フィリピンでの2ヶ月半のインターン生活が終わりに近づいている。
あと3日。
これは私にとって、単なるインターンの終わりではない。
長い、長い、海外生活の終わり。
西欧、東欧、北欧、バルカン、アフリカ、中東、南アジア、東南アジア。
23カ国。
1年と17日。
限定的ながら、SOASで学んだアフリカ・オリエンタルの国々について、理論(勉強)と実際(旅やインターン)から理解を深める事が出来た。百聞は一見にしかずというのは本当で、いまではニュースで見聞きする土地の人々、文化、生活、社会経済が、色鮮やかに想像できるようになった。
そして海外に「住む」という、数日間の旅とはまったく違う経験もした。
いろいろな土地を自分の足で、自分の意思で回り、インターン先に応募し、生活を自分でセットアップしていくにつれ、独立して生きている自分というのを強く意識するようになった。自分の身は自分で守る。楽しむのも自分。責任は自分でとらなくてはいけない。(しかし、財政面以外ではあり、その点家族や奨学金のおかがで守られている。それがまた大きなファクターなのだとも思う。)
第2、第3の故郷ができた。
住んでいる期間が長くなれば長い程、知り合いもでき、生活に慣れ、良い思い出も悪い思い出も重なってゆく。
いま、9ヶ月生活したロンドンは間違いなく私の第2の故郷であり、
2ヶ月半生活したフィリピン・マニラは私の第3の故郷。1ヶ月住んだウガンダ・カンパラは私の第4の故郷だ。
数年前、参加した学生団体の勉強合宿のエンディングにこんな言葉があった。
「これは、終わりではない。
終わりの、始まりですらない。
ただ、始まりの、終わりかもしれない。」
出発前、友人と訪ねた居酒屋のマスターが、ギターを弾いて歌を贈ってくれた。タイトルは「8時59分。」
学生の頃なんて、人生の時計でいったらまだ9時にも回っていない。出発前の私の心境はまさにそうであった。あと1分で「始まりが始まる。」
いまは、何時頃だろうか。感覚としては9時半ぐらいに思える。
そう、私にとってのこの1年間の終わりは、まぎれも無く「始まりの終わり。」である。
1年間、あまりにも多くの出会いと別れがあった。
パーティーであった友達も、授業であった同期も、寮生活をともにした仲間達も、旅先で出会った町の人も。そのほとんどが、今はもう簡単には会えない遠い、遠い土地に住んでいる。
いまはインターネットがある?FacebookやEメールがある?
「Keep in touchしようね。」
そうはいっても、そう簡単なことではない。それぞれにはそれぞれの生活があり、毎日出会う人が居て、悪気はなくとも優先順位から漏れてしまうこともしばしばなのだと知った。
留学、旅、ワークキャンプ、インターンと重ねるにつれて、もはや、別れに慣れてしまったような感覚すらある。
泣いても笑っても、さようならを言わなければならない時がある。
だからこそ、その時、その時の、
今を大切にすることが大切なのだと知った。
フィリピンを出ることは寂しくもあり、
日本に買える事は嬉しくもあり、わくわくする気持ちも、そして私自身がどう変わっているのか、日本についてどう感じるのだろうか怖さすらある。
6月30日。フィリピンに到着。
これまで約4週間、これまでにない程多くの土地をまわってきた。6月5日にロンドン発。鉃道で東欧、バルカンをまわりギリシャへ。そこから、格安航空(Air Arabia、Kingfisher、Air Asia。片道50-100$しかかからないので、日本へ通常の航空会社で直帰するのと同じ値段で世界旅行ができてしまう。)を乗り継いで、アラビア半島、インド、マレーシアを経由して、フィリピンへ。
人々。
ヨーロッパの豊かな生活と移民たち。東欧で見た、西欧とは様相の違う街。ソビエトとヨーロッパが共存する。ポーランドの大学で、日本語を学ぶポーランド人たち。彼らの期末試験は、自己紹介と箸の使い方。オーストリアのアルプス。バルカンの人々。ギリシャの人ごみ、経済危機に発したプロテスト、青い海。ザンテ島のリトルロンドンではブリティッシュアクセントが飛び交い、ワーキングホリデーやバカンスに来たイギリスの若者がクラブ街を形作る。
