千田町行進曲 本日は久しぶりに第六話
ちょっと長いんだわ、辛抱して読んでねw
1・2・3・4・5話はブログテーマで「千田町行進曲」をクリックしてみてくらはれ。
【何年か前から同級生で作っている同人誌。「修道JIN」
これにオイラはちょこっと連載しているんやが、
本を作るのはなかなか大変でねー。
寄稿は多くても校正や構成、デザインとか全部ロハでやるから
編集担当のみんなは仕事もあるしむっちゃご苦労だと思う。
だから、今現在第三巻までしか出来てないのが現実でっつ。】
ほんで、最近飯ネタ以外になかなか思いつかないんでオイラが書いている稚拙な文章を
時々、少しづつ、個人名は身内以外仮名にしてUPしてみることにした。
けど面倒なんでやっぱそのままUPしまっせ。
いつまで続くかわからんけどまあ読んでみてくださいw
千田町行進曲 ー安芸の小富士に捧ぐー 作:おいら
☆親父が思い出になった ①
あれは確か高校一年の時じゃったと思う
ピンポオーンパーン
「高校一年四組の竹内聡君、事務室まで来てください。高校一年四組の竹内聡君、事務室まで至急来てください。」
校内放送である。
何事やあ。
わしなんかしたかいの。
ひょっとして停学かあ?・・・。
はっきり言って事務室の印象はよくない記憶でいっぱいである。
なぜならいやな処分を言い渡されるのが事務室であり、
校長室であるから。わしは中学校時代を含め、
それまでに何回も停学や無期停・謹慎になっていた。
こんな優等生をつかまえて皆さん不思議なことだと思いませんか?ハハ
とりあえずおっとり刀で行ってみるとなにやら深刻そうな顔をして事務員が言う。
「竹内君、おたくのお店の商売の方はどのような感じなんですか?」
「えっ。」
わしに聞いてもわかるわけないじゃろう。
第一親父が何軒店をもっとるかはっきり知らんし
家の商売のことなんか考えたことも無い。
なんかおかしいことを聞くのおと思うとったら、
「お父さんは忙しくされてますか?。」とたたみかける。
「どうかしたんですか?。」と訊ねると、
「言いにくいんだけど実は授業料のほうが入金されてないんです。難しいようなら・・・・・・・。」
事務の人は何ヶ月か学費が振り込まれて無いと言う。
何が何かさっぱりわからん。
あんた生徒のわしに言うてもしょうがないじゃろう。
言い難いんなら言わんかったらええじゃないの。
うちの店に電話してみりゃあええじゃないの。
そーなことは親に言うてくれえと思ったのだが、
「帰って親に聞いてみます。多分すぐ払うと思うんで・・・・」
顔は真っ赤かである。
「それではよろしく。」
こんなことは意外とあっさりと言われるもんなんじゃの。
「はい、わかりました。」
恥ずかしさで顔はさらに真っ赤、多分残りの授業はばっくれたように思う。
連れにも言えん話である。
自転車通学のため鳥のように飛んでは帰れんかったけど、
ミニサイクルを時速五十キロくらいでこいだ。マッハぢゃ。
わし競輪選手になったらええんとちゃうかあ。
多分親父のやつお袋と離婚してから子供のことは
適当にやっとりやがるのとか、
ひょっとしてほんまに金が無いんかの尾明日からお袋のとこいこうかあとか、
博打で負けやがったんかのとか、
妹らの学校はええがあにしとんかのとか考えながらトップスピードで路をかけぬけた。
勢い店に入ると偶然目の前に親父がおった。
「どうなっとるん?」
「なにがや。どしたんなら。」
「いやー事務室に呼ばれてねえ、・・・あのー・・・学費払うとらんのん?」
「おぉーー?・・・・。あっ忘れとったのお。」
「何ヶ月も忘れるもんなんね?。わしゃーはあ学校やめえ言われたよ、ぶちふうが悪ぃけえ。」
「おーさとし、すまんすまんええがにしとくけん心配すなや。」
