昔の自分は
親も友達面して寄ってくる人達も
私の不幸を嘲笑う敵ばかりで
勇気出して誰か第三者に助けを求めれば
甘えだ、みんな辛い事あっても我慢してるんだ、私を頼られても困る、自分にも原因あるんじゃない?
と突き放されて
それで耐えられなくなって死ぬことを考えれば、甘えだ弱い奴だと罵られるか
構ってちゃんと揶揄される。
生まれて一度も愛されたい事の無かった自分が誰かに愛されたい必要とされたいと願う事は『構ってちゃん』で『迷惑』なのだろうか。
私が死にたい、とよく口にしてたのは
はまだ僅かでも希望を諦めていないから。
本当に全ての灯火を失った時には
何の迷いもなく黙ってこの世を去るだろう。
敵だらけで助けも求められない。
そんな状況でも僅かな希望を捨て切れなかった。
当時の私にとって
死にたいなんて簡単に口にするなって説教は
希望を捨てて黙って死ねっていう風に言ってるようにしか聞こえなかった。
(今はそんな極端な考え方はしませんけどね。)
最近、痛ましいニュースを耳にする度に
辛い気持ちになります。
今にも溺れてしまいそうで、藁にも縋る思いで救いを求めたのに、そんな相手にさえも裏切られる…。
辛い世の中ですね。本当に。