世界一インターナショナルであろうドバイ。200カ国の国籍の人が住む。世界最大のショッピングモール、世界最高のタワーが砂漠の真ん中にそびえる。一方で見える、南アジアとフィリピンからの移民達。彼らは彼らのスタンダードがあり、旧市街に彼らのためのマーケットがあり、公共交通に乗るのも移民たちだけ。オマーンの猛暑。アラブの人々、移民達、そして車社会。
インドで見た物乞い、ビジネスマン、通りで物を売る青年、寝るところもないのに笑顔で話しかけてきた少年。ショッピングアーケードの真ん中にあるスラムの家に住む家族。荷物だなの上までにも人が乗り込む列車。一方で、中流、上流層は西洋と同じスタンダードのビジネスクラスに乗り、車を使う。
そして、マレーシアに着く。空港で、日本 vs パラグアイ戦を応援するアジア人たち。中国系、マレー系のマレーシア人、その他の東南アジアの国の人が、日本を応援してくれている。
宗教も多様だ。
英国教会、東方正教、ギリシャ正教の違いに驚く。アラビアでは、朝4時の最初のイスラムのお祈り。街に十カ所とあるモスクからマイクでお祈りの言葉が流れ る。国境の公務員はもちろん正装。インドは宗教のるつぼ。イスラム、ヒンドゥー、仏教、その他が共存する。ヒマラヤのふもと、ガンジスの上流にはインド内 外からヒンドゥー教徒が4000mもの高山までお祈りにやってくる。マレーシアのイスラム。フィリピンのカトリック。
食べ物。
ロンドンのフィッシュ&チップスにフィッシュパイ。ドイツのソーセージ。ポーランドのロシア風スープ。餃子にはチーズとポテトが入り、醤油はない。彼らが 当たり前のように飲む、1lのジョッキビール。彼らはドイツ・チェコ・ポーランドはビール国家だと語る。ギリシャのケパブは中東文化の始まりだが、ソースがギリ シャ風。魚のグリルはオリーブオイルとレモンであっさりと味付けされる。イギリスのバターは、南欧ではオリーブオイルに置き換わる。アラビア半島では、ドバイのファストフードに、中東のブリヤニ、そして南アジアの移民達が作るカレー。インドでは本場のカレーの食べ方を知る。西欧世界にあった食卓の塩・コショウは、イ ンドではケチャップとグリーンチリソースに変わる。西欧のグリーンサラダは、ギリシャや中東ではアラブ風の角切りトマト・キュウリ、インドではタマネギ、 ニンジン、チリなどのあっさりした付け合わせに変わる。マレーシアに着くと、インドのマサラの辛さは、中華系のチリソースに置き換わる。
英語。
英語を誰もがあたりまえのように話すのは西欧世界だけ。ポーランドの田舎街を歩いたら英語がまったく通じない。年寄りの住民達は私を歓迎しているようには見えなかった。日本の田舎町でもそうかもしれない。西欧を一歩でたら、そこはヨーロッパであっても世界が違うのだ。一方、ドバイに着く と、彼らの共通語は英語しかない。カタコトより少し話せるくらいの移民達が、タクシーを運転し、レストランで働く。一方、UAEの大学生はきれいな英語を話す。このあたりから、ブリティッシュアクセントは姿を消す。インド人は強いインドのアクセントを話すが、はっきりと階級が言葉に現れる。飛行場や飛行機内、大学に通う暮らすのインドの若者はきれいな英語を話す。そして、観光地、大都市の商店ではカタコトの英語が通じるが、田舎町、ローカルクラスの列車内 では英語を話せる人は、公務員ほぼ居ない。中・上流はトリリンガル。自分の土地の言語と、ヒンディー語、英語を話す。フィリピンでは、アメリカ英語がスタンダードになる。イギリスの1st floorはフィリピンでは2nd floor。CentreはCenter。
コミュニケーション・スタイル。