なんとなく人事のような会話で実際もう修道には行けんようになるかもしれんと正直おもった。
眠れん夜を熟睡で過ごし、遅刻気味に学校へと旅立つ。
事務室の横を人目を気にしながら通り、どーなるんかいのと思いながら放課後。
むしゃくしゃするんで多分連れと本道リあたりで遊び喫茶店のはしごをして家には暗くなって帰った。
親父は?どっか行ったんかいの。食えんやつぢゃ。
どーなったんかと思いよったらさっそうと登場しやがる。
「おーさとしすまんかったの。今日一年分いっぺんに全部払うとったけん。胸張って学校行けえや。」
あんたあねどーしてそうなん。
言われんでも胸張って毎日いっとるわあ。
一年分払えるんじゃッたらきちっと毎月はろうて欲しいわ。
わしはむっちゃ恥ずかしいおもいをしたんやけんね。
ほんま疲れるわ。
それから授業料のことで事務室に呼ばれることもなく無事修学旅行にもいけ、
修道を卒業することができた。
今考えてみれば親父の金の払い方は昔からちょっと変わっとったようにおもう。
二十歳くらいのときコンポをねだって総額で八十万円位のものを買ってくれたんやが
そん時クレジットを組んで月々親父が払っていた。
三ヶ月くらいたったときちょっと渋い顔をして
「聡。ステレオの銭みな払うたけんの。ちょびっとずつ払うんはめんどくさいわ。」
「おーそれとのお、お前の東南アジア旅行積み立て貯金よのお。あれちょっと貸しとけの後で定期にして返しちゃるけん。ほんますぐ返したるけえ。旅行いけえや。」
おいおいあれはこないだ満期になったんじゃろ。
五万掛け二十四で百二十万。
なんのこっちゃ。
かえってくるわけないじゃろ。
ほんならコンポ自分で買うたんと一緒じゃんか。
やれやれ・・・・・・・。
みなさん結構楽しい子供みたいな父親とおもいませんか?
秋のある日親父が思い出になった、
平成20年10月ふわーとおらんようになった。
死にめにも間に合わずというか家で寝ていると突然の訃報。
危篤状態とかも無かったらしい。
妹から肺炎になっていたとは聞いていたが一ヶ月くらい前の話である。
しぶとい奴じゃけん
またまた奇跡の復活でもするんじゃないかと安易にかまえていたんやが
意外とあっけなく逝ってしもうた。
今考えるとなんとなく親父との別れは二年前くらいにすませていたのかもしれん。
というかわしの気持ちの中ではかってにすませていた。
二年位前に日赤に入院していた親父を見舞ったのは
進行性の喉頭癌で三期と診断され好転の可能性はほぼ無いと妹から連絡をうけたから
だった。
わしはたぶん親父は死に向かうと想像し、
抗癌剤でパンパンに膨れた親父の顔を見た瞬間こみあげ、
トイレに行くふりをして外で鼻水と涙が止まるまで自分にまかせた。
鏡で顔を見ると目は真っ赤かに充血してごまかしようが無い。
往生してみんなのおる待合に行き兄弟全員と一緒に
説明を受けに部屋へ向かった。
「家族、親戚の方には連絡されたほうがいいでしょう。」
「わかりました。」
当然のように先生に言われ、当然のようにうけいれた。
こんなもんどうしようもない、しかたない。
お袋の時と一緒じゃけん、医者に言われたらそうしかない。
さらば親父。遠くの親戚もほとんど見舞いに来た。
ところがどういう魔法がかかったんか知らんけど何ヶ月かしてなんと親父の癌が消え
てしまったのだ。
「ベッドの空きも少ないので退院して下さい。今後は定期通院で。」
それ以来親父の弟である叔父達は口をそろえて
「兄貴は不死身ぢゃ。こりゃあとうぶん死にゃせんどお。」
みんながこのセリフをを連発した。
退院である。
しかし自分は何故かそのとき別れは済ましていたのだと思う。
はっきり自覚したのは通夜。
