以前、家でも外でも周囲に異常な程に気を遣いまくっていた頃。
私は常々「誰も私の気持ちなんて分かってくれない。」と思いながら過ごしていました。
外でも家でも他人の顔色を伺って
嫌いな人にも愛想笑い、理不尽な事をされたり言われても愛想笑い
苦手なメンバーの居る集まりにも気が重いなぁと思いつつ参加し
そうして疲れて帰宅すれば今度は毒親の顔色を伺って
ヒステリー起こされないように言動に細心の注意を払って親と接する。
もちろん、親からの多少の嫌味や人を見下すような言動は日常のことなので
イライラモヤモヤしながらも愛想笑いで聞き流す。
そうしてようやく自室で一人になったときに、
一気にドドーッと怒りと疲労感がこみあげてくる。
やるせない気持ちにどうしようもなくなってノートに鬱憤を書き殴る。
書き殴ったところで多少はスッキリするが
何も解決していない現実に自己嫌悪する気持ちのほうが大きくなる。
かといってこの気持ちを他人にぶつけたところで、
どうせ他人には私の気持ちや苦悩なんて理解できないだろう。と殻にこもる。
現に他人に愚痴ってみたところで
「誰だってそうだよ、みんなそれでも我慢してるんだよ」
といった説教じみたことを言われるか
「それなら気を遣うのやめれば?てか、成人してんなら親から離れれば?」
と思わず”それが出来るなら苦労しないよ!”と返してしまいたくなるようなコメントばかりで
本当の意味で他人に理解して貰うのは難しいことを悟る。
そうしてまた気遣い疲れる日々・・・。正に悪循環。
でも今になって思う。
あの時、一番自分の気持ちを理解してあげてなかったのは自分自身なのではないか、と。
疲れた、もうしんどい、あの集まりにもう行きたくない・・・
そんな自分自身の中から出て来る声を無理やり押し殺して生きていた。
それを外だけでなく家の中でも四六時中押し殺し続けていたのだ。
その結果、私は精神を患った。
カウンセリングの最初の方に先生から
「それで、”あなたは”どうしたいの?」
「○○さんに嫌われるから、じゃなくてあなた自身はしたいの?したくないの?」
といったような質問を投げかけられて初めて
私は一番大事なものをおざなりにしていた事に気づかされたのを
今でも鮮明に覚えている。
この事に気づくことが出来ただけでも、カウンセリングは私の人生に大きく影響を及ぼしていると思う。もちろん良い意味で。
それでも人はいきなりは変われないもので・・・
未だに「私はこうしたいけど、そんな事したら変に思われるかな・・・」と
ウジウジ悩んでしまうことも多々あります。
でも、そんな自分の気持ちと葛藤して、悩みながら迷いながらも
少しずつでいいから自分らしく、人間らしく在り続けられるように
今後も回復に向けて進んで行きたいと思っている所存です。
今回もまた、とりとめのない独り言を読んで頂きありがとうございます。