだ!?」


だからこそ「何であれ、選ぶのはあなたですわ」のラクス発言が議長の言葉との近似値を取りながらもより深く後に来るわけです。

以上、前置き。


心に残っているのは前半の「君に出来ること、君が望むこと、」です。
この二つの事は同じであることもあれば違うこともあります。


-----------------------------
|         | (出来る事) |非(出来る事) |
-----------------------------
| (望む事)  |  A群     |  B群    |
-----------------------------
| 非(望む事) |   C群    |  D群    |
-----------------------------

こんな感じですね。

あえて「出来ない事」と書かずに「非(出来る事)」と書いたのは
「出来る事以外のすべて」という意味です。
「非(望む事)」も「望まない事」ではなく「望む事以外のすべて」という意味です。


もちろん大切なのはA群を実行実現する事です。
次に大切なのはB群にある事項をA群に移動させる事で
移動させるだけではなく当然A群に移ったら、当初からA群にあったものと同じように処理するべきでしょう。
この二つが完遂されれば、望む事は出来る事で全部完遂となります。


そう考えた時に「君に出来ること、君が望むこと、」という言葉が心に残ります。
(既に議長の発言とは無関係な話になっていますが。)

A群をやっているかどうか、「出来ることで、望むことを、やっているか?」と。

私の例で言えば、やっていたりいなかったりですね。
自分だけでなく他の人などを客観的に見ても、人間というのは「B群」と「C群」が好きなのではないかと思ってしまいます。
「出来ない事(出来るかどうか解らない事)をあえてやる」のと「特に望む事ではないけれど、できるのでやる。」のが好きなのではないかと。


「君に出来ること、君が望むこと、」と唱えて
A群を行い、B群をB群のままやってできなかったと言わずにA群に移してから行う。
「それこそが何より本当に難しいのだよ…。」
などと言わずに実行する方向で。