葬式二日とも普段と変わらず何事もこなせた後親父が骨になり、
小さな箱に入ってしもうたときかの。
不思議と日赤で涙が出たときのような悲しみはやってこず、
なんか物語の終わりを確認したような気持ちやった。
何よりたまげたのは親父が亡くなったことより、
本当に粗末な会場にもかかわらずお通夜に参加してくれた人の多さであった。
参列してくれた皆さんは大半がわしの同級生や知人で、
世の中棄てたもんじゃあないとつくづく感じた。
誰にどう思われても仕方ないが、親父は亡くなった日にわしの思い出になった。
人間ってみょうに予感能力があるように錯覚しがちやがそうじゃのお
親父が亡くなる一週間くらい前にふと息子の総嗣を連れて見舞いにいったのが虫の報せじゃったんかもしれんわあ。
病室に入り管だらけで目を開けることもなく、大鼾をかいている親父を前に
「総嗣、やぶじいちゃんの体よおさわっとけ。ミイラみたいになっとるが温かろうが。
やぶじいちゃんは飯食うんが面倒くさい言うてなんも食わんかったらしいいわ、
どっかで往生したんじゃろうの。
どーやってもわしもおまえもおんなじ血が流れとるけんのお。顔もよお見とけえよ。」
その日はわしもめずらしく親父の腕をさすって帰った。
写真で見る限りわしがこーまいころ何度か抱いてくれていた腕をさすった。
若い頃草野球でホームランを連発していた腕である。
親父。
あんたあの世に行ったんじゃけん暫くわしの話を黙って聞いてみんか?
よーく思い出してみりゃあわしのほんまのヒーローは親父あんたぢゃったかもの。
民兄ちゃんもヒーローじゃがあんたも間違いなしにわしの自慢じゃったわ。
わしがどうあがいても持ってないもんをセンスをあんたはいっぱいもっとったけんのお。
こまいころおふくろがローラースケートを買おてくれて
すぐさま近所のガレージでよちよち、よちよち・・
悪戦苦闘しよったらふわーと親父がきて少年のようなキラキラした目で言う。
「かしてみい。こうやるんじゃ。」
おいおいいきなりバックで滑るんかいや、ほんなら最初から教えええ。
「パパすごいねえ。滑れたん。」
「おおわしゃのお、支那で下駄に包丁を打ち付けてのおそれで滑りょおったんぢゃいや。
支那の冬はのお池やら湖が凍るんで。ほんでみんながスケートじゃいや。
わしは馬にも乗れるんで。」
調子にのるなやおっさん、あんたは自分がかっこえかったらひっぱるけんのお。
目立ち屋じゃもんのお。歌舞伎きもんぢゃもんのお。
ほれみてみんさいや近所のおっさんやら、おばちゃんやらがざわつきだしたで。
ヒロがきたコロッケのおっちゃんと天麩羅のおっちゃんがきた。
ギャラリーがまだまだくるわい。
「やぶの社長あんたあ上手いねえ。」
得意になってアスファルトの道路まではみでて縦横無尽に滑り出した親父は突然
「おい聡、滑れ。わしは用事があるけんの。」ときやがった。
はあ飽きたんね。
何べんも言うようながわしはあんたとは違うゆうとるぢゃろ。
ほんまこがあに人がおってどーするんかいや。
わしゃーおお恥ぢゃないね。
「やぶ君はよ滑ってえや。」
わかっとるわいや見事にこけたらあや。
見とれーよヒロ。
紐を縛ってコンクリートの下り坂の上にたちくそくらえ。
スタート。
おっ。おおーーいけるでえ。
こっぱスピードがでとる。
やった、やったったぁーや。
まってみい。
わしゃーよー曲がらん。
よー止まらん。
道路に出てしまうじゃないか。
馬鹿たれ絶対車よくるな通るな。
まったくへっぴりごしのまま、まーっすぐにガレージから飛び出てそのまま道路を横断。
奇跡的な直下降をしながらノンストップで
アスファルトにわざと倒れる勇気も出ず目の前に迫る肉屋のシャッターに突撃。
グワッシャーーン・・・・・