ここでも、西欧と東欧には境界があるように見えた。その土地で、あるいは旅先のゲストハウスで出会った西欧人の、社交慣れした、きれいな英語でフレンド リーにふるまう若者たち。それ以上に、アメリカ、カナダ、オーストラリア人はさらにフレンドリーで、会話を始めたり自己紹介するのにためらいが無い。一 方、ポーランド人は日本人にも負けじと劣らずシャイ。アラビア半島のアラブ人は、日本で思った遠い存在というイメージからはかけ離れて、フレンドリーで、 信頼できる。インド人はアグレッシブで、駅や道路は先を押す人々でごったがえしている。そして、すぐにどこの国から着たのかと聞いてくる。日本だと応える と、good!と言い、扱いが良くなる。まるで、彼らがカースト制度のなかでお互いの職業を聞いて地位を立ちかめるがごとく、外国人は出身国で区別されて ゆく。これは日本の技術に水供給や自動車、電気機器を頼るアラビア半島でも同じで、西欧以上に、多くの国で日本のプレゼンスが相当に高い事を知る。(パス ポードも、ビザなしでこんなに多くの国を自由に旅できるのは、西洋以外では日本くらいだ。) マレーシアに着くと、東アジアのやわらかさ、空気を読む文化が感じられる。彼らも中東と同じく、フレンドリーだ。そして、フィリピン人はひときわフレンド リー。
気候。
ヨーロッパの冬は長く、短い日に沈んだ曇った日々が続く。それが打って変わって、青いそらが広がる夏。日は長く、8,9時まで暗くならない。そのつかの間 の夏を楽しもうと、ピクニックに出て寝そべる西欧人。ギリシャの日差しは強く、青い海が栄えて見える。しかし、気温はそこまで高くない。オリーブの木が植 わり、緑の国。一方、アラビア半島に出ると、砂漠の中では45℃にもなる。暑すぎて外を歩く事はできない。乾燥していれば良いが、海沿いで湿気が多い街で は地獄のようだ。おかげで、多くの観光地や商店がシエスタならぬ暑さよけで閉店し、マーケットは夕方からにぎわう。ミュージアムは午後1、2時までしか開 いていない。インドも暑いが、砂漠が広がる中東ほどではない。東南アジアは湿度が高く、雨のおかげで涼しく感じる。日本から着ていたら暑いと思うであろう に。
あまりにも多くのものを見聞きし、人と接してきた。
旅は、本やニュースで見聞きするのとは違う。旅は、全身で感じ、すべてを目撃し、体験することだ。
俺は、目撃したのだ。あふれんばかりのカルチャー・ショックを、そのまま忘れるわけにはいかない。
「百聞は一見にしかず。」
昔、授業で聞いた遠い国の歴史や地理が本当なのか、疑っていた自分を思い返す。馬鹿みたいだが、旅してみて、確かに、そこに彼らの生活、文化、地理、歴史はあった。一部はこれまで聞いた通り、一部はこれまでの知識が単なる偏見でしかないと知った。
「一を聞いて十を知る。」
この2年間で旅した国は25カ国近くに登る。これを10倍すれば、世界にある200カ国を超える。全ての国を旅することはできない。しかし、この経験が、きっと世界を深く、広く理解するのに役立つはずだ。
飛行機の中からフィリピンを見ていた。
フィリピンは島国だ。火山も、地震もある。マニラには13millionの人々が住み、そこは東京に代表されるようなアジアのメガ・シティーだ。
緑に包まれた島には、あまり森林は多くはない。多くは伐採されたのか、あるいは火山がちな土質のためかもしれない。田園が広がり、山、川、海が共存する。
空港には日本のコンビニが入っている。スナック菓子には、日本語が装飾として書かれている。まるで、日本で使われている英文字のように。日本茶、日本で見たお菓子、ロンドンやインドよりもましな日本食が手に入る。
旅を終えた今の自分には、ここはやはり、もはやホームである。
東アジアに帰って来たのだ。
これまで約4週間、これまでにない程多くの土地をまわってきた。6月5日にロンドン発。鉃道で東欧、バルカンをまわりギリシャへ。そこから、格安航空(Air Arabia、Kingfisher、Air Asia。片道50-100$しかかからないので、日本へ通常の航空会社で直帰するのと同じ値段で世界旅行ができてしまう。)を乗り継いで、アラビア半島、インド、マレーシアを経由して、フィリピンへ。
人々。
ヨーロッパの豊かな生活と移民たち。東欧で見た、西欧とは様相の違う街。ソビエトとヨーロッパが共存する。ポーランドの大学で、日本語を学ぶポーランド人たち。彼らの期末試験は、自己紹介と箸の使い方。オーストリアのアルプス。バルカンの人々。ギリシャの人ごみ、経済危機に発したプロテスト、青い海。ザンテ島のリトルロンドンではブリティッシュアクセントが飛び交い、ワーキングホリデーやバカンスに来たイギリスの若者がクラブ街を形作る。
