新幹線の無差別殺傷事件の犯人の母親のコメントが報じられています。
母親は犯人が発達障害であったことを認めています。
祖母に懐いていたことから、祖母と養子縁組して祖母と一緒にくらさせたが、結局居場所がなくなり自殺を仄めかして祖母宅から家出をしていた事実も把握していたと言っています。
コメントの最後には
「しばらくの間、そっとしていただけるとありがたいです。」
と結んでいました。
人を殺した人間の親として、甘えにも程があると感じました。
発達障害だろうが健常者だろうが、殺人犯の親。
育てにくいから、祖母に任せて自分の責任を放棄したと言っている様にしか聞こえません。
発達障害だから大変なご苦労があったことは何となく理解できますが、それは人を殺しても良いという理由にはなりません。
発達障害の偏見を助長させるだけの、甘えたコメントならば出さない方がいい。
東野圭吾氏の「手紙」でも読んで、自分のおかれた立場をわきまえるべきでしょう。
世間の目は、発達障害の子供を持つ親というよりも、もはや殺人犯人の親という目でしか見ないでしょう。
昨晩発生した新幹線のぞみ号の車内での無差別殺傷事件、犯人に精神科の通院歴があったとテレビのニュースで報じられていました。
ネットニュースの中には「自閉症?」と報じられている記事もありました。
これでまた、精神疾患に対する風当たりが強くなることでしょう。
健常者からしたら、精神病患者はひとくくりで「危険な人」というステレオタイプなイメージが強いと思います。
確かに、こんな凄惨な事件が発生して、その犯人が精神科に通院していたとなると、そのイメージが定着するのは仕方ないのかもしれません。
今回の事件で、私が違和感を感じたのは、親や近親者が犯人となった人物を見捨てているように感じたことです。
マスコミのインタビューに答える父親が、自分の息子が起こした事件にもかかわらず、
「この先、罪を償って生きていって欲しい。」
と普段着のままインタビューに答える姿を見て、違和感を感じざるを得ませんでした。
祖母と紹介された人物も「自殺すると言ってここから出て行った。」とインタビューに答え、どこへ行ったのか探している感じはしませんでした。
扱いずらい子供は切ってしまえばそれで終わり。
何をしようが自分は知ったことではない。
そんな感じが画面から伝わってきて、仮に犯人が本当に自閉症であるのならば、これは親にも責任があるのではないかと考えざるを得ませんでした。
自閉症の人が、「自分は自閉症で生まれてきたくなかった。」と思っているかどうかは、私は知る由もありません。
しかし、自閉症の子供を持つ親は、周囲の偏見や子供が健常者とは異なる資質を持っていることに困惑し、時には疲弊することもあるのではないかと勝手に推測しています。
どの様に支えるのがベストなのか? プライバシーや人権の課題もあり、正解にたどり着くのには多くの問題があると思います。
しかし、人を傷つけたり、ましてや殺すなどということは許されることではないと思います。
権利を主張するのであれば、義務は果たす必要があると私は考えます。
東海道新幹線でナタで乗客を切りつける凄惨な無差別殺傷事件が起きたとニュースで報じられています。