普通の大学生が小説家になるまでの日記 -31ページ目

普通の大学生が小説家になるまでの日記

小説を書いてみたくなった。自分の内にあるものを表現したかったから。正しい書き方なんてわからない。別に小説でお金を稼ぐつもりでもない。それでも、一つの自己表現としてこの方法は悪くないと思った。

一つの小説ができるまで。
いち小説家としての思いを綴ります。

雨、降らないかなぁ。
雨は色んなものを洗い流してくれるよね。

今日は体調不良で1日中ダウンしてました。。。
病気の日に家にいるとやっぱりどうしても暗い気分になりますね。

そういった自分もなかなか面白いものですが、やっぱり楽しく生きたいなー。
家族との関係ってすごく難しいですよね。
今日はそれをひどく実感した次第であります。

基本的に親っていうのは偉大な存在です。自分の存在があるのは親のおかげであるし、ほとんどの場合は育ててくれる人になりますから。それだけに子供が、特に10代後半とか20代前半の、親の存在の大きさに気付いている年代が親と接するときっていうのは、どこかに“遠慮”というものが生まれがちです。

だから、僕なんかは親子げんかしたときなんかひどく罪悪感に襲われます。こんなにお世話になった人に対してなんてことを言ってしまったんだろう、とかね。そして自分を責めてしまう。

でもね、やっぱり思うんです。人間関係って、お互いに遠慮が少ないほどより良い関係になれるんじゃないかって。

確かに親は偉大な存在です。おそらく親が生きてるうちに、子供が親を抜くことはできないでしょう。
でも、だからと言って親が全て正しいというわけではないし、やっぱり子供には子供なりに考えがある。子供なりに生きている世界があって、社会があって、ルールがある。そして、残念なことに親はその世界を完全に理解することはできない。

たとえば、ある10代後半の女の子がいたとします。その親は厳しくて、門限は夜の11時。親の言い分はこうです。
「こんな時間に出歩くなんて危険だ。」
まぁ、確かにそれは正論です。おかしなところはありません。

でも、でもですよ。

先ほども言ったように、子供には子供なりの世界があるんです。そんな時間が門限だったら、今の時代友達ともろくに付き合いができません。彼氏の家にも泊まることもできない。バイトも思うようにできない。大学生にもなって。だから門限をなくしてほしい。もう少し自由にしてほしい。これも正論じゃぁないですか?

だから全部子供の思うようにしろ、というわけではありません。現に、今は逆に親が子供に遠慮をしているケースも少なくありませんから。ただ言いたいのは、どちらかが遠慮をしていたら、必ず我慢していたほうに限界が来るということです。これは親子関係だけではなく恋人にしても友人にしてもですね。

親が子供を心配する気持ちと、子供が自らの世界の中で快適に過ごしたいという欲求、どっちだって間違っていないしお互いに尊重すべき意見なはずなんです。だからお互いが納得いくまで絶対に遠慮してはいけない。話して、喧嘩していく中でお互いに妥協点を見つけあっていけばいい。

喧嘩する中で感情的になって暴言を吐くこともあるでしょう。傷つけ合うこともありますわ。でもそれって悪いことじゃないと思うんです。お互いが遠慮しないで言える関係の中には、きっとお互いを大切に思う気持ちが存在しているはずで、だからどんなに罵倒してひどいことを言っても、言った方も言われた方も、どっかで相手の事を気にしているはずです。だからそんなひどいことを言ったくらいで関係が切れることはないでしょう。何度喧嘩したって悪いところを謝って、また話し合えばいい。そうした中でお互いに妥協点を見つけ会ってルールを作ればいい。

その中で壊れて行く関係なんて、よっぽど愛情がない限りありえないはずです。もしそうだったらそんな関係壊れた方がましだと思いますし。

それでもいまくいかないこともあるかもしれないですけどね。でも、少なくとも僕の周りでは遠慮しない関係っていうのはすごく良好に思えます。喧嘩したとしたって、そっとごめんねって書いた手紙でもメールでも送れば大抵は許してもらえるもんですよにひひ

親子っていう何よりも強い絆だからこそ、遠慮しないで、もちろんその中でお互いに愛情を持っていけるような関係になりたいものです。うん。

ま、僕は今親とけんか中なんですけどね(笑

それではまたニコニコ