世界一インターナショナルであろうドバイ。200カ国の国籍の人が住む。世界最大のショッピングモール、世界最高のタワーが砂漠の真ん中にそびえる。一方で見える、南アジアとフィリピンからの移民達。彼らは彼らのスタンダードがあり、旧市街に彼らのためのマーケットがあり、公共交通に乗るのも移民たちだけ。オマーンの猛暑。アラブの人々、移民達、そして車社会。
インドで見た物乞い、ビジネスマン、通りで物を売る青年、寝るところもないのに笑顔で話しかけてきた少年。ショッピングアーケードの真ん中にあるスラムの家に住む家族。荷物だなの上までにも人が乗り込む列車。一方で、中流、上流層は西洋と同じスタンダードのビジネスクラスに乗り、車を使う。
そして、マレーシアに着く。空港で、日本 vs パラグアイ戦を応援するアジア人たち。中国系、マレー系のマレーシア人、その他の東南アジアの国の人が、日本を応援してくれている。
宗教も多様だ。
英国教会、東方正教、ギリシャ正教の違いに驚く。アラビアでは、朝4時の最初のイスラムのお祈り。街に十カ所とあるモスクからマイクでお祈りの言葉が流れ る。国境の公務員はもちろん正装。インドは宗教のるつぼ。イスラム、ヒンドゥー、仏教、その他が共存する。ヒマラヤのふもと、ガンジスの上流にはインド内 外からヒンドゥー教徒が4000mもの高山までお祈りにやってくる。マレーシアのイスラム。フィリピンのカトリック。
食べ物。
ロンドンのフィッシュ&チップスにフィッシュパイ。ドイツのソーセージ。ポーランドのロシア風スープ。餃子にはチーズとポテトが入り、醤油はない。彼らが 当たり前のように飲む、1lのジョッキビール。彼らはドイツ・チェコ・ポーランドはビール国家だと語る。ギリシャのケパブは中東文化の始まりだが、ソースがギリ シャ風。魚のグリルはオリーブオイルとレモンであっさりと味付けされる。イギリスのバターは、南欧ではオリーブオイルに置き換わる。アラビア半島では、ドバイのファストフードに、中東のブリヤニ、そして南アジアの移民達が作るカレー。インドでは本場のカレーの食べ方を知る。西欧世界にあった食卓の塩・コショウは、イ ンドではケチャップとグリーンチリソースに変わる。西欧のグリーンサラダは、ギリシャや中東ではアラブ風の角切りトマト・キュウリ、インドではタマネギ、 ニンジン、チリなどのあっさりした付け合わせに変わる。マレーシアに着くと、インドのマサラの辛さは、中華系のチリソースに置き換わる。
英語。
英語を誰もがあたりまえのように話すのは西欧世界だけ。ポーランドの田舎街を歩いたら英語がまったく通じない。年寄りの住民達は私を歓迎しているようには見えなかった。日本の田舎町でもそうかもしれない。西欧を一歩でたら、そこはヨーロッパであっても世界が違うのだ。一方、ドバイに着く と、彼らの共通語は英語しかない。カタコトより少し話せるくらいの移民達が、タクシーを運転し、レストランで働く。一方、UAEの大学生はきれいな英語を話す。このあたりから、ブリティッシュアクセントは姿を消す。インド人は強いインドのアクセントを話すが、はっきりと階級が言葉に現れる。飛行場や飛行機内、大学に通う暮らすのインドの若者はきれいな英語を話す。そして、観光地、大都市の商店ではカタコトの英語が通じるが、田舎町、ローカルクラスの列車内 では英語を話せる人は、公務員ほぼ居ない。中・上流はトリリンガル。自分の土地の言語と、ヒンディー語、英語を話す。フィリピンでは、アメリカ英語がスタンダードになる。イギリスの1st floorはフィリピンでは2nd floor。CentreはCenter。
コミュニケーション・スタイル。