これ結構はねかえったのお。
すごい衝撃ぢゃーや。
「おーー聡、なかなかやるぢゃあないか。お前怖い物しらずぢゃけんのお。」
よー言いやがるわいや。
パパあんたは自分の息子の具合は心配せんのかいや。
が不思議と次の日からいけるようになった。
迷惑を顧みず近所のアスファルトの上をこれでもかと滑り、走りまくった。
後日基町にあった広島アリーナにアイススケートをしにも行きだした。
今から考えるとスケートっちゅうんはあんがい簡単で楽しい涼しい便利なもんかもしれん。
キャッチボールをする。
最初は親父がピッチャーでわしがキャッチャー。
成り立て小学生と草野球三チーム掛け持ちのエース。
プッシュー糸を引いてくる。
捕れるわけない。
「聡ぃーー球をよお見いや。」
パパよお、めっちゃ速いけんとれんで。
「目ぇつむるな。よお見るんで。いくでぇ」
バチーン おっ捕れた 痛ったあー。
ほんじゃが捕ったで。
「のおぉ。よお見とったらとれるんど。ボールよおみいよ。」
なんでわしがキャッチャーなんぢゃ。
ふつう子供がピッチャーじゃないんか。
「続けていくで。」かっこよう振りかぶる親父。
フォームはスリークウォーターじゃったっけ。
バチーン おっまた捕った。ええかんじやのお。わしセンスあるじゃん。
次の球。ブッシューーギン・・・ 曲がりやがった。手首直撃。
「おおスライダーぢゃぁや。よお切れたのお。お前当ったんか聡。」
こいつ何考えとるんや。絶対いつか殺したる・・・・・
おまえは自分の子をおだてたり、褒めたりして喜ばす技は知らんのんかい。
ママはいっつもわしを褒めちぎる。ばあちゃんはわしを怒ったことがない。
親父あんたはなんや・・・・自分がすごかったらそれでええんかいや。
っとそのとき思ったかは覚えてないがそんな親父に対する思いは
日々積み重なっていたように思う。
まあ修道に行きだした頃は親父に対するコンプレックスはマックス状態で完全にそんなことは思っていたんじゃないかの。
親父よお。わしのパパさんよお。
普通、親が死んでおらんようになって悲しゅうない奴はおらんぢゃろう。
親父。
わしはあんたの子供ぢゃけんね。
できは悪いが、運動神経も鈍いが間違いなしにあんたとおふくろが作った子供ぢゃ。
一人前にナイーブなとこもあるんでえ。
昔あんたはええ時も悪い時もよう言いよったよね。
「わしゃー死んだらのお、そこらの海へ棄ててくれえや。おーー。葬式代がもったいないけん。」
日本の常識としてそおゆうわけにいかんやろお。
死体遺棄で親族一同捕まりまっせ。
せめて外国の海へ捨てえぐらい言いんさいや。
親父よお、あんた精一杯見え張って強がりをゆうたんじゃろお。
今はそう思えるよ。
異常に兄弟好きのあんたはこんなことも言いよった。
「なんにしてもわしゃー家族、子供より兄弟をとるのお。」
親父。どーゆうつもりで言うたかはしれんがわが子に聞かす台詞じゃあないと思うで。
おかげでわしは自分の一人息子に
「パパはの世界中の人間の中で一番お前を愛しとるけんのお総嗣。」っと
赤ん坊の頃から高校二年生の現在まで言い続けとるよ。
まあこれは作意じゃ無しに総嗣に想うほんまの気持ちなんぢゃがね。
人生の満足度は解らんけどみごとに最後まで自分勝手に刹那的に生きたのお親父。
これは悪口ぢゃないんで。思い出話なんで。
あんたワシにとってええこともサプライズも結構くれたよ。
高校三年やったね。青少年センターで伊藤らと結成しとったバンド「チェリーコーク」のライブをしようとして高校生のわしらは大きな壁にぶつかった。
一般的な大人のと言うか一般的な世の中のルールに。
あの会場を借りるには保証人が必要やったわけじゃ。