ここでも、西欧と東欧には境界があるように見えた。その土地で、あるいは旅先のゲストハウスで出会った西欧人の、社交慣れした、きれいな英語でフレンド リーにふるまう若者たち。それ以上に、アメリカ、カナダ、オーストラリア人はさらにフレンドリーで、会話を始めたり自己紹介するのにためらいが無い。一 方、ポーランド人は日本人にも負けじと劣らずシャイ。アラビア半島のアラブ人は、日本で思った遠い存在というイメージからはかけ離れて、フレンドリーで、 信頼できる。インド人はアグレッシブで、駅や道路は先を押す人々でごったがえしている。そして、すぐにどこの国から着たのかと聞いてくる。日本だと応える と、good!と言い、扱いが良くなる。まるで、彼らがカースト制度のなかでお互いの職業を聞いて地位を立ちかめるがごとく、外国人は出身国で区別されて ゆく。これは日本の技術に水供給や自動車、電気機器を頼るアラビア半島でも同じで、西欧以上に、多くの国で日本のプレゼンスが相当に高い事を知る。(パス ポードも、ビザなしでこんなに多くの国を自由に旅できるのは、西洋以外では日本くらいだ。) マレーシアに着くと、東アジアのやわらかさ、空気を読む文化が感じられる。彼らも中東と同じく、フレンドリーだ。そして、フィリピン人はひときわフレンド リー。
気候。
ヨーロッパの冬は長く、短い日に沈んだ曇った日々が続く。それが打って変わって、青いそらが広がる夏。日は長く、8,9時まで暗くならない。そのつかの間 の夏を楽しもうと、ピクニックに出て寝そべる西欧人。ギリシャの日差しは強く、青い海が栄えて見える。しかし、気温はそこまで高くない。オリーブの木が植 わり、緑の国。一方、アラビア半島に出ると、砂漠の中では45℃にもなる。暑すぎて外を歩く事はできない。乾燥していれば良いが、海沿いで湿気が多い街で は地獄のようだ。おかげで、多くの観光地や商店がシエスタならぬ暑さよけで閉店し、マーケットは夕方からにぎわう。ミュージアムは午後1、2時までしか開 いていない。インドも暑いが、砂漠が広がる中東ほどではない。東南アジアは湿度が高く、雨のおかげで涼しく感じる。日本から着ていたら暑いと思うであろう に。
あまりにも多くのものを見聞きし、人と接してきた。
旅は、本やニュースで見聞きするのとは違う。旅は、全身で感じ、すべてを目撃し、体験することだ。
俺は、目撃したのだ。あふれんばかりのカルチャー・ショックを、そのまま忘れるわけにはいかない。
「百聞は一見にしかず。」
昔、授業で聞いた遠い国の歴史や地理が本当なのか、疑っていた自分を思い返す。馬鹿みたいだが、旅してみて、確かに、そこに彼らの生活、文化、地理、歴史はあった。一部はこれまで聞いた通り、一部はこれまでの知識が単なる偏見でしかないと知った。
「一を聞いて十を知る。」
この2年間で旅した国は25カ国近くに登る。これを10倍すれば、世界にある200カ国を超える。全ての国を旅することはできない。しかし、この経験が、きっと世界を深く、広く理解するのに役立つはずだ。
飛行機の中からフィリピンを見ていた。
フィリピンは島国だ。火山も、地震もある。マニラには13millionの人々が住み、そこは東京に代表されるようなアジアのメガ・シティーだ。
緑に包まれた島には、あまり森林は多くはない。多くは伐採されたのか、あるいは火山がちな土質のためかもしれない。田園が広がり、山、川、海が共存する。
空港には日本のコンビニが入っている。スナック菓子には、日本語が装飾として書かれている。まるで、日本で使われている英文字のように。日本茶、日本で見たお菓子、ロンドンやインドよりもましな日本食が手に入る。
旅を終えた今の自分には、ここはやはり、もはやホームである。
東アジアに帰って来たのだ。
ロンドンでの留学生活7ヶ月も、泣いても笑っても今日で最後・・・
試験後の一週間は、いろんな人にさよならをいいながら、
飲みにいったり、ミュージアムやEast Endのギャラリーに行ったり、Hyde ParkでのFarewell ピクニックをしたりと、ロンドンの夏を満喫していました。冬とは違って、ほんとうに心地の良い涼しくて晴れた毎日。
今月で最後、今日で最後と考えると、ロンドンに着いたときの事、苦しかったときの事を思い出してしまう。
到着した日、バスも無く、夜中に寮に着いてシーツも無く、周囲のことも全くわからず寂しい夜を過ごした事。それから、生活用品をそろえて、新しい生活をスタートした頃。
それから友人もできて、暑い夏のなかEnglish presessionalで英語の勉強をしていた頃。ひとつのエッセイを書くのが、たまらなく苦しかった。
ふと気付くと飛行機のアナウンスが理解できるようになっていた、たまらなく嬉しかったあの瞬間。
英語で話さなければならない寮の食堂に行くのが怖くて、それでも頑張ってともかく自分から自己紹介をしていった事。次第に、気の合う友達もできて有意義な会話ができるようになった事。
留学が丁度半分過ぎた頃、何も達成できていない自分に焦って、どうしようも無く不安定だった頃。
それでも、留学の初期にできた友人から、「Your English has become better again!」と会うたびに言われ、素直に嬉しかった事。
ウガンダに行き、試験を乗り越え、また一つ先に進めた気がしている今の自分。
でも、それを乗り越えた自分が居ると考えると、それがまた、たまらなく嬉しい。達成できなかった事に悔しさはあるけれど、ともかく、いくつかたてた目標や思い描いていた事は、形は違えど何らかの形で達成できたのだ。確実に、自分がは変わっている。いい方向に。成長している。
そして、ほんとうにもう、沢山の人と、土地と出会い、別れを繰り返して来て気付いた事は、
どこに居ても、変わらず、できることの最前を尽くしていくという事。無いてばかり居ても仕方ないし、文化の違いや食事の質に文句を行っても仕方なくて、時には冷淡に、自分の意思や目標を貫き通してゆけばいい。
次の3ヶ月は、さらに行った事の無い世界を見て、
イギリスで得た経験を活かして、アジアと、環境問題という自分の分野に回帰していく期間。
東欧、中東、インドを旅して、次は東南アジアでの環境NGOのResearchインターンです。
試験後の一週間は、いろんな人にさよならをいいながら、
飲みにいったり、ミュージアムやEast Endのギャラリーに行ったり、Hyde ParkでのFarewell ピクニックをしたりと、ロンドンの夏を満喫していました。冬とは違って、ほんとうに心地の良い涼しくて晴れた毎日。
今月で最後、今日で最後と考えると、ロンドンに着いたときの事、苦しかったときの事を思い出してしまう。
到着した日、バスも無く、夜中に寮に着いてシーツも無く、周囲のことも全くわからず寂しい夜を過ごした事。それから、生活用品をそろえて、新しい生活をスタートした頃。
それから友人もできて、暑い夏のなかEnglish presessionalで英語の勉強をしていた頃。ひとつのエッセイを書くのが、たまらなく苦しかった。
ふと気付くと飛行機のアナウンスが理解できるようになっていた、たまらなく嬉しかったあの瞬間。
英語で話さなければならない寮の食堂に行くのが怖くて、それでも頑張ってともかく自分から自己紹介をしていった事。次第に、気の合う友達もできて有意義な会話ができるようになった事。
留学が丁度半分過ぎた頃、何も達成できていない自分に焦って、どうしようも無く不安定だった頃。
それでも、留学の初期にできた友人から、「Your English has become better again!」と会うたびに言われ、素直に嬉しかった事。
ウガンダに行き、試験を乗り越え、また一つ先に進めた気がしている今の自分。
でも、それを乗り越えた自分が居ると考えると、それがまた、たまらなく嬉しい。達成できなかった事に悔しさはあるけれど、ともかく、いくつかたてた目標や思い描いていた事は、形は違えど何らかの形で達成できたのだ。確実に、自分がは変わっている。いい方向に。成長している。
そして、ほんとうにもう、沢山の人と、土地と出会い、別れを繰り返して来て気付いた事は、
どこに居ても、変わらず、できることの最前を尽くしていくという事。無いてばかり居ても仕方ないし、文化の違いや食事の質に文句を行っても仕方なくて、時には冷淡に、自分の意思や目標を貫き通してゆけばいい。
次の3ヶ月は、さらに行った事の無い世界を見て、
イギリスで得た経験を活かして、アジアと、環境問題という自分の分野に回帰していく期間。
東欧、中東、インドを旅して、次は東南アジアでの環境NGOのResearchインターンです。