伊藤や高本と一緒に、仮田も一緒じゃったかのお、いろんな先生にお願いに行ったけど難しかった。
当たり前のように断られて腹もたった
じゃあ親になってもらおうということになったんじゃが、
こんだあみんな結構バックギア気味で・・・・・・・・・・
「伊藤、わし親父にたのんでみるわいや。」
なんか予感めいたもんがあってわしは親父に話してみたんよの。あんたに。
「ねえ、伊藤やらとやっとるバンドなんじゃけど大きいとこでコンサートしたいんよ。
三育のときにクリスマスページェントやりよった青少年センターのホール借りたいんじゃ。
ほいでねえわしら子供じゃけんしっかりした社会人の保証人くれえいわれたんよ。」
「ほーか、普通はくれえゆうじゃろーの。ほんで何やあどーしたんなら。」
「いやー・・・なってえや。わしら先生やらいっぱいあたったんじゃがええ返事くれんかったんよ。はあ計画もすすんどるしみんな絶対やりたい思うとるんじゃ。
ねえたのむけえ。うちの店会社組織なんじゃろ。
ここが保証人じゃったら絶対OKじゃけん、みんなにわしの親父が何とかするゆうて言うて
しもうとるんよ。頼むけん。」
「おまえがやりたいんか。」
「わし絶対やりたい。伊藤も高本も仮田も皆やりたいんじゃけえ。」
「金はどーするんなら。なんぼかかるんや。」
「全部で三十万くらいじゃとおもうんじゃけど。ステージユニオンゆうプロのPAやら頼んでやるんじゃけん。
銭はねチケット売って、あともっとる銭みんなで炊いて絶対失敗せんけん。
迷惑かけんけんけえ。失敗したらわし小遣いいらんわあ。」
「ほんならせえや。なっちゃるわいや。わしも見に行くど。」
親父あんた一発じゃった。
スカッとしたよあん時。
このシーンはいまだに誇れる思い出でじゃけんね。
思い起こせば少学校。三育小学校恒例行事の球技大会。
大体種類はソフトボールやった。
バックネット、ベース一式、グローブ、キャッチャのマスク、キャッチミット、ファーストミットその他。
ほとんど親父が用意してくれたもんじゃったの。
わしは子供ながら鼻高々じゃったよ。
いくつかの事を思い返すとき親父にはなんかめんどくさいとか
人が嫌がることが苦にならんよーなもんがあったように今になってみれば思える。
媚びた人生じゃあなかったんじゃないかのと思える。
しかし繰り返せば刹那的な考えの親父であり、
子供より兄弟を取ると平気で息子に話す親父をずーっと受け入れられんかったのは
わし自身も刹那というもの言葉にとらわれとるのかもしれん。
意識しすぎとるかもしれんわあ。
きどっとるわけでもないし、わざとではないんじゃけど・・・・・・・・・・。
わしもほとびそうになったら親父みたいにキラキラ光るガラス球のような少年の目になるんかの。
なんかわしモニターの画面見ながらこれうちこみながら涙がとまらんようになったよ。
なんの涙かわからんけん不思議じゃわ親父。
ほんじゃが何にしても親父成仏せえよ、はあ何もせんでめえし、
何も考えんでええんじゃけえ人は死んだらどーなるんかのお。
たぶんなーんもないしただの終わりやの。
一貫の終わりっちゅうやつやろう。
機会があったらいっぺん死んでから生き返った人の話でもよお聞いてみたいもんじゃわ。
有りえんか。わはははは。
わしちょっと休憩ぢゃ。高石編集長ごめん長い休憩になりそうやわ。
幼き頃平気で口にしていた
友情という言葉が
大人になって
無敵の力を発揮するとき
強烈に友人の有難さを感じる。
わしが六年間通った修道は
たくさんの友人を作れる場所であった。
っと六話はこんな感じでっつ。また続きUPするけん辛抱して読んでね
тнайкчоц.....〆(○vωv●)カキカキ
わしらのライブもこの曲から始まったのお
あーあ、こんなに~~~

